(7月2日・ミューザ川崎シンフォニーホール)
海外のオーケストラを聴くのは2020年1月のサロネン、フィルハーモニア管弦楽団以来。同年11月のウィーン・フィルは体調不良で聞き逃した。昨年、現代音楽のグループ、アンサンブル・アンテルコンタンポランは聴いたが、オーケストラではなかった。
東のゲヴァントハウス、西のギュルツェニヒと言われる実力を今回の初来日で充分知らしめた。ロトが彼らの実力を最大限引き出した。
対向配置で12-9-8-6-5というやや変則の編成。
1曲目、ベートーヴェン「≪レオノーレ≫序曲第3番」を聴いたとたん、「来たー!」と内心快哉を叫んだ。
ピリオド奏法、ノンヴィブラートのすっきりとした弦。トランペットとトロンボーンの一部は古楽器を使う。バロック・ティンパニ。冒頭の「ドン」という和音からインパクトが充分。弱音が素晴らしい。弦のハーモニーの繊細さと正確な音程。
展開部の大臣到着のトランペットは3階で吹かれ、立体的な効果を生む。フルートのソロもうまい。奏者一人一人が個性的で自分の音を持っており、それらが集まって豊かな音のオーケストラになっていることを実感した。ロトの指揮にかかるとオーケストラから色彩感が生まれてくる。
2曲目は樫本大進を迎えてサン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」。
樫本のヴァイオリンはヴィブラートをたっぷりと使う美音。ギュルツェニヒ管もモダン楽器に替え、若干のヴィブラートを加える。
不思議なことに、ベートーヴェンではフランス的な色彩を感じたものが、サン=サーンスはドイツ風の重厚な演奏となった。樫本の音に合せたのだろうか。
樫本とロト、ギュルツェニヒ管は来日前に現地でリハーサルを行っているが、第1楽章は少し手探りの印象。しかし、第2楽章で、フラジョレットで弾くヴァイオリンとクラリネットが二重奏をするところから、俄然演奏全体が精彩を放つようになり、第3楽章は一気に盛り上がった。
樫本のアンコールはJ.S.バッハ「無伴奏パルティータ第3番 ホ長調BWV1006 II ルール」。
後半はシューマン「交響曲第3番《ライン》」。
先だっての飯守泰次郎、東京シティ・フィルの演奏もドイツ的な重厚さで素晴らしかったけれど、ロトとギュルツェニヒ管の演奏は、これまで過小評価されてきたシューマンの管弦楽法のイメージを根本的に変えるような色彩感と音色の多様さに溢れていた。
シューマンってこんなに面白いんだ!という発見の喜びが次々に展開されていった。
楽器はほぼモダン楽器。トロンボーンの一人が古楽器と両方使っていたように思う。ヴィブラートは少な目だった。
第1楽章はホルンの雄大な斉奏で始まる再現部から演奏に輝きが増した。5人のホルン奏者のトップを吹いていたのはゲストで参加した読響首席の松坂隼。読響で聴くよりもうまく聞こえた。
第2楽章スケルツォと間奏曲的な第3楽章がまた素晴らしい。
木管、金管、弦それぞれの音色が際立ち、ミックスされることで、多彩で多層な響きが生まれていた。これこそシューマンが描いたもの。ロトが言う『過小評価されてきたシューマンの独自の魅力』に違いない。第3楽章はあまりに美しいハーモニーで夢のような響き。
ケルンの大聖堂にインスパイアされたと言われる第4楽章のホルンとトロンボーンの壮麗なテーマも美しいハーモニー。全管弦楽がこの旋律を多層的に奏でるので、7色の虹のような和声感が生まれる。
第5楽章は躍動感にあふれる。ホルンの斉奏はここでも豪快。
ロトの指揮で聴くと、ギュルツェニヒ管からレ・シエクルの音が聞こえてくる。あの極彩色のオーケストラの音はいまだに頭から離れないが、ギュルツェニヒ管からもそうした響きが生まれるのは、ロトならでは。
オーケストラ・アンコールはベルリオーズ「歌劇《ベアトリスとベネディクト》」序曲。
演奏前に、ロトは観客に向かって、『このオーケストラはドイツで最も古い伝統を持つオーケストラのひとつであり、様々な作曲家が関わってきた。その中のひとりにエクトル・ベルリオーズがいる』と話した。
ベルリオーズはロトの独壇場。一層色彩豊かに鳴り響いた。
当然のごとく、ロトのソロ・カーテンコールになった。
ロトも楽員たちも時差ぼけがまだ残っているに違いない。エンジンがかかるまで、すこし時間がかかったかもしれないが、演奏が進むにつれ、活気に満ちてきた。なによりも聴衆の熱のこもった温かい拍手が疲れを吹き飛ばしてくれたことだろう。
今日の午後はオペラシティでブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」の初稿版を聴く。これまで聴いたことのない、色彩感にあふれ繊細極まるハーモニーのブルックナーになるのではないかと期待している。
7月4日(月)19時から、サントリーホールで、7月5日(火)は赤穂市文化会館で今日と同じプログラムの演奏会がある。