ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
ソリストはクララ=ジュミ・カン。どこかで聴いたことがあると思ってブログを調べたら、2016年、今から7年前のフェスタサマーミューザでチョン・ミョンフン指揮東京フィルとのチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」を聴いていた。
チョン・ミョンフン 東京フィル チャイコフスキー・プログラム | ベイのコンサート日記 (ameblo.jp)
その時の印象は、『品の良い美音。繊細な弱音。演奏は、自然な流れで、無理がない。過剰な表現や、にぎにぎしさはなく、すっきりとしている』と書いていたが、今日の演奏はこの時と大きく異なっていた。
赤いドレスが象徴するように、火が出るように情熱的で弓圧も強い。強音は少し音が濁るほど。小泉都響もカンの演奏に合わせたのか、14型のオーケストラでガンガン攻めていく。
コンサートマスターは矢部達哉。
カンの第1楽章第1主題は勢い余ってアーティキュレーションが乱れたように聞こえた部分があった。短いカデンツァも激しい。続けて入った第2楽章アダージョは甘美な3つの主題を、ダイナミックに、むせび泣くように情感を込めて弾く。第3楽章第2主題では小泉都響がカンに挑みかかるような強烈な音でからんでいく。カンも負けじと激しく弾く。再現部の第2主題での都響のチェロ群がなかなか充実した響き。そのままコーダに向かって盛り上がっていった。コーダではカンは少し息切れしたかもしれない。
ここまで激しいブルッフのヴァイオリン協奏曲は聴いた記憶がない。個人的にはもう少し格調の高さを感じさせる演奏が好みではある。
聴衆はアンコールを期待して盛んに拍手を送るが、カンはカーテンコールを繰り返すのみ。熱演だったので、アンコールの余力がなかったのか、定期演奏会であって、フェスティバルやツアーではないということかもしれない。フェスタサマーミューザでは、バッハのラルゴを弾いた。
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
小泉和裕が都響主催公演で《幻想交響曲》を指揮するのは1985年3月の「ファミリーコンサート」以来、実に38年ぶりだという。
16型の大編成。予想通り、重戦車のように重厚で分厚い響きの《幻想交響曲》。
第1楽章「恋人に巡り合う前の不安と憧れ。やがて恋人に出会う」は色彩のパレットがあまり感じられない。
第2楽章「舞踏会」はきっちり。コーダのチェロをはじめ弦楽器は充実の響き。
第3楽章「野の風景」のイングリッシュ・ホルンとオーボエの対話はまずまず。
第4楽章「断頭台への行進」はとんでもない厚みと重みがあった。最後の輝かしい総奏も短くズバっと切る。
第5楽章「ワルプルギスの夢」はテューバの「怒りの日」の巨大な音、他の金管の咆哮、木管の奇怪な音、弦のコルレーニョなど、デフォルメされた巨大な音量と厚みがあった。
加速と重力を増しながら、最後は全エネルギーを集約して、力強く輝かしく終えた。
今月24日に聴くシャルル・デュトワ新日本フィルの《幻想交響曲》とは、たぶん対極にあるシンフォニックで重厚、低重心の演奏だが、勢いで押しすぎるため、多彩な表情や色彩が後退しているように思えた。
楽員が引き揚げた後もパラパラと続いた拍手は徐々に大きくなり、小泉和裕のソロカーテンコールになり、盛大なブラヴォが送られた。
写真:©都響