(12月20日・サントリーホール)
大野和士と都響の演奏はこれまでとがらりと変わった。
これまで大野の指揮については辛口のレヴューを書いてきた。都響を相手に大野の指揮は力みが先行し、音楽がスムーズに流れず、どこか空回りしている印象が強かった。都響もギルバートやインバルあるいは他のゲストとはフレキシブルな演奏を聴かせるのに、大野が振るとどこかぎことなく固く感じられた。
今日はそれが一掃された。大野と都響の間にあった壁のようなものが崩れ、音楽の流れが良くなり、演奏に一体感と信頼の深さが感じられた。
きっかけは新国立劇場でのワーグナー「楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》」だったと思う。
オペラは、リハーサルから公演終了までの期間が長く、長期に渡り指揮者とオーケストラが一緒に過ごす。ましてや、ワーグナーの超大作である。お互いに良いことも悪いことも含めて、裸になり本音の対話、音楽づくりができたのではないか。都響も大野のオペラでの並々ならぬ手腕を目の当たりにして、その力量を改めて知ったのではないだろうか。
大野都響の演奏についても高い評価を得て《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は大成功に終わった。その成功が両者の深い信頼関係を生み出したに違いない。
前半はラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」。大野都響は信じがたい精度で阪田知樹にぴたりとつけた。
阪田知樹が若きヴィルトゥオーゾとも言うべき、素晴らしい演奏を聴かせた。大野都響は緊密な演奏で、阪田が弾く速度や強弱、表情のいかなる変化に対しても、信じがたい精度でぴたりとつける。どんなリハーサルがあったのだろうか。両者は阿吽の呼吸で文字通り一心同体となる演奏だった。
阪田は繊細な弱音から、ピアノ全体を豊かに響かせる強音まで、幅広いダイナミックとともにみずみずしく色彩感のある音を生み出す。第1楽章第2主題のロマンティックで広がりのある抒情性、展開部ピウ・ヴィーヴォの軽快なメロディの自由な表情、正にヴィルトゥオーゾ的なカデンツァ。これらの聴き所を滑らかなタッチで生き生きと弾いた。
第2楽章は、オーボエの吹く甘い主題を、細やかな動きで華麗に阪田が変奏していく。
第3楽章ではピアノは緩急自在に動き、阪田はオーケストラと共に雄大な演奏を繰り広げた。特に再現部後半、練習番号69からの阪田の豪快なピアノと、そこにかぶさる大野都響のアッチェランドしていく一気呵成のクライマックスは鳥肌が立つような感動を呼び起こした。
阪田の激しいカデンツァに続き、大野都響の分厚い音とウン・ポコ・メーノ・モッソで(少しテンポを遅くして)進むコーダの気高い高揚感には胸が熱くなった。ピアノとオーケストラはさらに激しくアッチェランドしてひとつになり、最後のプレストになだれ込んだ。ピアノとオーケストラがここまで一体となる演奏を聴くのは初めてだ。
沸き起こった大興奮の拍手が聴衆の感動の大きさを物語る。楽員全員の拍手と足踏みから、彼らが心から阪田の名演を讃えていることが伺える。大野も阪田をひたすら讃えた。
阪田のアンコールは、カール.ニールセン「メリークリスマスの夢」。
「きよしこの夜」冒頭の旋律が繰り返されるうちに変化していき、聴き手を夢の世界にいざなった。
ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 は作曲家の表情や心の内が伝わってくる凄絶な演奏
ショスタコーヴィチでは今の大野和士都響の真骨頂とも言うべき、凄絶な演奏が展開された。16型の都響に対して、大野は指揮台上で仁王立ちとなり、気迫のこもった、鬼気迫る指揮ぶりを見せた。
第1楽章展開部の暴力的なクライマックスでは、弦がうなり管は咆哮するが、大野は手綱をしっかりと引き締め方向をはっきりと示す。統率力がこれまでとは較べ物にならないほど強く発揮されていた。それは大野と都響の信頼の深さからきたものに違いない。
第2楽章、冒頭の荒々しい低弦の導入ではコントラバスの野太い音が際立つ。舞曲の噴き上げるような金管の音のすさまじさ。
第3楽章ラルゴでは、ショスタコーヴィチの心情がまざまざと感じられた。
ヴァイオリンの息の長い第1主題では作曲家が一人部屋で思いを深くしている場面が浮かぶ。フルートによる第2主題は部屋の冷気が感じられる。ラルガメンテのffが苦悩の深まりを告げる。
オーボエのソロが孤独に追い打ちをかける。グロッケンシュピールとコントラファゴットは諦念か。
弦が高まっていく中間部、第2ヴァイオリンの異常とも言うべき激しいトレモロは空前絶後。これは一体何だ?! チェロが弦も切れよと奏でる凄まじい第3主題とともに、これはショスタコーヴィチの怒りと抗議、断固とした決意の表れであることがはっきりと大野都響により打ち出された。
しかし、コーダはハープの音が癒しをもたらし、戦士への休息を与えるようだ。ここでは束の間の安らぎに人間らしさをとりもどした作曲家の顔が浮かんだ。
アタッカで入った第4楽章は闘争の始まり。練習番号106から117にかけての強烈なクライマックスで怒りが頂点に達する。最後にティンパニが叩きつけられ、シンバルと銅鑼が強打され、fffで全楽器が吠える。
その直後の急速な衰えは打ちのめされたショスタコーヴィチだろうか。ホルンが励ますものの、ポーコアニマートの高音の弦は悲鳴のようにも慟哭のようにも聞こえた。
しかし、しばしの休みの後立ち上がった作曲家は再び闘争に立ち上がる。ティンパニと小太鼓のリズムが戦いを告げる。
練習番号131からのコーダ。金管のファンファーレに対する木管と弦によるA音の強さは常軌を逸しており、特に弦は言語を絶するばかりの激越さで弾かれた。
最後は勝利ではなく、作曲家の体制への更なる闘いの意思表示、決意表明であるとはっきりと感じ取れた。深い痛みと悲しみを背負った絶望的な戦いであることすら感じさせた。
今夜のショスタコーヴィチ「交響曲第5番」の演奏は、大野和士と都響が新たなる道に向かう分岐点、ターニングポイントだったのではないだろうか。それはひとつの事件とも言うべきものであり、感動というような言葉ではとらえきれない、強烈で重いインパクトがあった。
都響は10月13日に大野和士の音楽監督の任期を2026年まで延長すると発表したが、両者が更なる高みに向かって猛進していくことを期待したい。
大野和士 音楽監督の任期を2026年3月まで3年間延長 | 東京都交響楽団 (tmso.or.jp)
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