ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」より4つの海の間奏曲
グライムズが裁判を受ける冒頭のプロローグと第1幕の早朝の間をつなぐ1.「夜明け」は、ヴァイオリンとフルートの高音、ハープ、ヴィオラ、クラリネットのアルペジオ、残りのオーケストラが奏でる波打つ音、以上3つの旋律が混ざり合う。
高関シティ・フィルの演奏は、それらを丁寧に弾き分ける。同時に物語の先行きを表す強い緊張感に満ちていた。
第2幕前の間奏曲、2.「日曜日の朝」は大きな鐘を表すホルン群と、小さな鐘を示す木管、弦、トランペット、フルートによる鳥の鳴き声、これらが高関シティ・フィルによりダイナミックな表情で演奏された。
3.「月光」は、グライムズの二番目の徒弟の死後、第3幕前の間奏曲。不穏な音楽が緊張を高める。
4.「嵐」第1幕第2場前の間奏曲。高関シティ・フィルの激しい嵐を描く演奏は迫力があった。コーダではグライムズが直前に歌った"What harbor shelters peace, away from tidal waves, away from storms?"「高波を避け、嵐を避け、平和を保ってくれる港はどれだ?」の旋律が痛切に響くが、それも嵐に飲み込まれてしまう。
2013年10月9日横浜みなとみらいで聴いたアンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団のスケールの大きな「嵐」は今も強烈な印象として残っており、それを超える演奏にまだ巡り合っていない。
ラロ:スペイン交響曲 二短調 作品21
戸澤采紀がソリストとして登場。オーケストラの「定期演奏会」に登場するのは今回が初めてだという。コンサートマスター戸澤哲夫のお嬢さんで、親子共演は三度目だそうだが、父は娘のことは一人の音楽家として見ており、それは戸澤采紀も同じ。二人ともプロフェッショナルな表情で堂々とした演奏を繰り広げた。
高関シティ・フィルは骨太の演奏。高関はヴァイオリンを弾いていたころ、この作品の第3楽章までは勉強したそうで、思い入れが大きいとプレトークで話した。
戸澤采紀は最初のふたつの楽章がやや緊張しているように感じられた。しかし、第3楽章ハバネラの音楽になると生命力が輝き始め、中間部の華麗な技巧も冴える。
幻想曲風の第4楽章も表情豊か。第5楽章フィナーレの踊りだしたくなるような主題を生き生きと弾き、ハバネラ風の主題もたっぷりと奏でた。演奏は熱く盛り上がっていき、長いトリルのあと一気にコーダになだれ込んだ。
戸澤采紀のアンコール、クライスラー「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス」がすごかった。レチタティーヴォの重音の濁りのなさ、アタッカで入るスケルツォの付点リズムの音の速いパッセージは正確この上ない。スピッカート(跳弓)も完璧。今の若手ヴァイオリニストはあたりまえに弾くのだろうが、それでも強烈な演奏だった。
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 作品56「スコットランド」
スコアの隅々まできっちりと聞かせる。第1楽章提示部も繰り返す。構造のしっかりとしたスケールの大きな演奏だった。
しかし、メンデルスゾーンの幻想性、ロマンティシズム、陰影の濃さ、そうした点に物足りなさを感じた。
高関はスコアに常に100%忠実で、作品そのものに語らせる誠実な指揮者だと思うが、時にそれが堅苦しく感じることもある。
もう少し情感豊かな演奏であってもいいのでは、もっとエンタテインメント的な要素を加えてもいいのではと思った。
マエストロ高関に対して僭越極まりない感想で申し訳ないが、思ったことを書かせていただいた。
東京シティ・フィルのコンサートは来るたびに聴衆が増えつつある。
飯守泰次郎、高関健、藤岡幸夫三人の体制が、それぞれの個性を生かしたプログラミングで聴衆の支持を増やしていること、高関健によりアンサンブルのレベルが向上していること、なにより楽員のひたむきな熱い演奏が聴衆を惹きつけているからだろう。
昔から応援しているオーケストラのひとつなので、とてもうれしい。ますますの発展を祈りたい。