(6月29日・東京オペラシティコンサートホール)
2021年ショパン国際ピアノ・コンクール第2位およびソナタ最優秀演奏賞のアレクサンダー・ガジェヴのリサイタル。
オペラシティは完全に満席。ここまで空席のない光景は4年前の別府アルゲリッチ音楽祭東京公演以来だろうか。ショパン国際コンクールの影響力の大きさを思い知らされる。
コンサートが始まる前に、場内が暗くなり、ガジェヴのメッセージが最初は英語で(本人かも)、続いて日本語(女性のナレーター)で読み上げられた。
正確ではないが、聞き取った言葉を書いてみる。
『音楽は旅。音楽はことのほか特殊な言語。音楽の起源は言葉よりも前。言葉とは関係がない。読み書き話すことに忙しい現代人は音の世界に近づくのは難しい。光の前には闇があり、音の前には静寂がある。2分間の静寂を保ち、心を安らかにして、最後まで音楽の旅を経験してください』
間違いがあればご教示いただけたらありがたい。
同じようなメッセージは、ショパン国際コンクール直前、昨年7月8日浜離宮朝日ホールでのリサイタルでも読み上げられた。
そのさいのレヴュー↓
https://ameblo.jp/baybay22/entry-12697146241.html
最初の曲目はリサイタルと同じショパン「前奏曲 嬰ハ短調 op.45」
ピュアな高音の印象は同様。コンクール後のガジェヴの変化もあるのか、スケールを増したように感じた。
間を空けず、ガジェヴは2曲目のショパン「ポロネーズ 嬰へ短調 op.4」4を弾き始める。
ポロネーズ前半部分は力強く英雄的に弾かれた。マズルカの中間部はロマンティックな表情。ポロネーズに移行するさいの不気味さがポロネーズの再現の悲劇性を予言する。激情が高まり、大波が押し寄せるよう。ガジェヴの演奏からは一編の物語が聞こえてくるようだった。
前半の最後は
ショパン「ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35 《葬送》」
第1楽章はドラマティックでスケールが大きい。ガジェヴ自身の解説がプログラムに挟まれていたが、クライマックスはベートーヴェンの「熱情ソナタ」のそれと似ているという。その熱気を鎮める第2主題はベートーヴェンとは異なり、ショパンらしい甘美さを湛えている。
アタッカで入った第2楽章スケルツォ。破壊的で不気味な主部に対して、トリオをガジェヴはどう捉えていたのだろう。おだやかであることはわかるが、いまひとつ意図がつかめなかった。
第3楽章「葬送行進曲」の前半は追悼の気持ちがより感じられ、後半はよりダイナミックで希望が見えた。
昨年のリサイタルでも、中間部に最も強い印象を受けたが、今回も天国的とも言える安らぎが素晴らしく、この曲の演奏全体の中の白眉だと思った。
公演後に読んだガジェヴ自身の解説には、『ショパンはこのドラマの中にひとつのオアシスを作ったのです。この中間部はソナタ全体のクライマックスであると思います』とあった。ガジェヴの意図と自分の印象が合致したことがうれしい。
後半はシューマン「幻想曲 ハ長調 op.17」
ガジェヴのシューマンを聴くのは初めて。
第1楽章は導入部と第1主題、そして第2主題までは詩的で素晴らしかった。再現で情熱的に盛り上がっていくところから先は、シューマンにしては主情的(感情や情緒を中心とすること)ではない印象を受けた。
シューマンはクララに「第1楽章は、おそらく私がかつて作ったもっとも熱情的なものです─君のための悲歌」と伝えたという。音自体は極めて美しく詩的に響くところもあるが、ガジェヴの演奏は少し抑えた表情や客観的な視線が感じられ、聴き手として感情移入ができなかった。
第2楽章の第2主題は弾いている以上のことが伝わらず、前半と後半の行進曲ももっと心からの喜びを持って演奏してもいいのではという感想を持った。
第3楽章は後半が良かった。第1部の終わりから移行部のアルペッジョの詩的な表情、第1部の再現、そしておだやかなコーダまで、シューマンの愛と祈りの歌が高らかに歌われ素晴らしかった。
アンコールはショパン「24の前奏曲より 第4番 ホ短調」とドビュッシー「12の練習曲より 第11番《組み合わされたアルペジオのために》」。
ドビュッシーは作品の性格もあるだろうが、ガジェヴの別の面を知るような新鮮さがあった。ドビュッシーはガジェヴに合っているのではないだろうか。
ガジェヴはショパン・コンクールではShigeru Kawaiを使っていたが、昨年のリサイタルと今回はスタインウェイを弾いた。