(6月21日・サントリーホール)
ヴァイグレのブルックナー「交響曲第7番」。どこまでも明快で切れがいい。弦楽器も金管も音が研ぎ澄まされ、濁りがない。
第2楽章の弦は特に清透で澄みきっていた。シンバルとトライアングルが鳴り響くクライマックスもくっきりと見通しが良い。コーダのワーグナーテューバのハーモニーが柔らかく繊細に鳴らされる。
第3楽章スケルツォもすっきりとして、金管が爽快に鳴らされる。トリオも明るい響き。
第4楽章は速めのテンポで進む。
最後は第1楽章冒頭の主要主題で最高に高まり、コーダへ。
ヴァイグレはここでテンポを落とし、金管を強奏させながら決然と終えた。
指揮棒は止まったまま。フライング拍手もなく、静寂が長く続く。感動的な最後だった。
先週のドヴォルザークと同じく、16型の読響から切れの良い、混濁のない引き締まった響きを生み出すヴァイグレ。
前回のドヴォルザークで書いたように、ドイツの技術の粋を結集した最新型、最高級のベンツに乗るような、安定して揺るぎない構造と明解なブルックナーという印象。
ちなみに2年前の読響常任指揮者就任記念演奏会では第9番を指揮している。「音楽の友」のレポートでは、『ヴァイグレのブルックナー「交響曲第9番」は決然とした響きに包まれた名演。細部まで精密に練り上げられている。無数の動機が密集する第1楽章終結部の緻密さ、第2楽章スケルツォの引き締まった音、すべてが見通せるような明解な第3楽章アダージョは、ヴァイグレの非凡さを強く印象付けた』と書いていたので、今回と似た演奏だったことがわかる。
ヴァイグレと読響の会心の演奏であることは間違いない。一方でこれまでに聴いたブルックナー指揮者たちの名演、スクロヴァチェフスキ、ギュンター・ヴァント、ブロムシュテットとは異なる印象も受けた。彼らのようなブルックナーではないことにやや物足りないものを感じた。
スクロヴァチェフスキの禁欲的で雄大な演奏、ヴァントの澄み切った響き、ブロムシュテットの余計なものをそぎ落とした素のままのブルックナーとは異なり、ヴァイグレのブルックナーはもう少し現代的な気がする。素朴さや、何らかの神聖さというものは、ヴァイグレの指揮するブルックナーからはあまり感じ取れない。それがもうひとつブルックナーを聴いたという充足感が得られなかった要因なのかもしれない。
演奏自体の完成度の高さは素晴らしく、その点は感動となって押し寄せてきた。ヴァイグレのソロ・カーテンコールでは自分も立ち上がって拍手を送った。
前半は、ルディ・シュテファン(1887-1915)の「管弦楽のための音楽」が演奏された。第一次世界大戦で東部戦線に送られ戦死、わずか28年の短い生涯を終えた。標題はないが、R.シュトラウスの交響詩《死と変容》のような雰囲気がある作品。
ヴァイグレの明晰な指揮が作品にぴったりと合っていた。コーダは輝かしいが、切迫感が充満し、心臓の鼓動が一気に速まるような異様な盛り上がりで終わる。シュテファンの非凡さを感じた。