プログラムがヤブウォンスキの強い希望により直前に変更になったが、10曲中4曲は当初予定された曲だった。
ヤブウォンスキは1985年ショパン国際ピアノコンクール第3位。この年はブーニンが優勝、小山実稚恵が第4位、ジャン=マルク・ルイサダが第5位という激戦だった。
これまで二度聴いたが、2017年2月の新日本フィルと共演した時のアンコールが最も印象が強い。
『ショパン「ワルツ第2番」は、優雅さと沸き立つ喜びの背後に哀しみが影を落とす。「ノクターン第20番」は、ショパンが一人ピアノに向かう光景と窓の外の寂しい冬景色が浮かぶ。一篇の詩のようだった。』と感動を綴っていた。
今回は最前列で聴いたこともあり男性的な力強さが感じられた。ヤブウォンスキは感情の起伏を前面に出すタイプではないが、1曲目の「ポロネーズ第5番」はショパンの祖国への思い、怒りと孤独、悲しみが伝わってくるような熱の入った演奏。いったん袖に戻ったのは気持ちを落ち着けたかったのかもしれない。
次の「ワルツ第7番」「ノクターン第13番」は孤独なショパン像が浮かぶが、感傷的にはならず毅然とした強さを感じる。「エチュード第12番《革命》」は一気呵成に終えた。以上3曲は続けて演奏された。
「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」は得意としており、ショパン・リサイタルでは必ずと言っていいほどプログラムに載せる。大ポロネーズ部分は華麗で前半の最後を盛り上げた。
後半最初の「ノクターン第20番」は2017年ほどの深みがなかった。「スケルツォ第2番」はスケールが大きい。「舟歌」はたんたんとした演奏。「バラード第1番」は均整がとれている。最後に「ポロネーズ第6番《英雄》」で豪快に締めた。
アンコールは「4つのマズルカ第1番」のあと、J.S.バッハの「来たれ異教徒の救い主よ」を祈りのように厳粛に弾いた。彼のバッハを聴くのは初めてのこと。
ヤブウォンスキが来日する直前の1月13日、ポーランド北部グダニスクでパベウ・アダモビッチ市長が男に刃物で心臓を刺され死亡したことについてSNSで遺憾の意を表していたので、追悼の意味もあったかもしれない。