4月17日(土)・サントリーホール
指揮=原田慶太楼
ヴァイオリン=服部百音
コンサートマスター=グレブ・ニキティン
原田慶太楼の東京交響楽団正指揮者就任記念コンサート。原田への期待の大きさを示すようにほぼ満席。記念コンサートにふさわしい大成功で素晴らしい門出となった。レヴューの前に原田自身が語る今回のプログラミングの意図を紹介したい(プログラム12-13p)
それによると原田は今、作曲家が自分と同じ年に作曲した作品に興味があるという。36歳のバーンスタインが書いた「セレナーデ」をまず決め、次にほぼ同時期に初演され、「人物」を題材とする共通点でショスタコーヴィチ「交響曲第10番」にしたという。人物とは、今では疑問視されている「ショスタコーヴィチの証言」にあるスターリンのことだろうか。あるいは音型の出てくるショスタコーヴィチ本人か教え子のエルミーラ・ナジーロヴァのことか。どちらかまでは書いてない。ディケリは吹奏楽以外、日本で注目されないので取り上げたという。
コンサートについて。
1曲目ティケリ「ブルーシェイズ」。作曲者自身は曲名について『ブルースを示唆したものでジャズらしさが散りばめられているが、ブルースではない。ただブルーノート(3度、7度、5度を半音ずつ下げたもの)を多用した』と語っている。
前半と後半が乗りの良いジャズ調の作品(中間部はブルージーで退廃的な雰囲気)を原田&東響は、特に後半を作曲家も唖然とするであろう、突き抜けた勢いのある演奏で再現した。クラリネット首席のエマニュエル・ヌブーが、ビッグバンドでのソロのように立ち上がり、狂乱の1920年代アメリアの馬鹿騒ぎを思わせる、弾けきったアドリブ調で吹きまくった。最後は「はいそれまでよ」であっさり終わるのも面白い。
2曲目はバーンスタイン「セレナード(プラトンの『饗宴』による)」
饗宴(シシュポシオン)は、ともに杯をかわす酒宴。古代ギリシアの哲学者プラトンの著書。副題は「エロスについて」。詩人アガトン宅に集まる教養人の演説で進行する。
服部百音の繊細で強靭なソロと、原田の洗練されたきめ細かさと激しさを備えたバックがひとつになる名演。
第1楽章の愛の神エロスを讃えるファイドロスの抒情的な序奏を服部は繊細に奏でる。
医師エリュキシマコスが語る愛の科学的な見地を表す第3楽章では、原田&東響のフガートでの切れが見事。
今夜最高の演奏だと思ったのは詩人アガトンが愛の力、魅力、仕組みについての感動的なスピーチを表す第4楽章。服部の極美のヴァイオリンに寄り添う、原田&東響の繊細極まる演奏に息を呑んだ。
鉄槌のような鐘の音がその静寂を破り、ソクラテスが巫女ディオティマから聞いたという愛の悪魔学についての言葉をそのままのべる重厚な第4楽章が始まる。
ディオティマは言う。愛は美しいもので、エロスは美を求めていく。それは外見から内面へ、さらに肉体や心からも離れ、最後は美そのものを観照するに至ると言う。ヴァイオリンのソロが奏でる深刻な音楽が、今度はソクラテスも惚れてしまうアルキビアデスという容姿端麗、頭脳明晰な青年の乱入で一変する。
ここからはリズミカルなジグのような舞踏音楽に変る。ここは原田が最も得意とする場面。聴き手の身体も音楽に誘われ、身体が浮き上がるような感覚になる。スピーディーな服部のヴァイオリンと打楽器総動員のコーダは華やか。
服部のヴァイオリンは一見、線が細いが、強靭さを秘めているので、ヴァイオリン特有の良く伸びる高音が常に客席まで届く。
服部のアンコールはエルンスト「魔王」。シューベルトの「魔王」を原曲とする難曲を服部はほぼ完ぺきに弾いた。バーンスタインで力を使い果たしたかと思っていたので、まさかこういう超絶技巧曲をアンコールにもってくるとは予想しなかった。
後半はショスタコーヴィチ「交響曲第10番 ホ短調」
テミルカーノフ、ゲルギエフ、ビシュコフに憧れ、彼らが学んだサンクトペテルブルク音楽院に毎年行き指揮法を学び、モスクワ交響楽団でデビューするなどロシアが大好きな原田にとってショスタコーヴィチは、身近な存在だろう。
しかし、実際出てくる音楽はロシア的な大地の香りや、あるいはショスタコーヴィチのイメージの暗さや重さとは異なる、ステレオタイプな言い方になるがアメリカ的でカラリとした、爽快なショスタコーヴィチだった。細部まで彫琢された緻密さがあり、勢いだけの演奏とは異なる。
第2楽章アレグロの切れとエネルギーはすごい。第4楽章コーダの迫力と輝かしさも素晴らしい。
楽員の集中力は、半端ではなく、ジョナサン・ノットとの一期一会の演奏を思い出す素晴らしい演奏。
ホルン、オーボエ、ファゴット、フルートのソロはまさに名人芸。なかでも第3楽章で何度も登場するエルミーラの音型を吹くホルン首席大野雄太は、正確な音程と輝きのある響きでずば抜けていた。原田が終演後二度彼を立たせた気持ちがよくわかる。オーボエの荒木奏美のソロも冴えまくっていた。弦も全員の気迫が感じられた。コントラバス首席には都響の池松宏が入っていた。
爽やかな後味を残す演奏であり、今の原田慶太楼の若さと勢いそのもののような音楽を充分楽しむことができた。望むことができるなら、そこにショスタコーヴィチの音楽が持つ毒や闇をピリリと効かせてくれたなら、今夜の演奏はさらにエキサイティングで感動的なものになったのではないだろうか。