ライナー・ホーネック(指揮・ヴァイオリン),
今井信子(ヴィオラ),
紀尾井ホール室内管弦楽団
曲目
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調KV364
モーツァルト:セレナーデ ニ長調KV250「ハフナー・セレナーデ」
アンコール:モーツァルト:マーチ 二長調 KV249
モーツァルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」は模範演奏のようにきちんとしているが、感興を呼び起こさない。ホーネックのヴァイオリンと今井信子のヴィオラはそれなりに美しいのだが、音楽全体としては活気がない。第2楽章最後の二人のカデンツァと、そのあとのオーケストラによる後奏が結局一番心に残った。
会場で会った知人に「どうしてあんなに学校の授業のようにつまらないのでしょう?」と話したら、苦笑しながら「指揮者がいないせいでは?弾き振りの場合、オーケストラはソリストに合わせようとするので音楽が小さくなりますね。私は弾き振りがあまり好きではありません。」という答え。これにはなるほど、と合点がいった。続いて彼は「紀尾井ホール室内管弦楽団はずっと聴いていますが、ホーネックはコンマスとして弾く時が一番いいですね。指揮者としてはいろいろ課題があるのでは?」と付け加えた。これも納得がいく。
知人の言葉は、後半のモーツァルト「セレナーデ ニ長調《ハフナー・セレナーデ》」で証明された。ホーネックがコンマスとして第1楽章アレグロ・マエストーソを始めると、「協奏曲交響曲」とは打って変わって音楽は活性化され、明るく生き生きとした響きが生まれる。ところが第2楽章アンダンテでホーネックが立ち上がり独奏ヴァイオリンを弾きながら演奏が始まると、とたんにオーケストラの音は後ろに下がり沈静化する。曲想の違いもあるが、紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏も活気が失われたように感じられる。第5楽章になり、合奏になるとふたたび活気を取り戻す。やはり弾き振りに課題がありそうだ。
もうひとつ気になったことは、紀尾井ホール室内管弦楽団の音色が暗く重い点だ。今回は千々岩英一がコンサートマスターだったが、以前からこうした響きだっただろうか。この響きの要因がホーネックの指揮からくるものか、オーケストラ自体の伝統なのか。次回聴くとき改めて確認してみたいが、室内管弦楽団としてもう少し明るく柔らかな響きは出せないものだろうか?
ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の、輝くばかりに生命力に満ち、優雅さと品位を持った音を懐かしく思い出した。
アンコールはモーツァルト「マーチ 二長調 KV249」。ホーネックが演奏前に紹介した言葉によれば『ハフナー家に集まった楽師たちはこの行進曲を奏でながら入退場した』とのこと。演奏が終わる直前、ヴァイオリンを弾きながらホーネックが袖に向かって帰り始めたので場内に笑いが広がった。
写真:ライナー・ホーネック(c)Kioi Hall, Tokyo