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Channel: ベイのコンサート日記
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パーヴォ・ヤルヴィ N響 オペラ「フィデリオ」(演奏会形式)

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829日、オーチャードホール)
主役5人が揃いも揃ってこれほど素晴らしい「フィデリオ」が聴けるとは!

「レオノーレ」序曲第3番は、第2幕冒頭に演奏された。こういう例は少ないのでは。

フィナーレは最高の盛り上がり。
「音楽の友」11月号のコンサート・レヴューに書くので、詳しく書けないのが残念です。

9月1日の公演、もしチケットが買えるようでしたら、ぜひ。おすすめです。

公演詳細はオーチャードホールのサイトをご覧ください。

https://www.bunkamura.co.jp/orchard/lineup/19_fidelio/

 


親友のマエストロ、ラルフ・ワイケルトさんと、ザルツブルク音楽祭総裁、マルクス・ヒンターホイザー

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親友のマエストロ、ラルフ・ワイケルトさん(左)と、ザルツブルク音楽祭の総裁、マルクス・ヒンターホイザーさん(右)との2ショット。

ヒンターホイザーさんとは、ちょうど4年前、小澤征爾80歳記念コンサートの後、松本のホテル、ブエナビスタのバーで、偶然お会いしました。その場には、ナタリー・シュトウットマンとマテイアス・ゲルネも一緒でした。

シュトウットマンの友人から、ヒンターホイザーさんは有名なピアニストよ、と紹介してもらったのですが、恥ずかしながら当時ザルツブルク音楽祭の総裁とは知らずに、タメ口で気軽に話してしまい、今思えば冷や汗。私の肩をポンと叩いて部屋に帰って行かれました。

マエストロとヒンターホイザーさんが一緒の写真を見ると、

世界は狭いなと思います。

 

マエストロ、ラルフ・ワイケルトの本が間もなく発売されます。

なお、表記はヴァイケルトになっています。

 

『指揮者の使命—音楽はいかに解釈されるのか』

指揮者と指揮者をめざす方、そして音楽を愛する方に……

ラルフ・ヴァイケルト=著 井形ちづる=訳 水曜社発行

A5 変型並製 本文172 ページ 2,200 2019 9 月中旬発売

 

詳しくは別途ご紹介いたします。

 

I happened to meet Markus Hinterhäuser, Intendanten of the Salzburg Festival, at the Hotel bar in Matsumoto, after the Celebration Concert of Seiji Ozawa 80th Birthday on September 1 2015.

He was there with Nathalie Stutzmann and Matthias Goerne.

I'm happy to see this picture that one of my close friends Maestro Weikert and Hinterhäuser together.

大野和士 ヴェロニカ・エーベルレ(ヴァイオリン) 都響 ベルク「V協奏曲」ブルックナー9番

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93日、東京文化会館大ホール)
 ベルクのヴァイオリン協奏曲と、ブルックナー「交響曲第9番」を組み合わせた大野和士の意図は、後者について語る大野のこの映像でよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=pVthGbdl_WU

 

 同時に、なぜ大野が激烈で荒れ狂うようなブルックナーを聴かせたのかも、理解できた。大野によれば、第7番、第8番までと、第9番を書いたブルックナーは大きく異なるという。

 

詳しくは映像を見ていただきたいが、マーラーやシェーンベルクを10年以上先取りするような不協和音の多用や、無調に近い音楽が第9番で展開されており、死を前にしたブルックナーが、それまでと違う暗黒の世界をのぞいたのではないか。これまで神のように仰ぎ見ていた巨峰の裏側までも、描こうとしたのではないか、というのが大野の推察だ。

 

実際の演奏の印象として、常に前へ前へと追い立てられるような切迫感にはただならぬものがあり、それが従来のブルックナーにある悠然と前に進む巨大な世界とは、かけ離れたものに感じられた。そうしたものを期待していた私には、大野の指揮は全く受け入れがたいものがあった。大野和士のビデオを事前に見ていれば、拒否反応は起きなかったかもしれないし、多少はやわらげられたことだろう。

 

不協和音や無調が登場する第9番が、それまでのブルックナーとは異形である、という大野の指摘は正しいのだろう。とはいうものの、果たしてその解釈で良いのだろうか、という疑問は消えてはいない。それは、これまで数多く聴いてきた様々な指揮者をさかのぼると、今回の大野のようなブルックナーを聞かせた指揮者が思い浮かばないためだろう。それだけブルックナーのイメージが自分に浸透しているためかもしれない。 

 

さかのぼれば、ヴァイグレ、ブロムシュテット、インキネン、ノット、飯守泰次郎、ハイティンク、ノット、ハイティンク、ケント・ナガノ。もっと以前ならヴァントの最後の来日公演など。

ただ、ノットの第2楽章スケルツォの激烈さは常軌を逸するものがあり、ひょっとして彼も大野の同じような世界を見ていたのだろうか。例外として、インバルがいるが、彼の指揮は絶対音楽そのもので、音の運動性のブルックナーという印象だった。

 


 好き嫌いは別として、ブルックナー「交響曲第9番」には、こういう世界が秘められているという、大野和士の解説は非常に勉強になった。

 

前半のベルク「ヴァイオリン協奏曲」はヴェロニカ・エーベルレが安定した演奏を聴かせてくれた。揺るぎないテクニックに裏打ちされた多彩な表現力は、聴き手を安心感で包み込み、ベルクのロマン性を充分味わうことができた。

 

この作品を書く直接のきっかけとなった、アルマ・マーラーとグローピウスの間に生まれた少女マノンの、優しさ、繊細さ、機知を描く第1楽章から、マノンの死との葛藤の悲劇、マノンを悼むコラール、そして天国に召されるマノンを描いた第2楽章まで、エーベルレの演奏は間然とするところがなかった。大野&都響も、木管のコラールをはじめ、よくエーベルレを盛り立てていた。
 





 

上岡敏之 新日本フィル ブルックナー「交響曲第7番」(ハース版) 

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95日、サントリーホール)

 ものすごく精緻なブルックナー交響曲第7番。上岡らしい繊細なピアニッシモ、息の長いフレーズの旋律線。考え抜かれた金管と木管のバランス。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの中低音の神経を行き渡らせた響き。1小節たりとも気の抜けない70分だった。あまりにも濃密なため、細かく全部を追いきれない。聴く方ですらこの状態なので、楽員の集中力も限界を超えていたかもしれない。

 

 第1楽章冒頭の弦のトレモロはやっと聞こえるかどうか。ヴァイオリンの弓は止まっているように見えた。しかしまもなくチェロとホルンによる第1主題が聞こえてきたので、確かにトレモロが奏されたのだろう。

 

 第1主題、第2主題は、いずれも息長くフレーズがなめらかにつながっていく。第3主題の総奏は、ハーモニーが美しく溶け合う。展開部のチェロの響きも美しい。全てに渡って上岡の美意識が浸透している。
 コーダでは、練習番号Zからのfffのティンパニの重みのあるトレモロを十二分に引き出し、最後は腹に響くトゥッティの一撃で締めくくった。

 

 第2楽章アダージョは上岡の指揮の特長が最大限に発揮された。とにかく旋律線が長い。弾く方も聴く方もその息の長さ、なめらかにいつまでも続く稜線についていくのが大変だ。

ハース版を使用したため、頂点ではシンバルやトライアングルは鳴らされない。上岡の透明感のあるブルックナーには、ハース版がふさわしい。最後の金管のハーモニーは美しかった。ワーグナーテューバは大健闘だった。

 第3楽章スケルツォは、弦の刻むリズムがきめ細かく響きが良い。トリオは、伸びやかで息長く歌う。

 第4楽章フィナーレでは、金管主体の第3主題をしっかりと鳴らす。第2主題のピッツィカートもいい響きだ。ただ、ホルンやワーグナーテューバは、疲れのためか瑕疵が目立った。

コーダでの弦の渾身のトレモロをはじめ、楽員のエネルギーの噴出はすさまじく、終わったあとのブラヴォも、最近の新日本フィルの公演の中ではもっとも多かったのではないだろうか。

 

 前半はシューベルト「交響曲第4番《悲劇的》」。今季新日本フィルによるシューベルト交響曲ツィクルスの第1弾だ。これは「歌、歌、歌」。よく歌うシューベルトだった。

 

上岡は「音楽の友」7月号の私のインタビューに際して、『シューベルトは起承転結の詩のフレーズと音楽のフレーズを融合させました。音符に隠されたもの、音符がどうやってできてきたかという音楽のルーツがシューベルトの中にぎっしりと詰まっています。』と話してくれた。

 

ちなみに《悲劇的》とブルックナーを組み合わせた意図は、『「第4番《悲劇的》」ではシューベルトが悩んでいます。カトリック教徒だからきっと教会に救いを求めたでしょう。ですから同じカトリック教徒のブルックナー「交響曲第7番」と組み合わせました。』とのことだった。

 今日のブルックナーの息の長いよく歌う演奏や、ひとつひとつのフレーズにも、上岡がシューベルトを通してドイツ音楽の源流をさぐり、それを新日本フィルの演奏に生かすという意図が、うまく働いていたように思えた。今季の上岡と新日本フィルの演奏会は聞き逃せない。

 なお、9月8日(日)14時から、横浜みなとみらい 大ホールでも、同じプログラムの公演がある。サントリーホールの瑕疵が修正され、更なる名演になるのではないだろうか。当日券もあるようなので、ぜひ足を運ばれてはみてはいかがでしょうか。

 

写真:上岡敏之()大窪道治

 

山田和樹 日本フィル 田野倉雅秋(ヴァイオリン) 

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(9月6日、サントリーホール)

 サン=サーンス「歌劇《サムソンとデリラ》より<バッカナール>」は、山田の思い切りのいい、色彩感豊かな指揮が爽快。日本フィルの音が、いつも以上に洗練されて聞こえた。フランス音楽に対する、山田の感度の良さが良く出ていた。オーボエ首席、杉原由希子のソロは、エキゾティックな曲想をよく表現していた。冒頭の弦のピッツィカートが微妙にずれたのはご愛嬌。

 

 間宮芳生の「ヴァイオリン協奏曲」は、1959年日本フィルの委嘱作品第2作。同年6月24日第16回定期演奏会で、松田洋子のヴァイオリン、渡邉暁雄の指揮で初演された。今回のソリストは、9月から日本フィルのコンサートマスターに就任する田野倉雅秋。艶やかな美音で、35分の大曲を見事に弾き切った。山田和樹&日本フィルのバックも、色彩感のある音で、華やかに盛り上げた。山田の指揮で聴くと、カラリとした乾いた音楽になり、日本的な湿った情緒がやわらげられるように思った。

 

 60年前に書かれた作品の時代感覚は全体的に感じられ、第2楽章の行進曲風な箇所など、バルトークやプロコフィエフ、あるいはショスタコーヴィチの影響もあるように思われた。同じようなフレーズの繰り返しは、その先に展開していかないもどかしさも感じるが、あえてそうした音楽を書いた間宮の、何らかの思いが込められているのかもしれない。

 

 第3楽章インターメッツォの日本のわらべ歌風の旋律は、全体の中では異形に思うが、間宮はあえて脆弱なわらべ歌を、厳しい現実を思わせる他の楽章と対比させることで、弱きものもやがて輝かしい強さを抱けるようになる日を期す、という意志を示したという趣旨を、こう述べていた。


『本来最も生き生きと健康にうたわれるべき、わらべうたが、ひよわに、かなしげに、しかも短く中断されるかたちであらわれる。インターメッツォのテーマは、ひなのうたであり、それは、悲しく、ひよわなわらべうたを抱いている。それは、現実世界に抗しがたく見える、そして分断されたひなのうたを、わらうような、圧力としてのテーマの間にはさまれてうちひしがれている。私は、その外に立っている。プレリュードと、フィナーレの後半は、いわば私の姿勢といえるかもしれない。私の安全地帯から、ふみこんで、ひなのうたの明るく、わらべうたの健康ないぶきをふきかえす力を私はもちたい。』

 

 演奏後、山田が客席にいた間宮芳生をステージに招くと、矍鑠とした90歳の作曲家がステージに上がり、田野倉と山田、日本フィルを拍手で讃えた。その姿は感動を呼んだ。

 

 後半は、日本フィルが大島ミチルに新しく委嘱した「Beyond the point of no return」。

10分ほどの作品で、「引き戻せないところまで来た人や自然や環境、それを超えた先に何が待っているのか?」という意図をこめたという。混沌とした音楽がカタストロフィで終わるという内容で、人類の未来は明るくないように思われた。大島もまたステージに呼ばれた。


 興味深かったのは、大島作品に、最初のサン=サーンス<バッカナール>に似た曲想が登場すること。まったくの偶然だったらしいが、何かしら縁のようなものを感じた。

 

 最後は、ルーセル「バレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第1・第2組曲」。山田和樹はスイス・ロマンド管弦楽団とこの曲を録音しており、自家薬籠中のごとく、色彩に富む、確信に満ちた指揮を展開した。ただ、プログラム全体がヘヴィーだったため、日本フィルにも疲れがあったように思えた。

 それでも、素晴らしいチェロ(菊地知也)やヴィオラ(ゲスト:中 恵菜、なか めぐな)のソロ、金管の大活躍、など日本フィルは持てる力のすべてを出し切る熱い演奏を繰り広げた。

 

写真:() )Marco Borggreve

 



 

『指揮者の使命ー音楽はいかに解釈されるのか』(水曜社刊)が9月25日に発売!

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マエストロ、ラルフ・ワイケルトさんの著書(本ではドイツ語表記のヴァイケルト)
『指揮者の使命ー音楽はいかに解釈されるのか』(水曜社刊)が9月25日に発売されます。
副題に「指揮者と指揮者をめざす方、そして音楽を愛する方に……」とあるように、専門的であると同時に一般の音楽愛好家にも興味深い内容になっています。章立てを見ると、非常に具体的な内容のようです。価格も税込み2376円とお手頃に設定されています。
詳しくは、アマゾンのサイトをご覧ください。

 
マエストロは、10月11日(金)、京都コンサートホール大ホールで、京都市交響楽団を指揮、モーツァルト「交響曲第35番《ハフナー》K.385」、ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」を演奏します。公演後著書のサイン会も予定されていますので、関西の方をはじめ、この機会にぜひ会場に足をお運びください。私も聴きに行く予定です。
マエストロから、メッセージが届きました。
What the concert in Kyoto is concerning I am glad to have the opportunity to show myself as a conductor of the music of my homeland, the region where Bruckner was born and I was born. The landscape of the „romantic“ symphony nr.4 is my landscape, the music is a true image of the alpine forests, the mountains, the gentle breeze whispering, the birds and finally the majestic sound of Bruckners organ.
『京都でのコンサートで、ブルックナーが生まれ、私が生まれた故郷の音楽を指揮者として披露できる機会を得て、大変うれしく思っています。ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」》の風景は、私の風景です。それは、アルプスの山と森、穏やかな風、鳥のさえずり、そして最後にブルックナーの雄大なオルガンが鳴り響く音楽です。』

https://www.amazon.co.jp/指揮者の使命-音楽はいかに解釈されるのか-ラルフ-ヴァイケルト/dp/488065471X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%80%8E%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BD%BF%E5%91%BD%E2%80%94%E2%80%94%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%8F&qid=1567920258&s=books&sr=1-1
章立て:
Ⅰ.専門教育と活動 (指揮者になるための条件 、指揮は修得するもの、 カペルマイスター、 命を吹き込む )
Ⅱ.スコアへのアプローチ (アプローチの方法 、形式とテンポ、
テンポと拍子、スコアの不可侵性、アーティキュレイションと強弱
リハーサルにおける細部の打合せ )
Ⅲ.オペラの指揮とコンサートの指揮 (歌劇場とコンサートホール、
指揮のテクニック 、自己理解 )
Ⅳ.声と楽器 (手本は声 、カンタービレとベルカント 、アンサンブル )
Ⅴ.空間と編成 (コンサートホール、 オーケストラの配置と編成、
デュナーミク、 暗譜して指揮すること )
Ⅵ.歴史と現在 (いまどきの指揮者 、レパートリー 、専門性 )
Ⅶ.リハーサルと本番 (準備、 予測不能なこと 、演出 )
Ⅷ.ベルカントとヴェルディ (イタリアの伝統、 ドニゼッティ 、
ヴェルディ )
Ⅸ.ヴァーグナーとシュトラウス (ヴァーグナーのオーケストラ 、
楽譜について 、心理的ポリフォニー )
Ⅹ.モーツァルト (伝統におけるモーツァルト 、楽譜の有用性
《フィガロの結婚》 話し言葉とレチタティーヴォ )




 

イケメン、カウンターテナー ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキをご存じですか?

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友人の娘さんがブカレストの教会で、ヴィヴァルディの「ジュスティーノ」(演奏会形式)に、オーボエ奏者として参加したと聞き、ヘンデルの「ジュスティーノ」はベルリンのコーミシェ・オパーで聴いたことはあるけれど、ヴィヴァルディは知らないと返事。
音源をyoutubeで探していて、このイケメン、カウンターテナーを見つけました。
ヤクブ・ヨゼフ・オルリンスキ(Jakub Józef Orliński, ポーランド)。再生回数が物凄い。なんと400万回!
ご存じの方はいらっしゃいますか?

https://www.youtube.com/watch?v=yF4YXv6ZIuE

It should be forbidden to have that face and that voice in one. Somebody, please, help me stop hearing and watching him again&again&again..
『これって反則じゃない?こんなにイケメンで声がステキなんて。誰かお願い、助けて。だって彼を何度も何度も聞き、見るのが止まらないんだもの。』というギャル(死語(-_-;))の書き込みも笑えます。

セバスティアン・ヴァイグレ指揮 読響 アルバン・ゲルハルト(チェロ)

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(9月10日、サントリーホール)

 ヴァイグレと読響の演奏は、これまで聴いた中で一番息が合っていた。特にハンス・ロット「交響曲第1番」は、自筆譜をもとに400箇所以上も修正した改訂版楽譜を作成、演奏会とCDを録音するほか、10以上のオーケストラで演奏したというほど、ヴァイグレがひとかたならぬ愛情をそそぐ作品であり、力も入っていたのだろう。ヴァイグレと読響の黄金時代を予感させる名演だった。

 

 ハンス・ロット「交響曲第1番」はワーグナーやブルックナーの影響が、はっきりと出ているが、一方でマーラーに多大な影響を与えた作品でもあり、第4楽章など、マーラーが「復活」を作曲する際、参考にしたことがうかがえる。

 

 ヴァイグレの丁寧で細部まで完璧に練り上げられた指揮は、作品が置かれた歴史的な位置と背景、ロットの作品のもつ独自性と異様なエネルギーを、明確に浮き彫りにした。この作品の真価を初めて知ることができたという感動があった。

 

 素晴らしいヴァイグレの指揮に応える読響の演奏が良かった。ハンス・ロットの交響曲はこういう響きであるべきだ、というヴァイグレの求める音を、見事に実現していた。一番印象に残ったのは、ホルン首席日橋辰朗の演奏。森の奥深くから響いてくる角笛のように、作品にふさわしい響きをつくっていた。

 

 前半は、プフィッツナー「チェロ協奏曲」イ短調(遺作)。プフィッツナー(1869-1949)はR.シュトラウスと同世代で、没年も同じ。この曲は20歳ころ書かれたが、1975年まで埋もれていた。初演は1977年。

 

 2楽章、23分前後の曲だが、どこに向かおうとしているのか、判然としない不安を抱かせる点で、どこかハンス・ロットの音楽と共通するものを個人的には感じた。ロマン派時代の語法にしがみつき、その呪縛から逃れられないような、堂々めぐりに陥る感覚も味わった。

 

 ソリストは1969年ベルリン生まれのアルバン・ゲルハルト。ヴァイグレとはプフィッツナー「チェロ協奏曲集」の録音もある。朗々とよく響くチェロだった。アンコールはJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番より「プレリュード」。伸びやかで滑らか、爽やかな風が吹き渡るような演奏が、この日の蒸し暑さを忘れさせた。

セバスティアン・ヴァイグレ:()読響

アルバン・ゲルハルト:()Kaupo Kikkas


 


英国ロイヤル・オペラ2019年日本公演 初日 グノー「ファウスト」

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(9月12日、東京文化会館大ホール)

 主役の一人、ファウストのヴィットリオ・グリゴーロ(テノール)が好調で、第1幕の「私に快楽を!」から声を全開、終始公演の牽引役を務めていた。第3幕「この清らかな住まい」の弱音も良かった。


 グリゴーロは、終演後大きなバスケットにアレンジされた花が持ち込まれると、歓喜の声を発しながら(何を叫んでいたが意味不明)プロンプターボックスの上に置いた。カーテンが降りても花が見えていた。出演者全員が手をつないで舞台前面に出るカーテンコールの際も、叫びながら皆の手を引っ張っていた。そうした仕草に、グリゴーロの初日に込めた気合を感じた。
 

メフストフェレスのイルデブランド・ダルカンジェロは、前半はやや抑え気味のようだったが、第3幕のマルト(キャロル・ウィルソン、メゾ・ソプラノ)とのユーモラスなやりとりあたりから、調子をあげていき、第4幕でマルグリートを地獄へ貶める場面では、迫力ある歌唱で本領を発揮していた。


 マルグリートのレイチェル・ウィルス=ソレンセン(ソプラノ)の声は、力強さや声の伸びはあるものの、こもり気味な発声は個人的にはちょっと苦手。第3幕「トゥーレの王」は合っていたが、「宝石の歌」はもう少し軽やかさがあるほうが、好きだ。

ソレンセンは日本に来る直前、バイロイト音楽祭のオーディションを受けたという。ワーグナーの楽劇やオペラの歌手には合っているように思う。

 

ヴァランタンのステファン・デグー(バリトン)は、安定していて素晴らしい。

 

オーケストラはとても上質な響きで品がある。控えめだが、弦はシルクのよう。木管もよく歌い、音色が美しい。金管も渋みがある。いかにもイギリスのオーケストラという音がする。サー・ネヴィル・マリナー指揮イギリス室内管弦楽団を聴いたときの響きを思い出した。

 合唱もオーケストラと共通する印象があり、まとまりがよい。繊細な合唱からダイナミックな山場まで、柔軟性があった。バレエも名門だけあって、踊りに余裕が感じられた。

 

指揮のアントニオ・パッパーノはこのオペラを完全に手中に収めており、流れがまったく停滞しない。歌手もオーケストラも伸び伸びと歌い、奏でているように感じられた。

 

 演出はオーソドックスで、舞台の設定はグノーの活躍した19世紀のフランスになっている。下手にオペラ座のボックス席、上手に教会のパイプオルガンが置かれ、その間の空間でさまざまな場面が展開していった。

 

第2幕「ファウストのワルツ」の場面は、ムーランルージュのようなキャバレーの場面となり、踊り子たちのバックには、「CabaretL’Enfer」(キャバレー「地獄」)というネオンサインが掲げてあった。

 第5幕のバレエはお腹の大きなバレリーナが登場する多少グロテスクな場面はあるが、過剰さや、行き過ぎた演出のないバランスのとれたフレームの中で、展開されていた。

 

英国ロイヤル・オペラの総合力が発揮された《ファウスト》。大人のオペラを十二分に楽しんだという満足感があった。

 


 

英国ロイヤル・オペラ2019年日本公演 グノー「ファウスト」
指揮:アントニオ・パッパーノ
演出:デイヴィッド・マグヴィガー
再演監督:ブルーノ・ラヴェッラ
装置:チャールズ・エドワーズ
衣裳:ブリギッテ・ライフェンストゥール
照明:ポール・コンスタブル

再演振付:エマニュエル・オベヤ

ファウスト:ヴィットリオ・グリゴーロ(テノール)

メフィストフェレス:イルデブランド・ダルカンジェロ(バス・バリトン)

マルグリート:レイチェル・ウィリス=ソレンセン(ソプラノ)

ワグナー:ジェルマン・E・アルカンタラ(バリトン)

ヴァランタン:ステファン・デグー(バリトン)

ジーベル:ジュリー・ボーリアン(メゾ・ソプラノ)
マルト:キャロル・ウィルソン(メゾ・ソプラノ)

 

女性プリンシパル・ダンサー:メーガン・グリフィス

男性プリンシパル・ダンサー:ヤセット・ロルダン

 

合唱:英国ロイヤル・オペラ合唱団(合唱指揮:ウィリアム・スポールディング)

管弦楽:ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
コンサートマスター:ヴァスコ・ヴァシレフ

協力:東京バレエ団


 

バッティストーニ 東京フィル 木嶋真優(vn) 《四季》と《惑星》

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(9月13日、サントリーホール)

 木嶋真優をソリストにしたヴィヴァルディ《四季》は、6-4-4-3-2の編成。バッティストーニ&東京フィルと木嶋は、自由で遊び心のある演奏を繰り広げた。木嶋のソロは、装飾音を入れながら、レガートをきかせた滑らかなもの。少し気になったのは、木嶋のヴァイオリンの音色がキンキンとしたデジタル的な音で、化粧が濃くグラマラスなこと。華やかさがあっていいとも言えるけれど。
 

木嶋真優とチェロ・ソロ(金木博幸)とのやりとりは、お互いが積極的でとてもよかった。ドローン音(バグパイプのような低音)は、金木の奏したものだろうか。


 「春」は流れるようにレガートで進んだ。「夏」の嵐の描写は、切れのあるリズムで、ノリノリの演奏はロック音楽のよう。「秋」第3楽章の狩りにでる胸の高まりを表すリズムは、意外に重く、あまり聞いたことのない表情だった。「冬」第1楽章は、農民たちの寒さに震える表情が目に浮かぶように描写的だった。

 

 後半はホルスト「組曲《惑星》」。CD録音も入っていたわりには第1曲「火星、戦争をもたらす者」は、バッティストーニの指揮が少し粗く感じた。

 

最も良かったのは、第7曲「海王星、神秘なる者」。新国立劇場合唱団(女声17名)は、指揮の冨平恭平とともにオルガン下手P席の奥から、繊細な弱音と安定したハーモニーを聞かせてくれた。これまで何度も聴いてきたが、今回ほど高い音が正確に歌われたのは初めてのこと。最弱音で消えていく合唱は素晴らしかった。

 

 次は第6曲「天王星、魔術師」が強弱の劇的な変化が面白く、印象的だった。
 

第4曲「木星、喜悦をもたらす者」は、速めのテンポで力強く進んだ。「ジュピター」の旋律が現れる中間部は、落ち着きがあり、この旋律を思い入れたっぷりに聴かせようというあざとさがなく、好印象だった。

 第2曲「金星、平和をもたらす者」は緻密だったが、ヴァイオリンのソロ(コンサートマスター三浦章宏)の音に濁りがあったのが惜しい。

 

9月22日(日)15時から、オーチャードホールで同じプログラムがあるので、今回粗く感じた部分は修正されるのではないだろうか。なお、チケットは完売とのこと。

「音楽の友」10月号で「フェスタサマーミューザ2019」のレポートを書きました。

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「音楽の友」10月号が明日918日に発売されます。
26-27p、カラー2ページで「フェスタサマーミューザ2019」のレポートを書きました。

東京交響楽団のオープニング・コンサートから、初登場で話題を集めた仙台フィルまで8つのコンサートについてレポートしています。今年のフェスタサマーミューザは例年以上に熱く盛り上がりました。お読みいただけたらありがたいです。

 




 

新日本フィルが変わった!?

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新日本フィルが変わった!?

以前、チラシが地味なので、武蔵野市民文化会館のようにインパクトの強いものにしたらいかがですか?と新日本フィルに提言したことがありましたが、ついにこんなチラシができました! これだけの指揮者の名前を並べると、わかりやすいし、壮観です。『新日本フィル大丈夫・・・!?』の自虐ネタもいいですね!

解説を書いた三宅由利子さんのCD「Lilium」がレコード芸術10月号準特選盤に選ばれました

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解説を書いた三宅由利子さんのCD「Lilium」がレコード芸術10月号で準特選盤になりました。

三宅さんからは「的確かつ温かい解説を寄せていただき改めてお礼を申し上げます。」と感謝され、
プロデューサーの株式会社ノモス代表取締役 渋谷ゆう子さんからも「由利子さんの表現を的確に言葉にして頂いたお陰で、お聴きくださった方々から理解が深まるとコメントを頂戴しました」とお言葉をいただきました。
解説者冥利に尽きる思いです。
 
渋谷ゆう子さんのコメントです。
『ピアニスト三宅由利子さんのアルバム「Lilium 」がレコード芸術10月号の準特選盤に選ばれました✨🙌
弊社で企画制作、私自身がプロデューサーとして関わらせて頂いた思い入れある作品です。
三宅さんの音楽に包まれ、癒され、引き込まれての録音は今でも心に残っています。
バッハに始まり、ブラームス、ショパン、リストと三宅さんの芯のある多彩な表現力が随所に表れています。まだお聴きいただいてない方はもったいない!と心から思います。
生形三郎氏の録音ファンの皆様にも是非お手にとっていただきたいです。こだわり抜いた録音機材の解説もブックレットに記載しています。
音楽解説は、音楽評論家の長谷川京介さんが執筆くださいました。
またプロフェッショナルな仕事で終始支えてくださった調律師の按田さんの力量無くしては、この録音はなかったと思います。
改めてこのアルバム制作に関わってくださった皆様にお礼申し上げます。』












 

巨匠最後のコンサート アレクセイ・リュビモフ ピアノ・リサイタル

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(9月28日、すみだトリフォニーホール)

リヒテル亡き後、ロシアの最後の巨匠と言われるアレクセイ・リュビモフ(74歳)が、来年引退する。日本での最後の公演は今日29日(日)。オール・モーツァルトで、NHKのテレビ録画も入るとのこと。チケットが即日完売したため、前日の28日土曜日に追加公演が行われた。

 

 私は追加公演のほうに行った。たぶん本公演よりも面白かったのではないだろうか。なぜなら、カルマノフ、ウストヴォリスカヤというロシアの現代音楽の作曲家の作品も、モーツァルトと並んで演奏されたのだから。

 

 正直言うと、前半はリュビモフのことがよくわからなかった。スケールの大きいピアニストであることはすぐわかったが、印象としてはピアノの教育者のような演奏だと感じた。モーツァルト「幻想曲ニ短調K.397」、「ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310」という名曲を、感情は一切挟まず、強い打鍵とペダルはほとんど使わないクリアなきっぱりとした音で、豪快に弾いていく。

 それはまるで『裸にされたモーツァルト』のような生々しさはあるものの、模範演奏を聴いているようで、音楽としての味わいが少ないように思えた。

 

 前半は、最後に弾いたパヴェル・カルマノフ(1970-)の「シューマニアーナ」が、一番面白いと思った。オルタナティブ・ロック(コマーシャルなロックではなく、パンクやグランジなど先鋭的なロック)のミュージシャンでもあるというカルマノフの作品は、ミニマル・ミュージック(パターン化された音形をくりかえす音楽)であり、多少フレーズを変えながら同じような旋律が延々と続く。唐突に終わる最後とそのあとの静寂が、なぜか一番心に響いた。

 

 しかし、休憩後最初の曲、ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006)の「ピアノ・ソナタ第5番」を聴いて、文字通り『ぶっ飛んだ!』自分がいかにリュビモフをわかっていなかったかを思い知った。

 異様な作品ではある。鍵盤が破壊されるのではないか、と思うほどのトーンクラスター的な激しい打鍵。暴力的であり、巨大なハンマーがたたきつけられるようでもある。しかし、その中に深い詩情、抒情、清冽な哀しみが感じられる。時折、ショスタコーヴィチを思わせるフレーズもある。

 

  これは、平手打ちを何度も食らうようなショックがあった。リュビモフがとんでもないピアニストであることを、遅まきながら知った。

 

 目を覚まさせられた後に聴いたモーツァルト「幻想曲ハ短調K.396(シュタードラー補筆)」は、心に染みた。前半は無機物のように聞こえたモーツァルトがなんと豊かに響くことだろう。感情もはっきりと感じられる。ただ、モーツァルトが今まさに現代に生きている作曲家のように聞こえるのは、モーツァルトとウストヴォリスカヤが、リュビモフの中でしっかりとつながっているからであり、生きている音楽としてリュビモフが再現しているからだろう。

 

 最後に弾かれたモーツァルト「ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K.457」は、第2楽章にベートーヴェン《悲愴》を思わせるフレーズがあり、古典派を超えた世界も垣間見える。リュビモフは、常に前のめりになりながら、とつとつと聴き手に何かを語り掛けるように、桁違いにスケールの大きな演奏を聴かせた。

 

 リュビモフがいかに完璧な様式感を持ったピアニストかということは、アンコールのショパン「舟歌」でよくわかった。指使い、ペダリング、音色を完全に変え、レガートで旋律を美しく歌っていった。右手のトリルの美しさは絶品。貴族の舞踏会に足を踏み入れたような華麗な世界が展開された。男性的な弾き方で、物語を語るようなスケールの大きな演奏だった。

 

 最後にもう1曲、モーツァルト「ピアノ・ソナタ第16番ハ長調K.545~第1楽章」を、子供に帰ったような天真爛漫さを出し、ユーモアたっぷりに表情で弾いた。

 

 アレクセイ・リュビモフを生で聴く機会はもう来ないのかもしれない。最後の最後に、彼の本質を知ることができて、良かったと思う。今後は彼の演奏を思い出しながら、録音や録画で聴いていきたい。









 

新国立劇場 新制作 チャイコフスキー《エウゲニー・オネーギン》 (10月3日)

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 新国立劇場の新制作《エウゲニー・オネーギン》は、オーソドックスな演出、舞台装置、衣装で、安心して見ることができた。

 

  主役歌手陣は安定していた。

オネーギンのワシリー・ラデュークは、タチヤーナに再び激しい情熱を燃やす第3幕第2場で劇的な歌唱を聞かせた。タチヤーナのエフゲニア・ムラーヴェワとの『幸せはすぐ近くにあったのに』の2重唱は公演のハイライトだった。

 

聴かせどころ第1幕手紙の場面は、部屋をうろうろする動きのあるタチヤーナ役ムラーヴェワの演技が自然だった。歌唱はもう少し感情を爆発させるような表情があってもよかったかもしれない。

 

 第3幕グレーミン公爵のアレクセイ・ティホミーロフのタチヤーナへの愛を歌うアリアは、最後の豊かな低音が素晴らしいものがあった。

レンスキーのパーヴェル・コルガーティンの決闘前のアリアも抒情味があった。

 

ロシア人歌手で主な役割をかためた舞台は、発声、イントメーションがすべて自然に聞こえた。脇を固める日本人歌手陣も安定した出来だった。

 

指揮のアンドリー・ユルケヴィチは、テンポ良くドラマを進めていき、オネーギンの慟哭の最後は東京フィルを鳴らし切り、大きな盛り上がりをつくっていた。

 

第3幕は舞踏会から劇的な結末まで、盛り上がりがあったが、休憩前の第2幕第1場まで、なんとなくおとなしく淡々と進んだ印象があった。

 

 驚かされたのは、第1幕第1場が終わったとたん、2階のバルコニーあたりだと思うが、中高年の男性の声で『オーケストラ! しっかりやりなさい!』と、怒気を含んだ声が飛んだことだ。これまで新国では、聞いたことのない罵声だった。

 

 東京フィルはきちんとした演奏をしており目立ったミスがあったわけではないが、前半はオーケストラも歌手陣もいまひとつ燃えるものが感じられなかったことは私も感じた。くだんの男性は舞台に喝を入れるつもりで叫んだのかもしれない。

 東京フィルは二期会の「蝶々夫人」とかけもちであり、楽員が二分化されたことが、多少演奏に影響があったことも考えられるが、最終的には、舞台の盛り上がりに連れ、オーケストラは熱を帯びた演奏になっていった。また、新国立劇場合唱団はロシアの合唱団の分厚いコーラスを思わせる立派な出来栄えだった。


■スタッフ

指揮:アンドリー・ユルケヴィチ

演出:ドミトリー・ベルトマン

美術:イゴール・ネツィニー

衣裳:タチアーナ・トゥルビエワ

照明:デニス・エニュコフ

振付:エドワルド・スミルノフ

演出助手:ガリーナ・ティマコーワ

舞台監督:高橋尚史

 

■キャスト

タチヤーナ:エフゲニア・ムラーヴェワ

オネーギン:ワシリー・ラデューク

レンスキー:パーヴェル・コルガーティン

オリガ:鳥木弥生

グレーミン公爵:アレクセイ・ティホミーロフ

ラーリナ:森山京子

フィリッピエヴナ:竹本節子

ザレツキー:成田博之

トリケ:升島唯博

隊長:細岡雅哉

ほか

 

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

合唱:新国立劇場合唱団

 

写真()Naoko Nagasawa

 

 

 

 


イ・ムジチ合奏団 (10月2日、サントリーホール)

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2003年からコンサートマスターを務めていたアントニオ・アンセルミが急逝したため、バロック・アンサンブル、カメラータ・アングザヌムで活躍しているマッシモ・スパダーノが急遽ソロとコンサートマスターを務めた。


 公演冒頭に、アンセルミを悼んで、ヴェルディ「4つの聖歌」から「アヴェ・マリア」が演奏された。演奏後は黙とうしたかったが、拍手が起きてしまったのは残念。

 

イ・ムジチの弦は、ピカピカに磨き上げた高級イタリア家具のような、木目の美しく滑らかな音がする。音色は明るく華やか。どれほど激しい演奏も混濁はなく、軽やかな響きを保っている。編成は3----1にチェンバロ。

 

モーツァルト《ディヴェルティメントニ長調K.136》、テレマン《ディヴェルティメント変ロ長調TWV50:23》は、流麗で艶のある演奏がレガートで美しく流れていく。響きは重くならず、天空を飛んでいるような気持になる。

 

ソプラノの天羽明惠(あもうあきえ)により、ヘンデルのオンブラ・マイ・フ、モーツァルトのモテット《エクスルターテ・ユビラーテ》ほか全3曲が歌われたが、湿り気を感じるやや重い日本人的な声が、(ヴィブラートのかけすぎかも)イタリアの明るく乾いた音色とあまり合っていないように感じた。

 

後半は、ヴィヴァルディ《四季》。抜けるような青空を思わせる、軽やかで美しい演奏。アンセルミ時代の演奏は、映像で見る限り、かなりアグレッシブな《四季》を聞かせていたが、スパダーノ率いるイ・ムジチはピリオド奏法を取り入れつつ、適時ヴィブラートをかけ、中庸で流麗な演奏に終始していた。

 

 《冬》第1楽章冒頭でのフラジオレットの高音の無機質な不協和音が現代音楽のようで、面白いと思った。

 

 アンコールはJ.S.バッハ: G線上のアリア、ヴィヴァルディ: 4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調 「調和の霊感」RV580から 第1楽章、天羽明惠が会場に歌を呼びかけた山田耕筰: 赤とんぼ。終演は920分を過ぎていた。

 

 

 

資料:

イ・ムジチ合奏団歴代コンサートマスター

1代:フェリックス・アーヨ(Felix Ayo19511967

2代:ロベルト・ミケルッチ(Roberto Michelucci19671972

3代:サルヴァトーレ・アッカルド(Salvatore Accardo19721977

4代:ピーナ・カルミレッリ(Pina (Giuseppina) Carmirelli19731986

5代:フェデリゴ・アゴスティーニ(Federico Agostini19861992

6代:マリアーナ・シルブ(Mariana Sîrbu19922003

7代:アントニオ・アンセルミ(Antonio Anselmi20032019

 

写真:()KAJIMOTO

上岡敏之 新日本フィル シューベルト《未完成》モーツァルト《レクイエム》

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(10月4日、すみだトリフォニーホール)

 シューベルト「交響曲第7番《未完成》」は、作曲家本人が聴いたら喜ぶに違いないと思えるほど、繊細な歌に満ちていた。夢の中で聴いているような、幻のような《未完成》だった。編成は10-8-6-4-3という小編成。

 

最も印象的だったのは、第2楽章の第60小節目から、第1ヴァイオリンによる2小節の寂しさに満ちたフレーズに続いて、クラリネットからオーボエに受け継がれながら歌われる旋律の細やかなニュアンスの変化。それはまるで妖精がうたうようだった。

 

シューベルトが一番言いたかったこと、伝えたかったことが、今夜の上岡と新日本フィルの演奏から感じられた。それはまさに、上岡が「音楽の友」のインタビューで語ってくれた言葉、『シューベルトの内面の世界をうまくオーケストラで表現できたら、それが伝わったら、それはお客様にとっても、僕らにとっても、ものすごくいいこと』が実現した演奏であり、実際にシューベルトの内面世界が浮かびあがってくるような演奏だった。
 

後半はモーツァルト《レクイエム》。合唱は東京少年少女合唱隊、同カンマーコア。白い聖衣に身を包んでいた。ソリストはソプラノ吉田珠代、カウンターテノール藤木大地、テノール鈴木准、バリトン町英和。
 

合唱をいつもの栗友会にしなかった上岡の意図が納得できた。大人の合唱団にはない清らかな歌声。少年少女の合唱が歌う天国的な透明感と明晰さにより、 心が洗われるという言葉が、真実のものとなった。
 特に第7曲コンフターティス(呪われた者)からラクリモーサ(涙の日)の子供たちの高音の響きが美しかった。
 ソリスト4人も、ヴィブラートの少ない透明感あるソロや重唱を聴かせてくれた。

新日本フィルはシューベルトのときと同じ編成。透明な合唱やソリストたちの歌声に、ぴったりと合う繊細な響きがあった。

 

この演奏会は、一人でも多くの人に聴いていだけたらと思う。明日(今日)105日(土)午後2時から、同じプログラムがすみだトリフォニーホールである。

心からおすすめしたいコンサートです。

 

 

ズービン・メータのパーソナル・メッセージ(イスラエル・フィル音楽監督退任の言葉)

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ズービン・メータのパーソナル・メッセージ(イスラエル・フィル音楽監督退任の言葉)
https://www.youtube.com/watch?v=ZBzIGNHNm4k&t=2s

最後は涙声になり、胸が熱くなります。
訳してみましたが、"va'ads" and "mo'atzas"の意味がわかりません。
ご存じの方がいらしたら、お教えください。


Good evening, every body

I usually start by announcing to you, my friends in the future,

what a wondeful season is going to be in the future but I would like to divert my messagge a little bit.

I have spent more tha half my life in this beloved country of Israel.

I'm now takig my leave, it has been my own decision.

I leave my baton to a wonderful colleague, Lahav Shani, he has all my blessings for the future.

みなさんこんばんは

私は通常、みなさまと私の将来の友人の方々に、どんなに素晴らしいシーズン演奏会になるか、お伝えすることから始めるのですが、少しそこからそれたお話をさせていただきたいと思います。

私はこの愛するイスラエルの国で人生の半分を過ごしてきました。

私は引退をすることにいたします。これは私自身の決断です。

私はバトンを素晴らしい同僚のラハブ・シャニに任せたいと思います。彼には素晴らしい未来が約束されています。

 

But first of all I would like to thank my beloved orchestra with whom I've spent 50 years, more than three generations  of wonderful musicians that I inherited when I first came in 1961 of so many "va'ads" and "mo'atzas" choosing the future players, invite the world's greatest artists, going on tours and playing over 4,000 concerts with this wonderful orchestra, I am indeed most grateful most grateful for what the orchestra has done to me-has educated me from my youth.

しかし、まず最初に、1961年に初めて着任以来、未来のプレイヤーを選び、世界の偉大なアーティストを招待し、ツアーに参加し、4,000を超えるコンサートを演奏するなど、50年以上一緒に過ごしたこの愛すべきオーケストラ、3世代にわたる素晴らしい音楽家たちに感謝申し上げます。オーケストラが私にしてくれたことに心から感謝しています。

 

Great players that I have grown with, like ur Concertmaster Chaum Tahb,our solo fagottist Mordechai Rectman,our wonderful harpist Judy Liber, and who could forget the great Zvi Haftel who first had the courage to invite a young indian from Vienna and then the responsibility of music director later on.

I'm sure that under the continuing leadership of Avi Shoshani

and the "va'ads" of the orchestra you have a wonderful future and I want to wish you all the best.

I cannot tell you how much I will miss you all.

I want to say goodbye with all my heart,Thank you, Thank you so much.

一緒に成長した偉大な演奏家のみなさん、コンサートマスターのチャウム・ターブ、首席ファゴット奏者であるモルデチャイ・レクトマン、素晴らしいハープ奏者のジュディ・リバー、そして偉大なツヴィ・ハフテルのことを忘れようがありません。彼は

ウィーンから若いインド人を招き、後に私を音楽監督に任命する勇気がありました。

アヴィ・ショスハニの継続的なリーダーシップのもとで

オーケストラには素晴らしい未来があります。あなた方の幸せを願っています。

あなた方と別れるのがどれほどつらいことか言葉では言い表せません。

心をこめて、さようならをお伝えしたいと思います。

ありがとうございました。本当にありがとう。
 



 

マルク・ミンコフスキ 東京都交響楽団 チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」ほか

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(10月7日、東京文化会館大ホール)

  シューマン「交響曲第4番」は初稿版。通常の第2稿よりもすっきりとした響きになっているとされる。14型対向配置の都響はヴィブラートもかけ、結構重厚に聞こえた。ヴィオラを始め、各声部がくっきりと聞こえてくる演奏は、明解な指揮を身上のひとつとするミンコフスキらしい。

 

チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」冒頭のファゴットはフランス的なやわらかな音。バスーンという名のイメージ。全体に明るく爽やかな「青春のチャイコフスキー」の印象があった。このあとに、死が待っているとは思えない。重い部分は重厚だが、ロシア的な粘っこさはなく、さらりとした感触。各声部が混濁しない、都響の楽員がひとりひとり気持ちよさそうに弾いていることが感じられた。

 

第1楽章では、第1主題も重くならず、第2主題はメランコリックで甘美。続く木管のやりとりも爽やか。Ffffffのクラリネットからファゴット(バスクラリネットは入っていなかったようだった)の最弱音のあとの、展開部は早めのテンポ。再現部285小節目からラルガメンテの総奏はトロンボーンも含め重くなく、遅くない。

 

第2楽章の4分の5拍子のワルツも軽やかに進む。中間部は甘美で感傷的。第3楽章の行進曲ではタメをつくる部分もあった。

 

指揮棒を上げたまま、数秒の間を置いて第4楽章にほぼアタッカで入っていった。第2と第3楽章の間は聴衆の咳もあり、時間を置いたが、ミンコフスキは全楽章アタッカで続けたいようだった。

 

第4楽章終結部は、コントラバスが刻む3連符のリズムが心臓の鼓動のように聞こえる。テンポは遅くならず、過度な思い入れのないところが良い。
音が消えてから10秒の静寂。後味の爽やかな、フランスの秋の空のような《悲愴》だった。

 

ミンコフスキへのソロ・カーテンコールがあった。



()Koichi Mori
https://www.facebook.com/koichi.mori.583/videos/2527805207265742/UzpfSTIwMzI0Mzk0OTcwMTQ2ODozNjU0NzgyNjg3ODgwODkz


 

写真()Marco Borggreve
 

 

 

 

 

ユーリ・テミルカーノフ 読響 ショスタコーヴィチ「交響曲第13番《バビ・ヤール》」

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 前半はハイドン「交響曲第94番《驚愕》」。巨匠の風格。ピリオド奏法とは無縁。

スケールの大きな演奏だった。

 

ショスタコーヴッチ「交響曲第13番《バビ・ヤール》」はピョートル・ミグノフ(バス)、新国立劇場合唱団(男声)が共演。
全体に重厚でスケールが巨大な演奏だったが、血が凍るようなショスタコーヴィチではなく、テミルカーノフの温かな愛情のようなものを感じた。

 

第1楽章「バビ・ヤール」は重々しい。また、第4楽章「恐怖」は、密告の恐ろしさが充満するが、第2楽章「ユーモア」の嗜虐の表情は演劇的な格調を感じた。第3楽章「商店にて」冒頭の地鳴りのようなコントラバスの低音が良かった。第5楽章「立身出世」の最後のチェレスタと鐘の音のあとの静寂がまた良かった。

 

バスのミグノフは素晴らしい。長身でやや細身で詩人にふさわしい外見。自然な発音と豊かな表情で、エフトゥシェンコの詩を歌い上げた。さらに50人ほどの新国立劇

場合唱団(男声)の野太く力強い歌声がロシアの民衆を思わせる。ミグノフのソロとのやりとりも見事で、テミルカーノフは合唱指揮の冨平恭平の手をとって現れ、合唱団を大絶賛していたのが印象的だった。

 

読響はコンサートマスター、日下紗矢子をはじめ、全員がテミルカーノフへの絶大な信頼を寄せるように、演奏に集中していた。熱演というより、テミルカーノフの指揮と解釈を噛み締めるように、いとおしむように、演奏しているように思えた。

 

 

ソロ・カーテンコールに登場したマエストロは、譜面台に置かれたショスタコーヴッチの総譜を高々と聴衆に掲げた。

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