当初予定されたブラムウェル・トーヴェイ(バンクーバー響の音楽監督を18年続けた北米を代表する指揮者のひとり)が癌の診断を受け治療のために来日できなくなり、代わりに井上道義が指揮した。井上自身2014年咽頭がんでの闘病生活を乗り越えており、トーヴェイの代役は言うに言われぬ感慨があったのではないだろうか。
前半は先週も読響に登場したリュカ・ドゥバルグがラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を弾いた。井上道義は自分がリードするのだというように読響を豪快に鳴らし、繊細な表現を得意とするドゥバルグを圧倒する。ドゥバルグは井上&読響に引きずられているようだった。
ナナシとのサン=サーンスの協奏曲で聴いたドゥバルグの音色の美しさや細やかなニュアンスが激しいオーケストラの響きの中に埋もれてしまうのが残念だった。第3楽章展開部はテンポが速すぎて、スリリングかもしれないが、ラフマニノフがショーピースになってしまった。
ドゥバルグのアンコールはミロシュ・マギン(1929-1999)の「Nostalgie du pays」。マギンはポーランドのピアニスト、作曲家。ジャン=マルク・ルイサダの先生でもあった。この作品は子供たちのためにマギンが1982年に書いた「ポロネーズ小品集」("Miniatures polonaises"の私訳)の1曲で、マギンは愛犬Nossekに捧げたという。
youtubeに本人が弾く映像があった。
https://www.youtube.com/watch?v=ghqiXamtE3Q
後半は、ホルスト「組曲《惑星》」。ここでも井上道義は読響を最大限鳴らす。「火星、戦争をもたらすもの」は巨大なスケ-ル感があり、コーダなど読響でこれほどすさまじい総奏を聴いたことはないというほどの大音量で演奏された。
「木星、快楽をもたらす者」は二台のティンパニの迫力や、「ジュピター」のメロディで知られる中間部の讃美歌など、聴きどころがいっぱいでエンタテインメント性があり、表現の振幅が大きい井上の指揮が合っていた。
一方で、金管も木管も弦楽器も渾身の力を込めて演奏するため、例えていうならばオーディオでボリュームを上げすぎ音が飽和してしまうような印象も一方で受けた。音が団子状態になり奥行きや陰影、ハーモニーの美しさなどのニュアンスが減じられてしまう印象も受けた。
最後の「海王星、神秘主義者」の女声合唱はいつも読響に登場する新国立劇場合唱団はちょうど《トゥーランドット》の公演と重なっていたためか、昭和音楽大学の学生たちが担当した。合唱指揮は同大学の教授でもある山舘冬樹。2階LA席後方のドアが開けられ、そこから合唱が聞こえてきた。頑張っていたが、後半の高い音はさすがに難しそうだった。
面白かったのはカーテンコールでP席後方に出てきた学生たちの装いがそれぞれ私服だったこと。カジュアルな装いは授業の後そのままホールに来たような感じもあった。学生らしくていいと思ったが、せっかく晴れのステージなのできちんと決めても良かったのでは、などという感想も出そうだ。深読みすると、井上道義独特のユーモアで、「学生なんだから温かい目で見てね」という意味も込められていたかもしれない。