(7月3日・東京オペラシティ)
2日続けてロトの指揮に圧倒される。今日はさらに凄かった。
ブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」1874年第1稿の真価を徹底的に味わわせてくれた。
通常演奏される第2稿に較べて、未完成で混乱の極みのように聞こえるが、ロトがインタビューで語った『実験的でラディカルな響きに満ち妥協がない。より美しい第2稿よりもずっと魅力的である』ことを実感した。
個人的な感想としては、まるで「ブルックナーの宇宙旅行」。ブルックナーという宇宙を旅するような感覚を持った。ふだん聞き慣れている《ロマンティック》とは全く別の音楽、未知の世界が広がる。
生まれて初めてブルックナーに触れるような、あるいは初演の場に立ち合った当時の聴衆の衝撃が感じられるような、生々しさと驚きに満ちていた。
実演で聴くのは2018年7月のシモーネ・ヤング新日本フィル以来。
(そのときのブログ↓)
https://ameblo.jp/baybay22/entry-12390598961.html
第1楽章のホルンの第1主題、小鳥がさえずるような第2主題、豪放な第3主題というものは同じだが、対旋律や変化の過程が異なる。ブルックナー休止が多用され、不気味な表情や経過句が頻出する。
展開部はギュルツェニヒ管の弦の透明な響きがとても美しい。
コーダも第2稿より荒々しく、まさに宇宙への旅という雰囲気にふさわしい壮大さがある。
ギュルツェニヒ管の金管、特にトランペットとトロンボーンが強烈で、粘り気と芯のある響きは、これまで他のオーケストラではあまり聴いた記憶がない種類のもの。ロトの指示だろうか?
第2楽章は、主要主題は同じだが、経過句は異なる。第2主題は、前半は同じだが後半が異なる。ギュルツェニヒ管のヴィオラの音が超絶に美しい。ホルンの読響首席松坂隼(しゅん)が第1主題を繰り返し見事に吹いていた。第1楽章冒頭こそ少し不安定で、以降も小さな疵はあったが、全体的には素晴らしい演奏。
昨日に続いて2日連続で松坂が首席を担ったわけは、来日するはずだったギュルツェニヒ管の首席が急病で、急遽松坂が代役となったという経緯がある。
大健闘だったのではないだろうか。演奏後ロトが真っ先に立つよう指名したのは松坂だった。
最後に第1主題によるクライマックスが来るが、そこまでの過程も第2稿とは全く違い、どこに向かっているのかわからなくなる。とても美しい小路に迷い込んだような、清らかさに包まれる。
クライマックスは壮大そのもの。しかも管弦楽の混濁がないことが素晴らしい。そして静かな幕切れがくる。
第3楽章は第2稿とは完全に別の音楽。この楽章はホルンの出番が多い。主題を何度も吹き続ける松坂は、わずかな疵もあったが、ロトの指示を忠実に守り、立派なフレージングを連発していた。
金管の総奏がすさまじい。ギュルツェニヒ管の金管のパワーと先に書いたまとわりつくような粘りのある響きは独特だ。
休止のあとのトリオは、それまでの闇のような荒々しい世界とは隔絶した美しく聖的な世界が広がる。ここでまたもヴィオラが素晴らしい響きで魅了する。ヴァイオリン、チェロも同様にきれいな音。
終楽章は、第1主題は第2稿と同じだが、修飾や経過句はかなり違う。柔らかな第2主題も同じだが、表情がどこかよそよそしく、第2稿とは違う。経過句は奇妙な感じがする。第3主題は第2稿とは少し似ているが別物。
展開部も第2稿とは大きく異なる。同じ主題ではあるものの、現れ方が唐突で、どこに向かうかわからなくなる。それこそ先に書いた秘密の美しい小路にまぎれ込んだよう。
第3主題が突然金管により火を吹く。ファンファーレが鳴り響く。
ブルックナー休止が邪魔をしてどこから再現部か、なかなかつかめない。
第2主題の再現から再現部だろうか。
迷っているうちに、コーダに突入していく。このコーダは長大で、金管の下降音階から始まり、第2主題が顔を見せ、次に第1主題出て、壮大に進んでいく。第5番の終結部を思わせるスケールの大きさがある。
ギュルツェニヒ管の金管が雄大に吹奏していく。
弦のすさまじいトレモロと金管の総奏。金管の勝利の咆哮でついに旅は終わった!
素晴らしいブルックナー! ロトの手は宙で止まったまま。聴衆も完全な静寂を保つ。約10秒後ロトの手が降りると、熱狂的な拍手が巻き起こった。
ロトは何度目かのカーテンコールで、紙に書いた日本語のメッセージを読み上げた。
『東京の皆さん、私とオーケストラは無事に日本に来られて幸せです。二度と離れ離れにならないことを願います』。
これには胸が熱くなった。ロトへのソロカーテンコールは今日もあった。
前半の河村尚子をソリストに迎えたモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」について。
ギュルツェニヒ管は10-8-6-4-2だっただろうか。
第1楽章冒頭の第1主題の弱音の美しさに瞠目。この曲でこういう細やかな表情を聴くのは初めて。激しいトゥッテイとの対比が実に鮮やか。
河村尚子のピアノは、ロト&ギュルツェニヒ管の変化に富む演奏に較べて、やや単調だったが、展開部から左手の抉るように激しい表情が出始め、オーケストラと対等の会話が始まった。カデンツァのダイナミックな演奏も良かった。
第2楽章の中間部は、ロト、ギュルツェニヒ管、河村尚子が四つに組んで激しく展開していった。あまりにも激しいため、少しバタついた印象にもなりかねなかったが、ぎりぎりで収まった。ロマンツェの主題は河村にもう少し情感がほしいと個人的には思った。
第3楽章もロト、ギュルツェニヒ管の鋭い金管の響きがアクセントになる。
カデンツァは河村の自作だろうか、すさまじいものだった。
アンコールはシューベルト「楽興の時第3番」。
ロトの指揮を見ているとサンスクリット語の「グル(「導師」の意)」という言葉が浮かんできた。カリスマ性があり、指揮棒を持たない両手の指先がわずかに動くだけで、オーケストラから精妙な音が流れ始める。動きの激しい部分では軽くジャンプをして躍動する音楽を生み出す。クライマックスでは両手を高く挙げてオーケストラに強奏を促す。
昨日のプログラムで感じた色彩感は、もちろん今日のブルックナーにもあったが、今日はブルックナーの精神の内奥(ないおう)を見るような演奏に心が奪われ続けていた。