(11月14日・サントリーホール)
吉村妃鞠(ひまり)の弾くチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」を聴くのは今年8月フェスタサマーミューザで渡邊一正指揮、神奈川フィルとの共演で聴いて以来二度目。演奏そのものの印象はほぼ同じで、完璧な技術と、細部まで練り上げられた非のうちどころのないアーティキュレーション、滑らかな美音で、巨匠のように完成された驚異的な名演を披露した。
ただ二回目となると初回の驚きはなく、別の面に関心が行く。不思議な点は吉村個人の人格がほとんど感じられないこと。10歳の少女に大人と同じような個性を求めてはいけないが、ほぼ無色透明の世界。文字通り子供の純粋な気持ちで弾いているのだろう。
もう一点は、指揮者やオーケストラとの対話があまりないこと。ほとんど目をつむって演奏しており、オーケストラの音はきちんと聴いているようだが、まるでカラオケをバックに弾いているように見える。吉村から仕掛けたり、アイコンタクトをとるようなことは少ない。小林は吉村にぴたりと付け、吉村のペースを尊重しているようだった。
今吉村は先生たちから教えられるままに弾いているのかもしれない。ただ先生にしても全てを教えられる訳ではなく、ポイントを絞ってアドバイスをするはずだ。あの自然で完璧なアーティキュレーションが演奏中常にあるということは、吉村本人の才能としか考えられない。一を聞いて十を知る天才的な能力が吉村に備わっているのかもしれない。
アンコールはパガニーニ「24のカプリース」より第23番。オクターブの重音はものすごく正確な音程。中間部の速いパッセージも難なく弾く。まさに天才的な演奏だった。
今日のコンサートは、2017年2月12日に横浜みなとみらいホールで小林が読響と演奏したサン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付》」が余りにも名演であったため、もう一度あのような演奏が聴けると期待して、日本フィルにお願いしたもの。評論家やジャーナリストの顔は見なかったが、会場は見事なまでに満席。コバケンの人気のほどが伺える。
日本フィルは16型の大編成。コンサートマスターは木野雅之。オルガンは坂戸真美。フルートには都響の首席柳原佑介が入っていた。
残念ながら、あの名演の再現とはならなかった。その要因の一つは日本フィルのアンサンブルにあると思う。この作品に必要な透明感や響き合う繊細なハーモニーが不足していた。読響との演奏は第1楽章アダージョの序奏に透明感があり、第2部ポーコ・アダージョのオルガンと弦が織りなす美しい響きは神聖とも言える高みに達していたが、今日の日本フィルの演奏は、そうした磨き抜かれた演奏というよりも、勢いであるとか熱気というものが前に出ていた。それらは確かに小林研一郎らしいが、期待した演奏とは異なっていた。オーボエの杉原由希子と客演のフルート柳原佑介のソロが素晴らしかった。
会場の拍手は大変なもので、BRAVOタオルが多数掲げられていた。アンコールは交響曲のコーダがもう一度演奏された。