(12月9日・サントリーホール)
『カーチュン・ウォンは天才的パティシエ』。これは日本フィルの首席トランペット、オッタビアーノ・クリストーフォリがウォンをパティシエに例えた言葉に天才的を加えたものだ。
パティシエはフランス語で「菓子製造人」。洋菓子の本場フランスでは、パティシエは医者と同じくらいステータスの高い職業とされており、パティシエになるためには国家資格が必要とされる。
クリストーフォリは、マーラーにおけるウォンの緻密な指揮をパティシエのミリグラムまで材料をコントロールする能力に例えたのだが、今日のショスタコーヴィチ「交響曲第5番」もウォンのマーラーと同じく、細部まで徹底的に目が行き届いており、そこまでやるのか!という驚異的な指揮だった。しかもそれが自然な流れの中で行われるため、厳格さや神経質さとは無縁であることが素晴らしい。
日本フィルの楽員全員がウォンに全幅の信頼を寄せ各自がベストを尽くすという演奏は、指揮者とオーケストラの理想を見るようだ。
日本フィルは16型。
第1楽章序奏主題は、キリリとして筋肉質。重厚だが重過ぎず素早い身のこなしがある。展開部最後の暴力的なクライマックスは、地面を持ち上げるような迫力があった。
第2楽章スケルツォの完成度と充実度は目を見張る。ウォンがタクトを地面に突き刺すように動かすと、コントラバスがうなりをたてて獰猛な響きを生み出す。ホルン首席の信末碩才率いるホルン隊の斉奏は、爽快にして雄大。コンサートマスター田野倉雅秋の中間部のソロも完璧。
第3楽章ラルゴは今日の白眉。3群に分かれるヴァイオリン、2群に分かれるヴィオラとチェロの精密さ、繊細さは驚くばかり。ハープに乗せて第2主題を歌うフルート(首席真鍋恵子)は凍てつく氷原のように澄み切ってひんやりとした感覚がある。音がどこか高いところから降りてくるようでもある。
一瞬盛り上がった後のオーボエのソロ(首席杉原由希子)、クラリネット(首席伊藤寛隆)も聴かせる。ファゴットとコントラファゴットの低音のあと、コントラバスの重低音が支える中、弦が強奏し、シロフォンが強打されるクライマックスは、威圧感や恐怖の叫びではなく、強烈だが音楽として聞こえてきた。コーダのチェレスタ、ハープの第3主題の回想と後奏、そして休止。
アタッカで入った第4楽章は、トランペット(首席大西敏幸)が快調。シンバルと銅鑼が鳴らされ金管が咆哮する最大の頂点まで快速で進む。外連味なく一気に進めた。第2部に入り、興奮を静めるようにホルンの信末が副主題を朗々と吹く。ヴァイオリンがピアニッシモで弾く第2主題の繊細なこと!
再び行進曲が始まる第3部、コーダの木管と弦のレ音の強奏は、特に弦が強烈にしかも磨き抜かれた音で鳴り響いた。結尾のティンパニと大太鼓の最強打音はテンポを落として決然と鳴らされた。最後の最後まで明晰で明快なショスタコーヴィチだった。
ウォンのショスタコーヴィチの5番から、暗闇から勝利へという単純な構図ではなく、よく言われるショスタコーヴィチの隠された意図を感じ取ることもできるだろう。しかし今日は、そうした政治的な意味よりも、ウォンの徹底的に明晰な指揮から生まれる新鮮な音楽そのものに大きな感銘を受けた。
前半の日本フィルは14型。最初に7月に惜しくも逝去した外山雄三を偲び、佐賀県唐津市民の委嘱で外山が作曲、日本フィルが初演した「交響詩《まつら》」が演奏された。カーチュン・ウォンの指揮により、唐津の美しい光景や「唐津くんち」の祭囃子が明るく描かれた。
2曲目はマリンバ奏者、池上英樹を迎えた伊福部昭「オーケストラとマリンバのための《ラウダ・コンチェルタータ》」。ウォンと日本フィルの切れの良い色彩感に富む演奏をバックに池上は作品にふさわしい、野性的とも言える骨太の音でソロをとっていた。ただ、マリンバの持つ音の多彩さや繊細な美しさをもう少し打ち出しても良かったのではないだろうか。その感想は、池上のアンコール「星に願いを」にもあてはまる。