(1月27日、すみだトリフォニーホール)
モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は歌心に満ち、内から起こってくる勢いがあって流れもよい。ダウスゴーはタクトよりも、身体全体を使って指揮、ダイナミック・バランスやフレーズのニュアンスを細かくオーケストラに伝える。それに新日本フィルもよく反応する。10型のオーケストラということもあり、透明感のある響きですっきりとしている。この特長は後半のマーラーにも生かされていた。ダウスゴーのモーツァルトは初めて聴くが、様式感があり正統的。オペラは指揮していないようだが、彼の指揮するモーツァルトのオペラをぜひ聴いてみたいと思わせる。
後半のマーラーは14型対抗配置で、16型の大鑑主義のような厚ぼったさや音の混濁はなく、最大音量の総奏でも各楽器がバランス良く聞こえてくるのには驚嘆した。勢いに乗った興奮ではなく、作品の構造が明確にわかり、どの声部もくっきりと輪郭がつけられた明解な指揮。ダウスゴーは、オーケストラというものを真底から知悉している。
新日本フィルはここ最近のなかでは最も力のこもった集中した演奏で、特にマーラーに欠かせない金管が素晴らしかった。トランペットの服部孝也は、最初の主題から「突然テンポを速め、激情的に荒々しく」と書かれた中間部でも見事なソロを聴かせた。ホルンの吉永雅人もこの日はほぼ完ぺきで、第3楽章スケルツォでの何度も出る朗々としたテーマを雄大に吹き、ダウスゴーもこの二人を特に讃えていた。トロンボーンの山口尚人もまた力強い演奏で気を吐いた。木管群もクラリネット重松希巳恵、ファゴット河村幹子、オーボエ古部賢一、フルート荒川洋が要所を締めた。弦楽器は西江辰郎がコンサートマスターでまとまりがよく、中でも第2楽章展開部でのティンパニのかすかなトリルの上でゆっくりと抒情的な旋律を奏でるチェロ群の深い響きは忘れがたい。白熱したコーダではオーケストラの集中力も一段と飛躍し、聴く者を別世界に連れていく最高の高みに達した。
新日本フィルが本当に飛躍するためにはカリスマ性と人間性、音楽性を兼ね備えたダウスゴーのような指揮者こそ今最も必要とされているのではないだろうか。
(c) Per Morten Abrahamsen