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Channel: ベイのコンサート日記
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ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン ニューヨーク・フィルハーモニック 五嶋 龍(ヴァイオリン)

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314日、サントリーホール)

 メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を弾いた五嶋 龍の演奏は、表現の幅が限られている。技術はあるが、訴えてくるものが少なく、胸に響かない。世界の一流オーケストラと互角に対峙するにふさわしいインパクトは感じられなかった。ただ、第1楽章コーダと第3楽章は、躍動感があった。この躍動感と若さをもっと強く主張してもいいのではないだろうか。 

ズヴェーデンとニューヨーク・フィルはニュアンスが細かい。特にピアニシモでの弦の表情が繊細なのはズヴェーデンがコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターだったことと、無関係ではないだろう。後半のプログラムが長いためか、五嶋 龍のアンコールはなかった。

 

マーラー「交響曲第5番」は、まるでスーパー・カーに乗せられているようだった。少しアクセルを踏むだけで、とんでもない加速が可能、桁外れのパワーを感じさせる。その上ミリ単位の精度で、正確だ。室内のインテリアは豪華極まりない。すべてを任せて、どこへでも行ける。天馬空を行くような気分にひたることができる。これほど機能的に磨き抜かれ、完成されたオーケストラを聴くのは、初めてかもしれない。

しかし、私は一体何を聴いたのだろうか。パワーと技術に圧倒されたことは間違いないが、ひたすら巨大で輝かしい「音響」を聴いていた気がする。マーラーはどこにいたのだろう?

 

個々のプレイヤーには最大限の称賛を送りたい。あれほど輝かしく豪華なトランペットを聴いたことはない。ホルンの首席も素晴らしかった。木管も生命力がある。クラリネット、オーボエそしてファゴット。ティンパニをはじめとする打楽器。弦は強靭で、爽やかだ。

 

ズヴェーデンの統率力と、オーケストラ・コントロールは見事。ニューヨーク・フィルも新しいシェフを迎え、意気が上がっていることを感じさせた。

アンコールのワーグナー「ローエングリン」第3幕への前奏曲は、まばゆいばかりの金管と豪華な弦に彩られていた。両者は、この先どういう音楽を追及していくのか。どの方向に向かおうとしているのか。聴き手として、彼らに何を期待すればいいのだろう。「音響」の先にあるものが、私にはまだ見えない。

 

写真:ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(c)Bert Hulselmans

 

 


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