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Channel: ベイのコンサート日記
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本日は福島章恭指揮ブラームス《ドイツ・レクイエム》@サントリーホール

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今日はサントリーホールで福島章恭さんの指揮されるブラームス《ドイツ・レクイエム》を聴きにいきます。

福島章恭さんのコメント。

『昨日はドイツ・レクイエム の本番前最後の稽古でした。

約1年かけて、丁寧に丁寧に作り上げてきた曲。
昨日はいつも以上にハーモニーを感じながら歌いました。

このメンバーで歌うことが出来るのは、オケ合わせと本番のあと2日。
お客様に癒しをお届け出来るように頑張ります!

チケットは好評発売中です。
是非、サントリーホールに足をお運び下さいませ♪』

レヴューは「音楽の友」に書きます。

 

 



 


「ナイマン、グラス&ラフマニノフ」湯浅卓雄(指揮)、南紫音(ヴァイオリン)ほか

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32日、オーチャードホール)

 ミニマル・ミュージック(反復音楽)の代表的作曲家フィリップ・グラスとマイケル・ナイマンの代表作と、ラフマニノフ「交響曲第2番」というプログラム。主催はビルボードジャパン。ふだんのクラシックのコンサートとは客層が異なるのは、ポップス寄りのためだろうか。中高年から若い人まで幅広い聴衆はコアなクラシック・ファンとは印象が異なる。女性の比率も高いように見えた。

 

 グラスの「ヴァイオリン協奏曲第2番《アメリカの四季》」は2009年にグラスがヴァイオリニストのロバート・マクダフィーから、ヴィヴァルディ《四季》と一緒に弾ける曲を、という依頼を受け作曲したもの。

4つの楽章の前にはヴァイオリン・ソロによる短い導入部(PrologueSongsNo1No.3)がある。オーケストラは弦楽5部と通奏低音風のリズムを刻むシンセサイザーのみ。

 グラスはそれぞれの楽章の季節名を明らかにしていないが、秋から始まり夏に終わるという説もある。曲は静かな楽章からリズミカルな楽章へ移っていくので、この見方は当たっているように思う。

 

 ソリストは南紫音、指揮は湯浅卓雄、オーケストラは神奈川フィルハーモニー管弦楽団、客演コンサートマスターは大阪フィルのコンマス須山暢大(すやまのぶひろ)。

 

 4つの楽章は続けて演奏される。40分と長い曲で、オーケストラが刻むリズムはほぼ同じような調子が続くが、テンポは緩急があり、ヴァイオリンもテンポに応じてフレーズが変っていく。南紫音は艶やかな音で静から動へ表情豊かに弾き第4楽章最後は盛り上げた。

 しかし、起承転結の音楽に慣れ親しんだ身としては、延々と続く繰り返しはトランス(恍惚)状態をもたらさなかった。正直眠気を誘う部分もあった。ただ、音が拡散してしまうオーチャードホールの音響にも要因があると思う。もっと豊かに響く会場であれば、印象も多少違ったのではないだろうか。

 

このことは休憩後のマイケル・ナイマン「ピアノ協奏曲《ピアノ・レッスン》より」でも感じた。ソリストはキエフ生まれ、2009年ルービンシュタイン国際コンクール優勝のアンナ・フェドロヴァ。

ピアノの音はホールの天井高く抜けてしまい、中央付近の客席で聴いていて、もどかしさを感じたほど。フェドロヴァはかなり強い打鍵をしているようだが、音がこちらに向かってこない。

 

この作品も単純なアルペッジョが拍子を変え延々と続く。第1楽章と第4楽章の最後に、映画「ピアノ・レッスン」のテーマが出てくるので、親しみやすい。湯浅卓雄はナクソスにアルスター管弦楽団とともにこの曲を録音しており、指揮は慣れているようだ。

 

後半はラフマニノフ「交響曲第2番」。湯浅卓雄&神奈川フィルは熱演だった。特に第1楽章展開部をクライマックスへ運ぶ手腕は冴えており、第3楽章ではラフマニノフの名旋律をゆったりと歌わせた。クラリネットのソロも素晴らしかったし、ホルンも健闘していた。

ただ14型でコントラバスが5台という編成のためか、ホールの音響が足を引っ張ってしまったのか、もうひとつ音の厚み、中低音の充実が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

アンネ=ゾフィー・ムターさんのアンドレ・プレヴィンさんへの追悼の言葉

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アンネ=ゾフィー・ムターさんのアンドレ・プレヴィンさんへの追悼の言葉。ご夫婦であった方ならではの温かさが感じられます。訳してみました。
“André Previn has for more than 70 years illuminated this often dark world with his extraordinary gifts, his superb intelligence and wit …” the 55-year-old violin virtuoso today has said.

“We were companions in music for 4 decades and closest and dearest soulmates in the last 19 years … these years have brought me an abundance of deeply moving and challenging violin works … one of the first of them, the violin concerto, was an engagement present … I am forever grateful for all of his musical treasures …” she has said.

“André will live on in the hearts of the millions of music lovers that his life and music has touched … his many scores will continue to enrich the life of musicians around the globe.”
“Right now André is probably in the middle of a jam session with Oscar and Wolfgang … and he will outplay them,” she has lamented.

『アンドレ・プレヴィンは70年以上もの間、この時として暗い世界を彼の素晴らしい贈り物、彼のすばらしい知性、そしてウィットで明るくしてきました。』と55歳のヴァイオリンの名手は語りました。

『私たちは過去40年にわたり音楽の仲間であり、19年間最も親密なソウルメイトでした。これらの年月は私に多くの感動的で挑戦的なヴァイオリン作品をもたらしました…。何よりも真っ先にあげたいのは彼との婚約のさいの贈りもの「ヴァイオリン協奏曲」です。私は彼の音楽の宝物すべてに永遠に感謝します。』

『アンドレは、彼の人生と音楽が触れた何百万という音楽愛好家の心の中で生き続けます…彼の多くのスコアは世界中のミュージシャンの生活を豊かにし続けるでしょう。』

『今、アンドレはオスカー(ピーターソン)とヴォルフガング(アマデウス・モーツァルト)とのジャムセッションの真っ最中です。…そして彼は彼らに勝つでしょう。』と彼女は悲しみ嘆きました。

 

 

ユーモアたっぷり!アンドレ・プレヴィン、若き日のエピソードを語る

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(これは静止画像です。下記URLからご覧ください)

これ最高です!

2月28日に多くの人から惜しまれつつ亡くなったアンドレ・プレヴィンがマンハッタンの自宅でのインタビューで、イーストマン音楽学校で語った若き日のエピソードについてユーモアたっぷりに話しています。
訳してみました。ネイティブ特有の言い回しもあるので間違っていたらご指摘ください。

https://vimeo.com/140204929?ref=fb-share&1&fbclid=IwAR2ci1_zEQgvO7hhnmWjiOW6SCJQl4UVKc9Zds89TSamLxGxuPuY2oWYpAU



AP: When I was at Eastman, there were two afternoons of question and answer. There were about 800 kids at each one, and the questions were very good because they weren’t all complimentary. They were all over the map.
アンドレ・プレヴィン:私がイーストマン音楽学校にいたとき、2回にわたって午後のQ&Aの時間があってね。それぞれ約800人の生徒たちが参加したけど、無料招待ではなかったので質問の内容はとても優れたものだった。内容はさまざまだったけどね。


On the second day, a young man got up in the back and said, “When you worked in films, did you work in Los Angeles?” “Yes,” I said. “Did you ever a meet a German émigré composer called Ernst Toch?”
2日目のこと、後ろの方にいた若者が立ち上がって、『あなたが映画の仕事をしていた時、ロサンゼルスで働いたことはありますか?』と聞いてきた。
『ええ』 と私は返事した。『エルンスト・トッホ(註:下記参照)というドイツ(正しくはオーストリア)の亡命作曲家と会ったことはありますか?』

 

I said I was taken to play for him by David Raksin, who was a friend of mine. “What happened?” he asked, and I said:

Well, the old gentleman made me improvise and then made me read something at the end of which he said in this kind of station house accent, “You haff no talent.” First of all, I don’t think it’s the right thing to say to a 16-year old. The other thing is that if he had said, “I don’t like the way you improvise,” that’s fair enough. Or “I don’t like the way you play.” Fair enough. But “You have no talent”? That’s a little heavy for me, because I didn’t agree with that.

私は友人であったデヴィッド・ラスキンに連れられ、コッホの前で演奏することになったと話した。
『一体何があったんですか?』と彼は尋ねたので、私はこう答えた。『老紳士は私に即興をさせて、それから何かを読ませた後、なまりのある英語でこう言った。
『あなたには才能がない。』


まず私はそれが16歳の少年に対して言う言葉として適切ではないと思う。もし彼が他の言い方で『私はあなたの即興のやり方が好きではない』と言ったのなら納得したでしょう。あるいは『私はあなたの演奏方法が好きではない』でもいい。
しかし、『あなたは才能がありません』って? それは私にはきつい言葉ですよね。とても同意なんかできない。

 

And the kids did a collective intake of breath, huuuhhh, because they identified with that moment. And the young man said, “Did you answer him?” And I said, “Yes.” And he said, “What did you say?” I said, “Fuck you.” This was from the stage of this conservatory. The poor dean turned green with fear, you know. And I said, “Wait a minute. They’ve all used that word. They all know what it means.” It was the biggest round of applause I have ever received from students.

生徒たちはその瞬間に居合わせたかのように一斉に息を呑んだ。
その若者は『あなたは彼に返したんですか?』と聞いた。私『ええ』。
彼『なんて言ったのですか?』

 

『ファック・ユー!』

 

これ音楽学校のステージからだよ。かわいそうな学部長は恐怖のあまり顔が青ざめていたよ。
そこで私は言ったんだ。『ちょっと待って。これみんなが使っている言葉だよね。どういう意味かみんな知ってるよね。』と。

学生達から一斉に沸き起こった拍手喝采はこれまでの中で最大だったね。

 

Frank J. Oteri: But how did Toch react to that?

『トッホはどんな反応を示したんですか?』

AP: Oh well, he threw me out. But I’m still glad I did it.

プレヴィン:
『そりゃあ、私を叩き出したよ。でも今でも自分のしたことは間違っていないと思うよ。』(笑)

 

註:エルンスト・トッホ

エルンスト・トッホ(Ernst Toch, 1887127 - 1964101日)は、オーストリアの作曲家。

ウィーン出身。ウィーン大学で哲学を、ハイデルベルク大学で医学を学び、作曲は独学であった。1909年に室内交響曲ヘ長調がフランクフルト・アム・マインで初演され、モーツァルト賞を受賞。これよりトッホは作曲に専念し、翌年にはメンデルスゾーン賞を受賞した。1913年、マンハイム音楽大学の作曲とピアノの講師となる。第一次世界大戦ではイタリア前線に配属されたが、終戦後はマンハイムに戻り、新しいスタイルの音楽を模索するようになった。ヴァイマル共和政時代にはアヴァンギャルドの作曲家とみなされたたうえユダヤ系であったため、ナチスが政権を取ると、ほかの多くの芸術家と同じようにアメリカに亡命。ナチスは退廃音楽展においてトッホをベルクやシュレーカーとともに『文化ボリシェヴィキ』として中傷した。アメリカ亡命後は南カリフォルニア大学で教鞭をとりつつ、ハリウッドの映画音楽なども作曲した。第二次世界大戦後もアメリカにとどまり、サンタモニカで死去。ロサンゼルスのウエストウッド・メモリアルパークに埋葬された。(ウィキペディアより)

 

 

 

 

西江辰郎×岡田将 DUO (3月5日、渋谷 l'atelier)

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新日本フィルのコンサートマスターでもある西江辰郎と、アルトゥール・シュナーベル・コンクールとフランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝(日本人初)の岡田将とのデュオ・コンサート。

 

 前半のフォーレ「ヴァイオリン・ソナタ第1番」と後半のショスタコーヴィチ「ヴァイオリン・ソナタ」が素晴らしかった。

 

 フォーレは明るく軽やかで上品な西江辰郎のヴァイオリンがフォーレの高貴な世界とマッチ、岡田将のピアノも西江辰郎に寄り添い良く合っていた。特に第2楽章以降が良かった。第1楽章が多少ばたばたしたように思えたのは、岡田が予定されていたサン=サーンス「ロマンス」と間違えフォーレを先に弾き始めてしまったたかもしれない。

どうなることかと思ったが、西江もさすがでニヤリと苦笑しながら、すぐさまフォーレに切り替えていた。

 

 後半のショスタコーヴィチはフォーレで受けた西江の印象とまるで違う激しい演奏で衝撃を与えた。

西江が演奏前に語ったように、ショスタコーヴィチがオイストラフの60歳を祝い作曲したが、当時の社会主義体制に抑圧されたショスタコーヴィチの悲痛な叫びがありありと感じられる暗い作品でもある。

スケルツォの第2楽章が凄まじい演奏だったが、西江の表情はいつも通りの端正でクールなまま。その落差もあって強烈な印象を受けた。西江はイメージだけではとらえきれない内面的にかなり強いものを秘めているのではないだろうか。岡田のピアノも冴えわたり、ショスタコーヴィチは今日の白眉だった。

 

岡田はコンサートの最初にシューマン「献呈」と「幻想小曲集第2曲《飛翔》」を弾いたが、コンサート・ピアニストらしいホールに響き渡るような強い打鍵がシューマンの歌心を少し弱めていたように感じられた。しかし、西江の伴奏ではデュナーミクがコントロールされ、一体感が見事だった。

 

西江によるJ.S.バッハ「シャコンヌ」は、どこに頂点を持ってくるのか、そこに至る過程はどういう段階を経て行くのかという設計図が明確に示されていた。細部の仕上げについては、この先も時間をかけ練り上げていくのではないだろうか。

アンコールはエルガー「愛のあいさつ」だった。 

オーケストラだけではなく、リサイタルや室内楽など演奏機会を積極的に求めて行く西江辰郎の姿勢は素晴らしい。

 

帰り際に2年前新日本フィルを指揮したマエストロ、ラルフ・ワイケルトが西江のことを素晴らしいコンサートマスターだと大絶賛しており、ぜひまた一緒に演奏したがっている話をお伝えした。

 

 

 

大チョンボ!! マリエッラ・デヴィーアのフェアウェル・リサイタル

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大チョンボ!!
マリエッラ・デヴィーアのフェアウェル・リサイタル
@東京オペラシティコンサートホール。
カレンダーに午後2時開演と書いていたのにすっかり失念。夜公演と勘違い。
予習のためyoutubeでデヴィーアの歌唱を楽しんでいてふとチラシを見て間違いに気づいたのが午後2時35分!
間に合わなくとも行けるだけ行こうと、電車に飛び乗り会場に着いたのが午後3時20分。

1階最後尾の椅子にすわり、そこまで完璧に聞こえてくる美声に酔いました。拍手の合間に係員に案内され周りの白い目に晒されながら着席。後半の最もいい部分とアンコールまで聴けたのは不幸中の幸いでした。

帰り際、駅で知人に会い、顛末を話すと『一番いいところが聴けたからよかったですね。』と慰めてくれ、少し救われました。

チケットの半券は今後カレンダーの上に「戒め」として永久に飾ります。

追記:
友人の感想から一部転載させてもらいました。大ラッキーなことに、一番いいところは逃さず聴いていました!!

『前半のグノー、ビゼーも良かったものの、一段と輝いたのは後半のヴェルディ「海賊」、「ジョヴァンナ・ダルコ」からのアリアだったように思えます。プログラム最後にはプッチーニ「つばめ」のドレッタの夢、この曲私の大好きな一曲。Youtubeにplaylist を作って様々な歌手を聴き比べているほど。もちろん彼女のそれも聴いてはいましたが、過去のそれらに決して負けない高音と歌唱に思わず Brava !!

アンコールにはなんと「ノルマ」清らかな女神よ Casta Diva これには聴衆も大喜びでしたが、もう一曲「ロメオとジュリエット」私は生きたい Je veux vivre しかもエンディングのハイノートをものともせずに余裕で。どよめく聴衆。

これで70歳?これでもしかしたら引退?嘘でしょ?

追伸、改めてYoutubeを探したら、今年ナポリでの Je veux livre が
https://youtu.be/WTTfc4Bf-_4

 

 

 

シルヴァン・カンブルラン 読響 フランス音楽プログラム (3月7日、サントリーホール)

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 2010年から9年にわたり読響常任指揮者として名演を聴かせてくれたシルヴァン・カンブルランが324日の東京芸術劇場でのベルリオーズ「幻想交響曲」を最後に退任する。

 カンブルランが読響の演奏水準をそれまで以上に高め、レパートリーを拡大しながら聴衆の支持と信頼を得たことが最も大きな功績のひとつではないだろうか。やるべきことはすべてやったという充実感を感じるタイミングでの退任は爽やかだ。

 

 最も記憶に残るカンブルランの指揮は201596日のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」と20171126日のメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」(共に演奏会形式)。特に後者は日本の演奏史に残る記念碑的コンサートだったと思う。
 その観点からも、声楽の入った大作シェーンベルク「グレの歌」の公演(3月14日サントリーホール)は非常に楽しみだ。

 

 今日は得意のフランス音楽が並んだ。読響が色彩感を増したこともカンブルラン効果であり、特にドビュッシー「交響詩《海》」は素晴らしかった。各セクション、ソロの役割がはっきりと打ち出され、それらすべてが緊密に結びつき全体を構成して行く。クライマックスに進む道筋がとても自然であり、コーダをやたら盛り上げる指揮者が多い中、カンブルランの別格のセンスの良さ、感覚の冴えを感じさせた。

 

 イベール「寄港地」は第2曲「チュニス-ネフタ」でのオーボエソロ(辻功)が傑出していた。第3曲「バレンシア」の極彩色の響きはむせかえるような南国の空気を感じさせた。

 

 同じくイベールの「フルート協奏曲」のソリストは、フランス生まれで神戸国際フルート・コンクール優勝、ジュネーヴ国際コンクール第3位のサラ・ルヴオン。繊細なフルートで強さや迫力は少し不足するが、弱音器をつけた弦をバックに情感豊かに歌う第2楽章は彼女に良く合っていた。アンコールのドビュッシー「シランクス」は妖精が吹いているようだった。ゴールドに輝く使用楽器はムラマツのハンドメイド「24K-SR」だろうか。

 

 今日のプログラムの中の注目は、ドビュッシー(ツェンダー編)「前奏曲集」の日本初演。これまで何人もの作曲家が色彩感のあるこの作品の管弦楽による編曲をしてきたが、ドイツの作曲家・編曲家ハンス・ツェンダー(1936-)の編曲は5曲のみ。

 「パックの踊り」「風変わりなラヴィーヌ将軍」のようにトランペット、トロンボーンのミュートを使ったり、木魚を始め様々な打楽器を取り入れたユーモラスな編曲はとても新鮮で楽しいが、「帆」や「アナカプリの丘」「雪の上の足跡」のように木管やストリングスを使う編曲はありきたりで想像力があまり刺激されない。やはり原曲のピアノで奏者による個性や表現の違いを聴く方が奥は深いように思えた。

 

写真:シルヴァン・カンブルラン(c)読響

 

マエストロ ラルフ・ワイケルト10月11日(金)に京響でブルックナー「ロマンティック」を指揮!

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マエストロ、ラルフ・ワイケルトさん、奥様とお友達になったのは、2011年11月エディタ・グルベローヴァの東京文化会館でのリサイタルの帰り、新宿までご一緒して以来。今年は10月11日に京都市交響楽団を指揮して、生まれ故郷オーストリア、ザンクトフローリアンに縁のある得意のブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」を指揮されるので、京都まで聴きに行く予定です。
I happened to meet Maestro Ralf Weikert and his wife at Ueno station after the recital of Edita Gruberová in November 2011. We went to Shinjuku together, the conversation in the train was really fun. We've been friends ever since.
Mestro Weikert supposed to conduct Bruckner "Symphony No. 4" Romantic " with the Kyoto Symphony Orchestra on 11th October. I'll be sure to go to Kyoto.

インタビューでは『なぜ日本のオーケストラは私にブルックナーを指揮してほしいと言ってこないのでしょう。ブルックナーこそ私の音楽です。生まれ育った景色と同じなのですから。特に第4、7、9番には愛着があります。』とおっしゃっていましたが、ついにその夢が実現します。
In an interview, Maestro told me "Why Japanese orchestras do not ask me to conduct Bruckner's symphonies. Bruckner is exactly my music. Because Sankt Florian which I was born and raised is the same scenery that Bruckner saw every day. Especially I love Symphony No. 4 ”Romantic”, No. 7 and No. 9." At last the dream will come true.

著書「指揮者という職業(仮題。「Beruf Dirigent」)」の日本語版も今年刊行される予定。幸田浩子さんの10周年記念アルバム「アリア」ではチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮され、オペラ指揮者としての力量を発揮されていました。
写真は「音楽の友」のインタビューのさいスマホで撮らせていただきました。
「音楽の友」取材のさいのカメラマン、林喜代種(はやしきよたね)さんが第29回新日鉄音楽賞を受賞されたというニュースが昨日届きました。(写真でカメラを構えている方)
林さん、このたびはおめでとうございます!
The Japanese version of Maestro's book "Beruf Dirigent " will be published this year. Maestro also conducted the Czech National Brno Philharmonic Orchestra for Hiroko Koda's 10th anniversary album "Aria". Weikert is demonstrating his excellent competence as an opera conductor on this CD.

I received happy news yesterday that Kiyotane Hayashi who took the photos of Maestro for "Ongaku-no-Tomo" awarded the 29th Nippon Steel Music Award. Congratulations Mr.Hayashi!

 

 

 

 

 


第13回フレッシュ・コンサート(3月10日、横浜みなとみらい 大ホール)

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 これまで指揮者の山田和樹、ヴァイオリニストの松田里奈など現在大活躍しているアーティストを輩出してきた実績のある「フレッシュ・コンサート」。

 今回は3人のソリストと、神奈川フィルが誇る若いホルン奏者4人による珍しいヒューブラーの「4本のホルンによるオーケストラのための協奏的作品」を聴いた。

 神奈川フィルを指揮するのは松尾葉子。ゲスト・コンサートマスターは東京交響楽団のアシタント・コンサートマスターであり、大阪フィル、京響、仙台フィルにも客演する廣岡克隆。

 

 最初はフルートの福島さゆりがモーツァルト「フルート協奏曲第1番」を披露した。主な受賞歴は第18回日本フルート・コンヴェンションコンクール第番4位、第34回かながわ音楽コンクール第1位。

きれいな音、繊細な表現の楚々とした演奏。第1楽章展開部は生き生きとしており、カデンツァを磨き上げたクリアな音で丁寧に吹いた。上品この上ない演奏だが、全体に同じような表情で、もうひとつ踏み込んでデュナーミクに変化をつけてもいいのではと思った。

 

次はピアノの黒木雪音(くろきゆきね)。ハノイ国際ピアノコンクール、カザフスタン国際青少年フェスティバルコンクール優勝、ピティナ・ピアノ・コンペティションG級(22歳以下)金賞という受賞歴。

黒木雪音のラフマニノフ「パガニーニの主題による変奏曲」がこの日一番エキサイティングだった。有名な第18変奏までは、突っ込み不足やオーケストラとのタイミングのずれなど、オーケストラとの共演不足も感じたが、有名な第18変奏では豊かな音響でスケール大きく旋律を歌わせる技を聞かせ、これは、と思わせる。そのあとは、第22変奏の激しいカデンツァから第24変奏まで凄まじい追い込みを見せた。これには静かだった客席も大喝采。

黒木は「のだめカンタービレ」の主人公、野田恵を思わせる雰囲気と度胸の良さ、堂々としたステージマナーがあり、スター性もあると思う。楽しみなピアニストだ。

 

ヒューブラーの「4本のホルンによるオーケストラのための協奏的作品」は、豊田美加、坂東裕香(以上首席)、田中みどり(契約団員)の順で並び4番ホルンを熊井優が吹いた。

 

飛びぬけてヴィルトゥオーゾ的な演奏ではないが、4人のアンサンブルは安定しており、神奈川フィルはホルンの人材が豊富であることを印象付けた。

 

最後はヴァイオリンの滝千春。チューリヒ芸術大学、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンを卒業。ダヴィッド・オイストラフ国際ヴァイオリンコンクール第3位。デビュー10周年の記念コンサートを昨年行うなど、活動歴としてはベテランと言ってもいいアーティストだ。

メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」では、第1楽章のカデンツァの高音フラジオレットも正確であり、技術的には安定していた。音色も潤いがあり、ロマン派作品にふさわしい様式美もある。ただ彼女も、メリハリ、デュナーミクの変化、さらに深みのある表現、個性というソリストに求められる要素を充分満たしてはいない。

 

このことは今日の出演者全員に当てはまる。しかし誰しも自己の演奏のスタイルを確立するまで、数多くの演奏経験を重ねていくわけであり、これからの彼らの活躍を温かく見守るとともに、彼らの健闘を祈りたいと思う。

 

ダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ ブルックナー《ロマンティック》

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311日、すみだトリフォニーホール)

 ハーディングは右足を押さえ少し引きずるように歩く。昨年1212日パリ管とのツアーの札幌で右足首を骨折してから3ヶ月でたったが、まだ完治していないようだ。幸い指揮には影響はないようだ。

 

1曲目のエルガー「ニムロッド」は1945310日東京大空襲と2011311日東日本大震災の犠牲者への祈りがこめられた。
 マーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)の演奏は骨太でハーディングの指揮は威厳があった。ヴァイオリンを支えるチェロの旋律がよく響く。演奏後のハーディングは微動だにしない。祈りのための静寂は30秒以上続いた。

 

2曲目のシューベルト「交響曲第3番」は若鮎が跳ねるような新鮮な演奏だった。ハーディングは拍節をはっきりとつける。第2楽章の中間部のクラリネットのソロは飛びぬけてうまい。第3楽章のトリオはほのぼのとしている。第4楽章の若さあふれる勢いはMCOの真骨頂。シューベルト自身がこういう演奏を聴いたら歓喜するのではないだろうか。

 

ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」は力感に満ちた運動的な演奏の極致。主題が繰り返され力を増して行くブルックナー独特の展開の妙をハーディングとMCOは確信をもって描いていった。

12型対向配置の規模だが、メンバー一人一人の技量とパワーが並外れており、その充実感たるやものすごいものがある。

 

ホルン首席は、ソロカーテンコールでハーディングが彼の肩を抱いて現れたが、これ以上ないほど見事だった。それ以外の金管のパワーもブルックナーにふさわしい。そして木管!クラリネット以外にもフルート、オーボエ(吉井瑞穂)、ファゴットの強力なこと。音が前に向かって来る。

弦は本当に素晴らしい。トレモロも強烈で金管のfffをものともしない。ヴィオラ首席の生き生きとした表情を見ているだけで楽しくなる。

 

第4楽章は全く隙がない。コーダに向かって力をたくわえていき、びくともしない強靭で強大な終結部を築き上げた。

 

ハーディングは自分の理想とも言えるマーラー・チェンバー・オーケストラとともに、自分のやりたいことを全てやりつくした。両者の絶対的な信頼関係、強固な結びつきを強烈に印象付ける演奏であり、昨年のパリ管に続きハーディングの才能と実力を徹底的に思い知らされた気がする。

 

写真:ダニエル・ハーディング(c)Harald Hoffmann

 






 

シルヴァン・カンブルラン 読響 シェーンベルク「グレの歌」(3月14日、サントリーホール) 

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指揮=シルヴァン・カンブルラン
管弦楽:読売日本交響楽団
テノール=ロバート・ディーン・スミス(ヴァルデマル)

ソプラノ=レイチェル・ニコルズ(トーヴェ)

メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ(森鳩)
テノール=ユルゲン・ザッヒャー(道化師クラウス)

バリトン=ディートリヒ・ヘンシェル(農夫・語り)

合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)

 

 カンブルランの読響常任指揮者の任期最後の公演シリーズの2回目はシェーンベルクの大作「グレの歌」。今年は大野和士都響、ジョナサン・ノット東響も演奏する。

 

 読響は18-16-14-12-10という巨大編成。金管、木管などの数もすごく、フルート8(ピッコロ持ち替え)、ホルン10(ワーグナーテューバ持ち替え)、トランペット6、トロンボーン7、ハープ4あたりが目に付く。打楽器も11種。総勢130人近いのではないだろうか。

 

 しかし、この大編成オーケストラがカンブルランの指揮のもと、一糸乱れぬ集中を見せた。緻密なカンブルランの指揮に100%応えた。まさにカンブルランの花道を飾るにふさわしい名演だった。

 

 ソリストも文句なし。特に森鳩のメゾ・ソプラノ、クラウディア・マーンケが抜きんでた。豊かで表現力も深い。農夫・語りのバリトン、ディートリヒ・ヘンシェルも風格があり、特に最後の語り(「アカザ氏にハタザオ夫人よ」)はネイティブならではの自然さと演技力が光っていた。

 

 トーヴェのソプラノ、レイチェル・ニコルズはトーヴェの最後の歌“あなたは私に愛の眼差しを向け”の最後、「私たちは幸福な接吻のうちに死に果てて、一つの微笑になって墓に入ってゆくのですから」で絶唱を聞かせた。

 

 ヴァルデマルのテノール、ロバート・ディーン・スミスは、出番も多く、常にオーケストラのトゥッティにさらされるため、声が打ち消される気の毒な面もあった。ただそれを割り引いても、ややパワーに欠けた。

 道化師クラウスのテノール、ユルゲン・ザッヒャーは一度だけの出番“奇妙な水中の鳥はウナギ”でデモーニッシュだが少し滑稽な味を良く出していた。

 

 新国立劇場合唱団は男声75人女声43人前後の陣容。男声合唱による“雄鳥が頭をもたげ今にも朝を告げようとしている”で半音階和声の弱音による美しいコーラスを聞かせた。

 

 最も感動的に盛り上がったのは最後に初めて登場する混声合唱と大オーケストラの総奏による“見よ太陽を!”の大団円。ハ長調、8声による太陽賛歌はすべての恩讐を太陽の光で包み込み解き放った。

カンブルランは読響との別れを惜しむかのように、最後の音を長く保った。

 



 

 日本フィル初登場! アレクサンダー・リープライヒ(3月15日、サントリーホール)

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ドイツ、レーゲンスブルク生まれ。ポーランド国立放送交響楽団とプラハ放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督というアレクサンダー・リープライヒ。サヴァリッシュが立ち上げた「リヒャルト・シュトラウス音楽祭」の第3代芸術監督も務める。日本フィルへの登場は初めて。

 

 長身でスーツ姿。全身を使ったダイナミックでエネルギッシュな指揮。音楽は勢いがあり生き生きとしている。楽曲の構成感もしっかりとしており、フレーズ(音楽の流れのなかで自然に区切られるひとまとまり)やアーティキュレーション(音の切り方つなぎ方)は自然で滑らか、デュナーミクの幅も大きい。

 

 1曲目、ロッシーニ「歌劇《どろぼうかささぎ》序曲」はリープライヒの身体の内から音楽があふれ出すようで、その生き生きとした音楽は聴く者を浮き浮きさせる。日本フィルの音もがらりと変わり、ヨーロッパ的なまろやかで艶のある響きを創り出す。

 リープライヒはオーケストラ中心の指揮者のようで、歌劇場デビューの経歴はないようだが、オペラも指揮できそうな印象だった。

 

 2曲目はリープライヒが得意とするポーランドを代表する作曲家、ルトスワフスキの「交響曲第3番」。ベートーヴェンの「運命」の動機と同じ4音連打が頻出する。
 前半はその動機が出るたびにアレストリー技法(偶然性音楽の手法)による3種類のエピソードが続く。そうした組み合わせが3つほど前半で展開する。

 4音連打が単独で繰り返されて始まる後半は、旋律的なフレーズも登場、動的な動きに加え、哀愁を帯びた旋律が展開されていく。

 

 リープライヒの指揮は、全体像がしっかりとできており、弛緩するところは全くない。日本フィルもリープライヒの引き締まった指揮と一体となり充実した演奏が生まれた。

ただ、弦楽器と金管楽器がそれぞれ何小節も即興演奏するクライマックスは、もっと激しさがあってもよかったのでは。最後に4音連打で決める終結部ももうひとつ迫力が不足したように思えた。

 

後半はベートーヴェン「交響曲第8番」。この作品はメトロノームのリズムを模したといわれる第2楽章がよく話題にとりあげられ、ユーモアのある作品というイメージが先行しベートーヴェンの交響曲としては軽く見られがちだ。

 

この曲で納得できる演奏はめったに巡り合わないが、今日のリープライヒの指揮は本当に素晴らしかった。最初から最後まで、音楽は常に動きがあり、生命力に溢れている。ベートーヴェンのソナタ形式の完成度が最高度に発揮された作品の構造が鮮やかに描かれていく。

 

リープライヒの指揮棒からは、この交響曲がたった今生まれたような新鮮そのもののフレーズが次から次へ飛び出してくる。

その面白さたるや、腰が浮き上がるほど楽しいものがある。日本フィルの楽員も演奏しながら乗りに乗っていることが伝わってくる。自分もリープライヒの指揮のもと、一緒に演奏している気になる。楽器が演奏できたら、日本フィルの楽員と入れ替わりたいと思ったほどだ。

日本フィルの木管も素晴らしいし、第3楽章中間部のホルンの二重奏も最高だった。

リープライヒ指揮で、ベートーヴェンの交響曲ツィクルスが実現したらどれほど楽しいだろう。

 

今年の12月6日(金)、7日(土)にリープライヒは再び日本フィルのサントリー定期に登場する。プログラムは以下の通り。

モーツァルト:歌劇《ドン・ジョバンニ》序曲

ルトスワフスキ:オーケストラのための書

R.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》 op.40

https://www.japanphil.or.jp/concert/23655

 

これは聞き逃すわけにはいかないだろう。


写真:アレクサンダー・リープライヒ(cSammy Hart

 

 

 




 

高関健 東京シティ・フィル 小山実稚恵(ピアノ) バルトーク&コダーイ

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316日、東京オペラシティコンサートホール)

  ステージ上の東京シティ・フィルが初めて見る配置で驚いた。コントラバスがウィーン・フィルのようにステージ奥横一列に並ぶのはたまに見るが、
木管と金管が前面に張りだしていて、弦楽器は正面一列を除き、それ以外の左右に分かれている。ヴァイオリンは対向配置。

 

 これは高関健のアイデアとのこと。確かにプログラムのメイン、バルトーク「ピアノ協奏曲第2番」の第1楽章は管楽器とピアノ+ティンパニ、第2楽章は弦とピアノ(中間部のみすべての楽器)、第3楽章はすべての楽器とピアノというように書かれており、管楽器を前面に出すことで、音はより前に出る。コダーイの二作品も管楽器のソロが多い。楽譜を子細に見直す高関らしい発想は新鮮だった。

 

 今日の公演は「日本・ハンガリー外交関係樹立150年周年」記念行事のひとつに指定されたとのことで、駐日ハンガリー大使パラノビチ・ノルバート氏が高関健のプレトークに登場、流ちょうな日本語であいさつした。

 

 高関によれば、ハンガリー語は第一母音にアクセントがあり、それは音楽語法にも共通するとのこと。
 バルトーク「ピアノ協奏曲第2番」は、作曲者が難解な曲ばかり書いた最も充実していたときの作品で、オーケストラはもちろんピアノはさらに難しい。あの美しい小山実稚恵さんがどういう表情でこの難曲を弾かれるのか見てみたいと、いささか意地の悪いコメントを述べた。

 それは我々聴き手も実は同じで、友人たちとコンサート前に「いったいどうやってあの難曲を弾くのだろう」と、心配と期待が入り混じった会話を交わしたものだった。

 

 結果はさすが小山実稚恵。いったんピアノに向かうとにこやかな表情が一変、驚くべき集中力を見せる小山だが、今日はこれまで約30年にわたり数えきれないほど聴いてきた小山実稚恵の演奏の中でも、最高の名演のひとつだった。

 それは何かが憑依したとしか思えない。表情は多少固いが、難曲にてこずる様子はさらさらなく、第1楽章のすさまじい手の動きをいともやすやすとクリア。第1楽章が終ったとき、高関が突き立てや親指を小山に向け「グッド!」を示した。続いてこの作品の最難関、第2楽章中間部の最速部分もなんなく弾き切ってしまう。中間部をはさむ緩徐部分のコラール主題はたくましい和音をつくった。第3楽章の最後はオーケストラとともに怒涛の勢いで突き進み、ピシリと最後を締めた。

小山は終わるといつものにこやかな表情でちょこんと首を傾ける仕草に戻る。この落差は何度見ても驚かされる。恐れ入りました。脱帽。

 

コダーイ「ガランタ舞曲」はクラリネット、フルート、オーボエのソロが高関の目論見通り良く聴きとれた。特にクラリネットは見事。高関の指揮はきっちりしているが、舞曲らしくもう少し羽目を外してもいいように感じられた。

 

しかし、休憩後のコダーイ「ハンガリー民謡《孔雀が飛んだ》による変奏曲」は素晴らしかった。

五音音階を使う旋律は、日本の祭りのような第8変奏、東洋的な第10変奏、中国的な第15変奏など懐かしさも感じる。同時に作品が書かれた時代背景を濃厚に反映する部分が胸を打つ。
 そもそも《孔雀が飛んだ》は、ハンガリー、マジャール民族が支配者だったオスマン帝国から自由を勝ち取る抵抗歌として歌われた民謡で、『飛べよ、孔雀、牢獄の上に、囚人たちを解放するために。だが囚人たちは解放されなかった』という悲しい歌詞を持つ。

 

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が創立50周年記念としてコダーイに委嘱し、メンゲルベルク指揮で初演されたのは1939年。翌年オランダはナチス・ドイツに侵略された。ハンガリー政権は当時すでにナチス寄りだった。コダーイはそうした状況への抗議を作品に込めたと言われる。

 

もの悲しい第9変奏や「葬送行進曲」を思わせる第13変奏はそうした背景を感じさせる。一方で軽快な楽しい舞踏調も多く、最後は情熱的に華やかに全曲を締めくくる。

 

高関と東京シティ・フィルは、演奏時間30分に及ぶ盛りだくさんの内容がつまったこの作品を、共感をこめた熱い演奏で聴かせてくれた。オーボエ、コーラングレ、ファゴット、フルート、ピッコロ、クラリネット、ホルン、トランペットなど木管と金管は大活躍、配置が生きる。コンサートマスター荒井英治を始め弦も見事だった。秀逸なプログラム、配置を考えた高関健と東京シティ・フィルに拍手を贈りたい。
写真:高関健(cMasahide Sato 小山実稚恵(cND CHOW

 

 

 

 

エリアフ・インバル 東京都交響楽団 ブルックナー「交響曲第8番」ノヴァーク版(1890年第2稿)

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317日、サントリーホール)

 最も聴く機会の多いノヴァーク版(1890年・第2稿)によるブルックナー「交響曲第8番」。

 インバルなら「絶対音楽」(音楽外の観念と結びつかずに、音楽の自律的構成原理にもとづいて自己目的的な音の世界をつくりあげる音楽)としてのブルックナーとなるだろう、と予想していたがまさにその極致の演奏だった。

 

しかしその演奏は同時に、好き嫌いや良し悪しを言うことが憚(はばか)られるような聴き手を説き伏せる圧倒的な力に満ちていた。

 

この説得力はどこから生まれてくるのだろうか。

第一には、第1楽章冒頭から第4楽章フィナーレまで、速めのテンポで一瞬たりとも手綱を緩めず一気に運ぶインバルの作品全体を見通す構成力、構築力の盤石さがあったこと。アーチ型のこの交響曲の構造を完璧に把握していた。
 第二として、その上で細部まで緻密に描かれており、あいまいさや弛緩する場面が皆無だったこと。

第三に都響のほぼ完全無欠な演奏。特に金管の素晴らしさは際立っており、ホルンと持ち替えのワーグナー・テューバをはじめトランペット、トロンボーン、テューバまで見事だった。インバルはこれら金管を思う存分に鳴らしあるいはコントロールし、爽快だった。弦も金管を物ともしない強靭さを保ち、木管も良かった。

 

個人的には第1楽章第2主題は心に染みないなあとか、第3楽章の第1主題第2句はいまひとつ宗教的な味わいがほしいとか、第4楽章提示部最後の「死の行進」はテンポを落として堂々として進めてほしいなどインバルにお願いしたいことはいくつかあったが、それらも第4楽章の壮大なフィナーレを聴くとささいなことに思えてきた。

 

いずれにしても、これはインバルと都響のこれまでの名演の中でも長く記憶に残る演奏になることは確かだろう。

インバルへのソロ・カーテンコールは二度繰り返された。二度目はコンサートマスターの山本友重を伴って現れた。
写真:エリアフ・インバル(C)Sayaka Ikemoto

 




 

ファビオ・ルイージ指揮デンマーク国立交響楽団 アラベラ・美歩・シュタインバッハー

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ファビオ・ルイージ指揮デンマーク国立交響楽団@サントリーホール。1曲目のソレンセン「Evening Land」が凄すぎた。あんな種類の弦の弱音は聴いたことがない。ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」(アラベラ・美歩・シュタインバッハー)、ベートーヴェン「交響曲第7番」も彼ら独特の音の美しさが素晴らしかった。この音どこかで聴いたぞ、と思ったら愛用のデンマークのスピーカー「DALI」の音に似ている。やはりデンマーク同士かと納得。レヴューは「音楽の友」5月号(4月18日発売)に書きます。
隣の小ホールではユジャ・ワンとロス・フィルの室内楽。大学の先輩が九州から聴きにきていて、ちょうど終演が同じころだったので運よく会え、ウォルフガング・パックで乾杯。
みなさんが今日はサントリーでユジャ・ワンと言うので、てっきりロス・フィルのオーケストラ公演だと思い、先日のデヴィーアの時間間違いの大チョンボの悪夢を思い出し、会場を間違えたのかとあせりまくりました。(;´・ω・)

 


ミハイル・プレトニョフ 東京フィル ユーチン・ツェン (3月21日、オーチャードホール)

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 1曲目はチャイコフスキー「スラヴ行進曲」。オーケストラは14型対向配置だが、コントラバスは8台。重厚な響きがこの曲にふさわしい。プレトニョフの小さな動きにも東京フィルは敏感に反応し、巨大なスケールの演奏が生まれる。

 

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」を弾くユーチン・ツェンは2015年チャイコフスキー国際コンクール最高位。以前アジアユースオーケストラでも聴いたことがある。台湾のChi-Mei文化財団貸与の1732年製グァルネリ・デル・ジェスEx”Casterbarco-Tariso”を使用。

完璧なテクニックだが、端正で繊細で真面目な演奏は、チャイコフスキーの情感豊かな作品には少し物足りない。プレトニョフ&東京フィルもツェンに対して仕掛けることもなく、両者は平行線を進むようなたんたんとした演奏となった。

第3楽章になって、ようやくツェンの演奏も熱を帯び、両者がかみ合って盛り上がった。

ツェンのアンコールはタレガ「アルハンブラの思い出」。ギターのトレモロをヴァイオリンで演奏しながら旋律も弾くという難曲。東京フィルの広報に聞いたところ編曲はカルロ・マリア・バラートとのこと。この演奏は正確で感心した。

 

後半はハチャトゥリアンの作品がふたつ。最初はバレエ音楽『スパルタクス』より“アダージョ”。プレトニョフは濃厚な音楽を東京フィルから引き出した。

 

今日のコンサートの目玉は交響曲第3番『交響詩曲』。ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより194712月初演。第二次大戦でのソ連戦勝記念のため書かれた1楽章の交響曲。

 

15本のバンダのトランペットがオーケストラ後方に横一列に並ぶのは壮観だ。

それにオルガン(ステージ四か所にPA設置)も加わる。

 

冒頭は序奏のあと7つの声部に分かれたトランペット15本による長大なファンファーレで始まる。そのあとオルガンのソロが続くが、それは旋律というよりもトッカータ風の動きの激しいもので、トランペットとオルガンが入り乱れるとカオスのようになる。

 

この曲は祝祭的とも言われ、ハチャトゥリアンもそうした言葉を残しているが、勝利というよりも断末魔の地獄絵のように聞こえなくもない。一説には1915年のオスマン・トルコ帝国による百万人のアルメニア人大虐殺への怒りと鎮魂の意図が込められているとも言われるが、そちらのほうが近いような気がする。

 

中間部は静謐となり、さきほど聴いた『スパルタクス』より“アダージョ”に似た雰囲気が漂うが、クラリネットの8連符から動きが激しくなり、再びトランペットとオルガンが登場、オーケストラの弦も打楽器も金管も咆哮し阿鼻叫喚の世界が展開されていく。「怒りの日」の爆発のようで、勝利を祝うとはとうてい思えない。

このクライマックスはさらに激しくなり、オルガンは常軌を逸したように弾き続ける。打楽器の乱打もさらに激しくなり15本のトランペットも咆哮する。コーダ直前一瞬中間部の雄大な部分が戻るが、それもつかの間トランペットの切羽詰まった連続音にオルガンが渦を巻くようにからみ、最後に向かう。ファンファーレに続く最後は火山の大爆発のように終わる。

 

演奏会で取り上げられる機会は少ない作品。プレトニョフの冷静な指揮ぶりからは信じられないような大音響が生まれた。ある意味カタルシスを味わった。

アンコールはハチャトゥリアン「仮面舞踏会」が大河が滔々と流れるように演奏された。

 

写真:ミハイル・プレトニョフ(c)ジャパンアーツ ユーチン・ツェン(cUniversal Music Ltd., Taiwan

 

 

 

 

 

上岡敏之 新日本フィル クレール=マリ・ル・ゲ(ピアノ) マニャール「交響曲第4番」初体験

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322日、すみだトリフォニーホール)

 モーツァルト「交響曲第31番《パリ》」は、上岡らしいレガートをかけた流麗な演奏。颯爽としているが、もう一味欲しい。華やかな色彩感と更なる躍動感が足りないように感じた。

 

 ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」のソリストはクレール=マリ・ル・ゲ。色彩感はあまりなく、ややモノトーンの乾いた感触のピアノ。第2楽章も情感はなく、淡々とすすめていく。最後のトリルは粒がそろっているが、全体にクールなピアニストという印象。上岡&新日本フィルも速いテンポであっさりとした味わい。アンコールのラヴェル「組曲《鏡》第2曲“悲しげな鳥たち”」は良かった。色彩感があり、ストーリーを感じることができた。

 

 後半のマニャール「交響曲第4番嬰ハ短調」は初めて聴く作曲家であり作品だ。

フランスの作曲家アルベリク・マニャール(1865-1914)は、ヴァンサン・ダンディに師事、第一次世界大戦開戦直後、家族を疎開させ一人守った家で侵入してきたドイツ軍と銃撃戦を交わし49歳で死亡、家は焼かれ多くの楽譜も焼失してしまったという。

 

ホルン4、トランペット3、トロンボーン3と金管も充実。フランク、サン=サーンスでおなじみの循環形式が用いられている。ハープも要所で活躍するが、今日はオーケストラに音が呑まれてしまい、よく聴きとれなかった。

 

 第1楽章の序奏も規模が大きく、フルートによる循環主題が印象的。ティンパニがクレッシエンドして入っていく提示部や展開部も壮大。

 第2楽章以下は続けて演奏される。第2楽章はスケルツォでトリオのヴァイオリンソロの田舎風旋律が面白い。

 第3楽章は第1部の主題を変奏していく第2、3部が続く。この楽章も雄大だ。最後の部分はR.シュトラウスの「死と変容」を思わせる管弦楽の厚みがある。第4楽章は活気があり、主題がフーガ風に展開されたり、コラール主題が歌い上げられていく。最後は余韻を残して終わるが、少し尻切れトンボ的な印象を与えた。

 

 上岡はこの曲を何度か指揮しているのだろうか。作品を完全に手中に収めていることがわかる「こなれた」指揮だった。余りにもスムーズに進行していくので、もうすこしじっくりと細部にこだわりを見せてもいいのでは、と思うくらいだった。録音マイクが立っていたので、CD化されるのだろう。

 

 アンコールがまたユニークなもの。ボワエルデュー*の「歌劇《白衣の婦人》序曲」。ストーリーはスコットランドのお城を舞台にした遺産相続の物語のようだ。お城に特有の幽霊なども登場するらしい。本プログラムとのつながりは、フランスという以外何だろう。よくわからないが、途中に出てくる親しみやすい旋律がスコットランド民謡らしいので、それとの関連があるのかもしれない。

 

*フランソワ=アドリアン・ボワエルデュー(1775 -1834)はフランスのオペラ作曲家・ピアニスト。19世紀前半のフランス・オペラ界における重鎮作曲家の一人として活動した。優雅さと軽快さを持ち合わせた作風から、かつては「フランスのモーツァルト」と呼ばれた。(ウィキペディア)

 

写真:上岡敏之(c)K.Miura

 

 




 

「魂のチェリスト」クリスティーヌ・ワレフスカ プレミアム・チェロ・リサイタル

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323日、オーチャードホール)

 カザルスやフォイアマンの時代のアーティストが現代に現れたような印象を受けた。女性の年齢を語るのは憚られるが、下記プロフィールにあるようにベビーブーマーズ(団塊世代)のチェリストである。

 

1曲目はクープラン「演奏会用小品集」。まずチェロの音色に驚いた。太くたくましく深い。心の奥にしみわたるような柔らかい音。第5曲の「悪魔のアリア」では中間部で弱音器を使うが、その音はSPレコードで聴いたカザルスの音を思い出させた。弱音器を椅子の後ろに落としてしまい、ピアノの間奏の間に、譜めくりの女性がピアノの下にもぐって拾い上げていた。ピアノは2010年共演以来ワレフスカの信頼を得ている福原彰美。

 

全ての音符にヴィブラートをかけたっぷりとした表情をつけるワレフスカの奏法は、最近のチェリストからはほとんど聞けないスタイルだ。

それを古いと見るのか、時代に左右されないワレフスカ独自の奏法と見るのか、受け止め方はさまざまだろうが、プログラム解説に竹内貴久雄氏が書くように『ポスト・モダンの先にあるはずの感情の自由な発露、ネオ・ロマンティシズムの到来』という意見を私も支持したい。『時代は繰り返す』のだと思う。

 

 プロコフィエフ「チェロ・ソナタ ハ長調Op.119」第1楽章の冒頭第1主題の大地を揺るがすような低音はワレフスカの真骨頂。第2主題はきわめてロマンティックで表情が大きい。1947年から49年にかけて作曲された曲だが、まるで19世紀のチェロ・ソナタのようだ。しかし晩年のプロコフィエフはこの曲に「人間─それは誇らかに鳴り響く」という副題を考えており、ロマンティシズムと抒情がこの作品の本質とも言える。その点ワレフスカの解釈は正鵠を射ていたと言えるだろう。

 

 第2楽章スケルツォはワレフスカの大らかなチェロは小回りが利かず敏捷性がやや不足したが、歌謡的な中間部はよく歌う。

 第3楽章はスケールが大きくよく歌うワレフスカのチェロと抒情性に富む福原彰美のピアノが素晴らしかった。

 

 後半は90年代までワレフスカが住んだアルゼンチンにゆかりの作曲家の作品が紹介された。

 

 ボロニーニ「アダージョ/アヴェ・マリア」は再び心に染み入るような温かく懐かしい音に包まれた。エニオ・ボローニ(1893-1979)は、同居していたルービンシュタインとセゴビアからピアノとギターを習ったという。カザルスが自分よりもうまいと絶賛したそうだ。ボローニはワレフスカを自分の唯一の後継者と見定め、自作をすべてワレフスカに託したため、ボローニの作品は彼女の演奏あるいは録音でしか聴けない。

 「アヴェ・マリア」はフォーレの「エレジー」を思わせるなんとも深い音楽であり演奏だった。

 

 アストル・ピアソラの右腕と言われたチェリスト、ホセ・プラガードもワレフスカのチェロに魅せられ多くの作品を献呈しているが、「チャレーカ」もその中の1曲で民族舞曲のひとつだという。タンゴの原型のような印象を受けた。

 

 アストル・ピアソラはヨーヨー・マの「リベル・タンゴ」でブームになって以来、日本でもすっかりポピュラーなアーティスト、作曲家になった。

「アディオス・ノニーノ」「天使の死」「オブリビオン(忘却)」の3曲が演奏されたが、編曲はすべてプラガードの手になる。「アディオス・ノニーノ」の哀愁のある最後はとりわけ美しく響いた。

 

 最後はショパン「序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調Op.3」で締めた。福原のピアノの粒立ちの良いピアノに乗せて、ワレフスカは伸びやかに弾いていた。

 

 アンコールの最初は、ショパン「ノクターン第20番(遺作)」。あまり重くならずむしろワレフスカのチェロは明るさがあった。終わらない拍手に今度はワレフスカ一人が登場、ワレフスカに楽譜のすべてを託したボロニーニの「エコーセレナーデ」を弾いた。

Youtubeに若き日のワレフスカが弾く映像がある。
https://www.youtube.com/watch?v=FZ_t--ThKSY

弓を弦に叩きつける部分など、今日の演奏を生々しく思い出させる。この味わい、哀愁、まさにワレフスカの独壇場だ。「魂のチェリスト」と言うタイトルが自然に頭に浮かんできた。次の来日を心待ちにしたい。

 

 

クリスティーヌ・ワレフスカ プロフィール:

1948年、米ロサンゼルス生まれのチェロ奏者。チェロの女神の異名を持つ。楽器商の父からチェロの手ほどきを受け、13歳でピアティゴルスキーに師事。米楽壇デビューを果たす。16歳で渡仏し、パリ音楽院でモーリス・マレシャルに師事。その後、欧州で演奏活動を行ない、プラハの春音楽祭出演や北南米、日本でツアーを開催。特にアルゼンチン・ブエノスアイレス公演で激賞を浴び、以降中南米全土で広く活躍。90年代半ばまでアルゼンチンに居住、結婚生活を送る。また、フィリップス・レーベルの専属アーティストとして主要な協奏曲作品の録音を行ない、特にドヴォルザークの録音が高く支持される。日本には74年に初来日*(音楽出版社)*その後2010年、13年にも来日。

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、シルヴァン。また日本で会いましょう!」カンブルランさよならコンサート

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324日、東京芸術劇場コンサートホール)

 今日はカンブルランの9年にわたる読響常任指揮者としての最後の演奏会。ベルリオーズ《幻想交響曲》が素晴らしい高揚感で終り、盛大な拍手の中、何度もカンブルランがステージに呼び戻される。最後は楽員が足踏みで迎えた。

カンブルランが指揮台に上がるとアンコールのオッフェンバック《天国と地獄》序曲「フレンチカンカン」が始まった。読響の楽員5人が、チアガールが手に持つ飾り「ポンポン」を持って登場、聴衆から手拍子も起こる。カンブルランにもタスキがかけられ、ついにはマエストロも舞台前面に出て一緒に踊り始めた。なんと明るく楽しい「さよならコンサート」だろう!

 

 演奏が終わるとオーケストラ後方の楽員たちが、『ありがとう、シルヴァン。また日本で会いましょう!』の大きな横断幕を広げた。4月から読響桂冠指揮者となることが発表されており、近いうちにまたカンブルランに会えるのでお別れの涙はない。それでもカンブルランと読響、聴衆が一体となって盛り上がる光景を見ていると胸が熱くなった。楽員が引き上げた後も、カンブルランへのソロ・カーテンコールが二度あった。

 

 今日の演奏は特にベルリオーズ《幻想交響曲》に感銘を受けた。第1楽章「夢と情熱」、第4楽章「断頭台への行進」では繰り返しも守るなど、すべてにわたり綿密に丁寧に描いて行った。特にチェロのパートを大事にしているようで、中低音が充実。また金管からも腹にズシリと来るような重みのある音を引き出した。第4、5楽章のティンパニには都響の久一忠之もゲストで入っていた。カンブルランと読響の集大成にふさわしい名演だった。

 そのほか1曲目にベルリオーズ「歌劇《ベアトリスとベネディクト》序曲」も演奏された。

 

 ピエール=ロラン・エマールを迎えたベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」は、エマールの青空高く昇って行くような、明るく澄み切った音が素晴らしい。カンブルラン&読響もエマールの音色に合わせるかのように、切れのいい軽快な演奏を展開した。

 

自分にとって、この曲のこれまでの最高の演奏は2015515日東京オペラシティでのアンスネスとマーラー・チェンバー・オーケストラによるものだ。あの時のアンスネスの硬質なダイヤのような透明感と強さを持った響き、会場の空気を一変させる神聖な雰囲気さえ漂う演奏に較べると、エマールのピアノはさすがにそこまでの深みはなかったと思う。

 

エマールのアンコールはクルターグ「遊戯」第6集から「Lendvai Erno in memoriam」「Aus Der Ferne」。単音が幅広い音域で響くだけのシンプルな作品。音と音の間の無音が命の音楽なのに、そこに合わせて咳をする女性に唖然。一度ならず4、5回はあっただろうか。これにはさすがに怒りを覚えた。《幻想交響曲》でも第3楽章「野の情景」の静かな場面でなぜか咳が目立った。

しかし、そうしたマイナスの感情もカンブルランを盛大に送りだす楽しい幕切れですっかり帳消しになったのは幸いだった。
ありがとう、カンブルラン。次のコンサートを心待ちにしています。

 

 

 

クシシュトフ・ウルバンスキ ヴェロニカ・エーベルレ(ヴァイオリン) 東京交響楽団

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325日、サントリーホール)

 エーベルレのモーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第5番《トルコ風》」は、最近のモーツァルトの演奏様式であるヴィブラートをかけない端正・繊細だが、少し線の細い演奏。東響は8----2の編成。エーベルレと同じノンヴィブラートのクリアな響き。ウルバンスキはテンポ良く軽やかに進めていった。

 エーベルレのアンコールはプロコフィエフ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタニ長調 Op.115 2楽章より」。こちらは表情を大きく打ち出した。

 

 2年前武蔵野で聴いたエーベルレは、バルトーク、バッハ、シューマンというプログラムで、もっと多彩な表現の幅があった。ただその多彩さは自分の色ではなく上からなぞるようであり、先生のアナ・チュマチェンコの影響下にあるという印象を受けた。しかし、今日の堂々とした演奏は自己のスタイルを確立できていることを感じさせた。

 

 ウルバンスキによるショスタコーヴィチ「交響曲第4番」は、一言で言えばスタイリッシュでスマート。阿鼻叫喚・絶叫のショスタコーヴィチとは全く異なる表現だった。切れ味は鋭いがあっさりとした表情がある。

 

 ウルバンスキは展開部の弦楽器による高速フガートを鮮やかに決めた後、練習番号79の先の強奏的な序奏の再現、耳をつんざく不協和音の頂点も美しく響かせた。

 

 不満は第2楽章のコーダ。カスタネットとウッドブロックによる奇妙なリズムが印象的な部分だが、ここはもっと諧謔的にやるか、あるいは謎めいた雰囲気で終わってほしかった。

 

 第3楽章もすべてにわたり見通しが良くすっきりとしていた。練習番号167からの長大なスケルツォの展開とクライマックスは集中と緊張はあるものの、臓腑をえぐるような激しい表情はなく、すべてがショーケースの中に美しく陳列されているようだ。

 練習番号238からの二組のティンパニのファンファーレに始まる壮大なコーダや、245の最強のクライマックスも威圧感はない。最後にチェレスタで終わる不可思議なコーダとその後の静寂は安らぎを覚えた。

 

 東響は特にファゴットが素晴らしいソロを聴かせたほか、オーボエ、フルート、ピッコロ、クラリネット、イングリッシュホルンなど木管が良く、またトロンボーン、ホルン、トランペットも安定していた。ウルバンスキはヴィオラを最初に立たせたが、弦もまとまりがあった。コンサートマスターはグレブ・ニキティン。彼のソロもとても良かった。

 

 ウルバンスキの個性がよく表れたショスタコーヴィチは、こういう表現もある、という新鮮な発見があり、とても面白く楽しめた演奏だった。

写真:ヴェロニカ・エーベルレ(c)Felix Broede

 

 

 

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