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Channel: ベイのコンサート日記
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大野和士 都響 ツェムリンスキー:交響詩《人魚姫》ほか

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110日、サントリーホール)

 ツェムリンスキーの交響詩《人魚姫》の悲劇性が際立つ強烈な演奏だった。冒頭の海底の描写からただならぬ緊張に包まれる。第1楽章王子の船が嵐に巻き込まれる情景は凄まじい。金管は咆哮し、弦は荒々しく、木管は空気を切り裂く。一方で人魚姫の人間への憧れを表すロマンあふれるチェロの合奏は太く男性的だ。第2楽章人間の「不滅の動機」の強奏も緊張感が充満する。第3楽章での人魚姫の苦悩と、王子を殺して人魚に戻ることを選ばず身を投げる劇的な場面も救いがないほど重い。救済の結末に至っても、その暗く重い衝撃は消えることがない。
 この曲を「悲劇とその救済」と見れば、大野和士の指揮は極めて説得力があると言えるだろう。
 しかし、それだけではこの曲の魅力を言い尽くしたとは言えないのではないか。異なる解釈を大野和士に求めるのは、お門違いだろうが、あえて好みを言えば、「ファンタジー」「夢」「色彩感」がほしい。救済に向かう、包み込む優しさが聴きたい。
 ただ、ツェムリンスキー自身は、初演の批評「愛らしい」「心温まる」を嫌い、また作曲段階で弟子のシェーンベルクにこの曲を「死の交響曲」と呼んでいたと寺西基之さんが解説で紹介されているので、大野和士の解釈は作曲者の意図に忠実だと評価すべきかもしれない。

 

 前半には、R.シュトラウス組曲《町人貴族》が演奏された。最初はアンサンブルが固く、流れも良くなかったが、第4曲「仕立て屋の入場と踊り」のコンサートマスター矢部達哉の生き生きとしたソロから音楽に血が通いだし、以降木管のソロも金管も打楽器も、生気に満ちた演奏を繰り広げた。

写真:大野和士(c)Rikimaru Hotta

 


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