(3月8日、東京文化会館小ホール)
モーツァルトのソナタを演奏したことがあまりなかったという青木尚佳が、初めて組む津田裕也と共に、4曲を一度に弾く意欲的なプログラムに挑戦した。
モーツァルトが、ピアノの添え物だったヴァイオリンの役割を初めて重視した1778年の一連の作品K301~306の中からニ長調K306と、ウィーンに移住後1781年に書いたヘ長調K377を前半に置いた。後半は同じ年の作品ト長調K379と、モーツァルト円熟期の1787年の作曲、イ長調K526。
華やかなK306は出だしにふさわしい。快調な演奏。青木の演奏はまったく危なげがない。津田裕也は青木尚佳を立てる気持ちがあるのか、やや遠慮気味。第3楽章のピアノとヴァイオリンがからむ長いカデンツァも決まった。
2曲目を弾こうとしたとき、係員に誘導されて遅れて入場してきた方がいた。足が不自由なようで、着席に時間がかかった。青木は構えたヴァイオリンを下し、優しい表情で待っていた。そのあと弾きだしたK377の第1楽章アレグロは、ユーモアが感じられとても好ましいものがあった。第2楽章は主題と6つの変奏曲。これも完璧な演奏だが、何かが物足りない。ニ短調の楽章であり、もの悲しさが出るところだが、そうした感情があまり感じられない。第6変奏で再びニ短調にもどりシチリアーノのリズムになるが、ここも淡々としている。
前半の青木尚佳は模範演奏のようで、喜怒哀楽の感情があまり感じられなかったことが残念だった。モーツァルトの感情はロマン派のようにはっきりとしたものではないにせよ、陰影や襞が旋律の裏に隠れているのではないだろうか。
後半最初はK377。これはよかった。津田裕也のピアノも雄弁になり、前面に出てくる。ト短調の第2楽章アレグロになって、この日初めて深い情感を聴いた気がした。
最後のK526は堂々とした大作だ。ヴァイオリンとピアノの積極的なやりとりは、ベートーヴェンを思わせる。ここでの青木と津田の演奏はこの日最も充実したものだった。
青木尚佳のヴァイオリンは「うまさ」「技術」という点では、まったく安定しており、演奏のスケールも大きい。にもかかわらず、心や、思考に訴求してくるものは多くない。それはなぜか。楽曲の構造と組み立てを優先するため、そこに盛り込む感情、モーツァルトの時代背景や思想、あるいは音楽が与えるイマジネーションを創造することが、後回しになっているからではないだろうか。
例えて見れば、立派な家は建てたが家具や細かな身の回りのものの搬入が完成していない状況という段階なのだろう。
逆に言えば、ずいぶん大きな家を建てていると評価もできる。演奏のスケールは大きいのだから、そこに盛る内容の充実をこれから努力してほしいものだ。まだ20代の青木尚佳。これからの成長に期待しよう。
写真:青木尚佳(c)井村重人 津田裕也(c)Christine Fiedler