(8月27日・東京芸術劇場)
25日(木)サントリーホールでのマーラー「交響曲第9番」があまりにも素晴らしかったので、このコンサートにも大きな期待を抱いて出かけた。結論から言うと、期待が大きすぎたのか、河村尚子とのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」も立派な演奏であり、メンデルスゾーン「交響曲第3番《スコットランド》」も堂々としていたが、マーラーの時の感動にまでは至らなかった。
ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」でヴァルチュハと読響は、冒頭の第1主題を劇的に激しく始める。ブラームスがシューマンの死の衝撃を込めたのではないか、とパーヴォ・ヤルヴィは語っていたが、まさにそうした衝撃が演奏から感じ取れる。河村尚子のピアノも逞しく、ブラームスの力強い音楽を十二分に表現する。
第1楽章展開部から再現部にかけてと、コーダまでの緊張感と音の厚み、重量感はすさまじく、この協奏曲のひとつの理想に近づいていた。河村尚子のオーケストラを圧倒するほどの力強い打鍵が素晴らしかった。ヴァルチュハは立体的な音の構築、音塊のぶつかり合いといった面を意識しているように思えた。
第2楽章は抒情性や哀愁よりも、苦みのある表情があった。もう少し祈りの感情が伝わってくるといいのだが。
第3楽章は河村、ヴァルチュハ、読響が雄渾に一体となって進んでいった。ケフェレックとのモーツァルトでも感じたが、ヴァルチュハはソリストへの付け方がうまい。
読響はコンサートマスターが林悠介、トップサイドには長原幸太とツートップ。マーラーの時とは入れ替わり。ホルンの松坂隼が要所でいいソロを聴かせていた。
河村尚子のアンコールは、ブラームス「間奏曲 ロ短調 作品119-1」。
後半のメンデルスゾーン「交響曲第3番《スコットランド》」は骨太で骨格がしっかりとしている。堂々としてスケールが大きい。
第1楽章序奏のテンポは遅い。弦は多少ざらつく。低弦、ホルン、木管、金管がつないでいくが、第1主題が出てからのクライマックスでの音のぶつかり合いが野性味を醸す。提示部の繰り返しはなし。再現部の嵐のような場面はヴァルチュハの指揮がはまる。序奏が再現され第2楽章へ。
第2楽章は推進力がある。第2主題のスタッカートも切れがいい。ヴァルチュハの指揮は見通しが良い。読響の各セクションの動きがかっちりと組み合わされる。
第3楽章アダージョは、クラリネット、ファゴット、ホルンに始まる第2主題が骨太で重心が低い。それは再現部も同様だった。
第4楽章は一番ヴァルチュハらしさが出ていた。躍動感と激しい畳み込みが力感をつくり上げる。木管の第2主題のあと、アレグロ・マエストーソ・アッサイのコーダでヴァルチュハ読響はホルンの斉奏とともに力強く堂々とした音楽を築き上げた。
スケールの大きな骨太のメンデルスゾーンを聴いたという充実感を味わった。
ヴァルチュハは、これからも注目していきたい指揮者だ。オペラの指揮でも極めて評価が高いので、いつかは新国立劇場に登場してほしい。
海外でのヴァルチュハのオペラの評価を調べてみた。
Juraj Valčuha Archives - OperaWire
ボローニャ歌劇場の2020年2月の「トリスタンとイゾルデ」の批評は
『音楽的には、指揮者のユライ・ヴァルチュハが、ボローニャ市立劇場管弦楽団を明確に定義し、正確な読みを実現、スコアの絹のような質感をとらえた。また、バランス、ダイナミックの動き、コントラスト、テンポにも気を配った、きめ細かな演奏であった。ヴァルチュハは特にスコアの波と流れをうまくコントロールし、緊張を巧みに高め、解放して、ドラマティックなインパクトを与えていた。ただ、1つだけ残念だったのは、情熱的な奔放さが足りなかったことだ。』と一部辛口もあるが好評だった。
一方今年6月6日のフェニーチェ歌劇場の「ピーターグライムス」は評価する点がありつつも、辛口もある。
『ヴァルチュハはドラマティックな効果を得るために美しさを犠牲にした
音楽面ではユライ・ヴァルチュハが、フェニーチェ歌劇場管弦楽団から、緻密でドラマティックな力強い、攻撃的でさえある解釈を引き出して、しばしば誇張されたスコアの対比を強調したが、それは演出の強烈さを支えた。例えば、第1幕の嵐は生き生きと表現され、嵐を完璧に捉えていた。しかし、ヴァルチュハの譜読みの欠点は、楽譜の美しさが損なわれていることだ。オーケストラのダイナミックのバランスが悪く、バランスよりもディテールが強調され、深い質感が失われたり、歪んだりすることが多かった。ブリテンが書いた最も美しい音楽のいくつかを含む海の間奏曲は、その魅力と重要性を失ってしまった。また、ヴァルチュハは音楽の劇的なエネルギーを最大限に生かそうとするあまり、歌手を犠牲にしてオーケストラを支配してしまうことがあった。しかし、最後の幕が下りたとき、聴衆は彼の解釈に熱狂的に応えたと言わなければならない。』
ヴァルチュハの長所と短所が、これらの批評から浮かび上がってくる。
バランス、ダイナミックの動き、コントラスト、テンポにも気を配った、きめ細かな指揮である一方、ディテールが強調されたり、深い質感が失われたり、歪むこともある。今日の指揮にも当てはまりそうだ。
長所をさらに伸ばし、短所を長所に変えていけたとき、さらに大化けする指揮者になるのではないだろうか。ユライ・ヴァルチュハには今後とも注目していきたい。