(6月24日、東京オペラシティコンサートホール)
(1曲目フンパーティンク歌劇《ヘンゼルとグレーテル》前奏曲は、メリハリがあり流れが良く、下野竜也はオケを鳴らすのは本当にうまいと思う。
ワーグナー(ヘンツェ編)の《ヴェーゼンドンク歌曲集》のオーケストラは6-4-4-2の小編成。インティメート(親密)な雰囲気となり、この歌曲集の秘められた詩の内容にそぐう。池田香織(メゾ・ソプラノ)は、イゾルデが歌うような迫力のある歌唱。第3曲「温室にて」細やかなオーケストラの後奏が心に残った。
読響とのドヴォルザーク交響曲全曲演奏達成で定評のある下野竜也にとって、交響曲第6番は最も得意とする作品のひとつ。それを証明するように、隙のない完成された演奏だった。曲の持つ生命力、浮き立つような民族的な旋律、チェコの自然を賛美するような曲想など、作品を知りぬいた下野竜也の指揮に、東京シティ・フィルも全力で応えていた。各奏者の演奏も充実していたが、中でもフルートの竹山 愛のソロが素晴らしく、下野竜也も演奏後最初に立たせた。
充実した演奏だが、そこに何が加われば、更に素晴らしい演奏になるか考えてみた。それは「本物感」かもしれない。楽譜に正確なだけでは得られない何物か。楽譜の背景にある深い文化的な側面、味付け、肌感覚のようなもの。チェコ人でしか表現できないものとまでは言わないが、ヨーロッパの伝統に基づいたニュアンス、味わいがいま少し加われば鬼に金棒ではないか。真似をすればいいということでもない。借りてくれば事足りるわけでもない。あるいは、別にヨーロッパの伝統など気にすることはない、音楽は世界共通語であり、さまざまな解釈が成り立つ、という見方もあるだろう。しかし、聴き手は欲張りだから、いい演奏の先を求めたがる。わがままなリクエストを下野竜也はどうとるだろうか。
写真:下野竜也(c) Naoya Yamaguchi 池田香織(c)井村重人