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Channel: ベイのコンサート日記
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プレトニョフ 東京フィル シチェドリン「カルメン組曲」 チャイコフスキー「白鳥の湖」

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(6月8日・サントリーホール)

シチェドリンの「カルメン組曲」を聴くのは二回目。2020年2月8日井上道義指揮神奈川フィルの演奏で全13曲のうち、4曲をカット、3曲を部分カットしたバージョンで聴いたことがある。

 

その時は、打楽器が舞台前方左右に分かれ、弦楽器は正面ひな壇に並ぶ配置で、分離の良い効果があった。ダンサーを目指したこともある井上の躍動感のある演奏が印象的だったが、プレトニョフの演奏は根本的に異なる。

 

これは私一人の感想かもしれないが、プレトニョフの「カルメン組曲」はまるで「死の世界」へ向かっていくような不気味さ、戦慄するものがあった。
弦楽器と打楽器だけの作品だが、全体的に音が研ぎ澄まされており、表現主義的な響きがある。

 

序奏のチューブラーベルが不穏にハバネラの旋律を打ちつける。
第5曲「カルメンの登場とハバネラ」は切れがあり劇的。色彩が感じられる。
第6曲「情景」のピッツィカートが不気味。激しく刻まれる弦と打楽器のリズムは死の行進を思わせる。
田園的な第3幕への間奏曲による第7曲「第2間奏曲」ですら、プレトニョフが指揮すると、何かおどろおどろしい。


「アルルの女」のファランドールを使う第8曲「ボレロ」は5人の打楽器奏者が大活躍。ここはスペクタクルだった。
第9曲「闘牛士」はテンポが速く、強弱の強調がすさまじい。弦の副旋律に、死の匂いがある。
第10曲「闘牛士とカルメン」には歌劇「美しきバースの娘」から「ジプシーの踊り」が使われているが、シチェドリンの編曲は原曲よりもテンポが遅い。それをプレトニョフが振ると、弦の弱音の表情に薄気味悪さが浮かんでくる。

 

第11曲「アダージョ」は第1幕への前奏曲(運命のテーマ)が使われるが、これこそ「死の恐怖」。断頭台の刃が落とされるような最後の和音がすさまじい。続いて第2幕「花の歌」を弦がロマンティックに奏でるが、プレトニョフ東京フィルの響きは表現主義的で研ぎ澄まされており、落ち着かない気持ちにさせられる。

 

第12曲「占い」も慟哭の表情。銅鑼が葬送を告げるように最後に鳴らされる。

第13曲「終曲」は闘牛場の場面の中に、激しいリズムが死の行進のように刻まれていく。「運命のテーマ」が激しく鳴らされ、休止。冒頭のハバネラの旋律をチューブラーベルが葬儀の行われている教会の鐘のように鳴らされ、消え入るように終わる。

 

井上道義神奈川フィルで聴いたときは、ダイナミックなバレエ音楽として聴けたものが、プレトニョフ東京フィルでは、「死と恐怖の音楽」として鳴り響いた。顔色一つ変えないプレトニョフの淡々とした指揮ぶりも不気味だ。

 

東京フィルの演奏は素晴らしかった。5人の打楽器奏者それぞれが八手観音のように様々な打楽器を操るのは圧巻。第4奏者は何と12種類!
弦の切れも良かった。コンサートマスターは依田真宣。

 

 

プレトニョフが指揮すると、東京フィルはロシアのオーケストラに変身するようだ。チャイコフスキー「バレエ《白鳥の湖》より(プレトニョフによる特別編集版)」は2016年9月読響を指揮したロジェストヴェンスキーのことを思い出すほど、劇的で壮大だった。
 

あの時はバレエ音楽というより交響曲のようだった。ロジェストヴェンスキーの指揮では、「序奏」のオーボエと続くチェロからして壮大なドラマのイントロダクションであり、「フィナーレ」は圧巻で金管の咆哮は頂点を迎え、ティンパニと大太鼓は極限まで叩かれ、ヴァイオリンには弦が切れるのではないかという強さを要求する。緊張感と悲愴感、そして充実度がとびぬけていた。

 

プレトニョフの《白鳥の湖》もロジェストヴェンスキーに負けてはいない。東京フィルを豪快に鳴らす。特に金管。クライマックスの音量も盛大。

 

プレトニョフ特別編集版は組曲版とは全く異なり、「白鳥の湖」のあらすじに従い、全体を6つの楽章に見立て、各楽章が音楽として完結する構成になっている。

詳しくはプログラム解説のpdfをご覧ください。
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この作品のハイライトである、「オデットと王子の愛のアンダンテ(グランアダージョ)」コンサートマスター依田真宣の艶やかで躍動感のあるソロと、チェロ首席、金木博幸の温かな響きを持つソロが素晴らしかった。

 

プレトニョフの指揮は、2016年グリーグ「劇音楽《ペール・ギュント》」全曲を聴いた時と同じように、物語の語り口が鮮やかで、場面が目に浮かぶような劇的で色彩感のある演奏を展開する。終曲の金管の咆哮は少し過剰にも思えたが、それこそロジェストヴェンスキーと同じくロシア的な表現の典型なのかもしれない。


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