東京芸術劇場シアターオペラvol.15 團伊玖磨/歌劇『夕鶴』
(10月30日・東京芸術劇場)
指揮:辻 博之
演出:岡田利規
出演
つう:小林沙羅(ソプラノ)
与ひょう:与儀 巧(テノール)
運ず:寺田功治(バリトン)
惣ど:三戸大久(バスバリトン)
ダンス:岡本 優(TABATHA)、工藤響子(TABATHA)
子供たち:世田谷ジュニア合唱団(指導:掛江みどり)
管弦楽:ザ・オペラ・バンド
設定は現代で、普通の家のキッチン・ダイニングの間。隣は機織りの部屋。
屋上テラスがあり、長椅子が置いてある。冒頭与ひょうはそこでサングラスをかけて日光浴をしている。
子供たちの衣装は、マイケル・ジャクソン風の黒のラメとパンツ。それぞれイラストでマンガ風に顔が描かれた大きなビーチボールを持って歌ったり、演技をする。何人かの子供たちは、舞台下手のひな壇でドラマの推移を見守っている。
つうがお金に夢中でどんどん変わっていく与ひょうを嘆いて歌うアリアでは、子供たちのうちの二人がつうの横でシャボン玉をつくる。文字通り「金=バブル」の意味だろう。
現代風の演出だが、音楽との違和感はあまりない。第1部は特に変わった演出がなく拍子抜けしたが、第2部は、ようやく岡田利規らしい演出が見られた。つうが機織り部屋から出てくる場面で子供たちの二人が観音開きの戸を開けると、右の戸の裏に「YOU-ZURU」、左の戸には「ゆーずる」とネオンサインが輝き、部屋の中央には銀ラメの衣装を着たつうがいて、その後ろには二人の黒いホットパンツをはいたひげダンサーが挑発的なポーズをとって鎮座している。
つうが歌うとダンサーたちは口を大きくひろげ歌うようなポーズをとる。つうが織った布はダンサーたちが持っている。つうと与ひょうのデュエットの間はダンサーたちが後ろで踊る。ダンサーたちは背中に貝殻のような形をした昆虫の羽のようなものをつけている。
果たして演出の意図は?
つうの住む異界から来たガードなのだろうか?
最後に与ひょうに別れを告げつうが去って行く場面は、つうが憤然としてセットを囲む壁を蹴破るという激しい行動を示して姿を消した。これも人の世の際限のない欲望への怒りだろうか。感傷的な場面に緊張が走る。しかし、そうした演出にも関わらず、音楽は心に響く。
辻博之の指揮ザ・オペラ・バンドの演奏は、モダンな演出に合せたのか、日本的な情感を抑え、切れの良い演奏を展開していた。フルートの神田寛明のソロがとても美しい。
高関健が東京シティ・フィルを指揮した2017年9月30日のセミステージ形式の上演のさい、プレトークで高関が『團伊玖磨のオーケストレーションが見事。オーケストラが良く響き、しかも歌のじゃまをしない』と語っていたが、確かに今日もオーケストラが大きな音響で鳴っても、歌が聞こえないところはなかった。
つうの小林沙羅は初役。凛とした歌唱で気品があり、現代的な演出にも合っていた。与ひょうの与儀巧もまた初役。透明感のあるテノール。演技も問題ない。
運ずの寺田功治と惣どの三戸大久も好演。衣裳がチンピラ風というのはステレオタイプではある。
世田谷ジュニア合唱団はソロも含めてうまい。上手過ぎて素朴さは少ないが、現代的な演出には合っていた。
今回ひさしぶりに『夕鶴』を観て、日本人の心に訴える音楽の美しさにあらためて感動した。つうが与ひょうに別れを告げる場面の情感の深い音楽は、どんな演出であっても音楽自体の力で胸が熱くなる。
オリジナル通りの時代設定や衣装、演出が長く守られてきた『夕鶴』に新しい息吹を吹き込もうとした今回の演出は、第2部で一定のインパクトを与えたが、第1部の平坦さにはまだ工夫の余地があるように思えた。
終演後一人ブーイングがあったが、それは保守的な演出の支持なのか、今回の演出への不満足なのか、おそらく後者ではなかったか。まだ何かできたのでは、という中途半端さは残った気がする。
今後の公演予定:
愛知公演:来年1月30日(日)14時、刈谷市総合文化センターアイリス大ホール
熊本公演:2月5日(土)14時、熊本県立劇場演劇ホール
指揮は鈴木優人、オーケストラは刈谷市総合文化センター管弦楽団と九州交響楽団。