(7月26日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
1991年11月2日サントリーホールでのクーベリック指揮チェコ・フィルの歴史的な演奏を凌駕するとまでは言わないが、その演奏に迫る、「わが祖国」演奏史の栄光を引き継ぐにふさわしい、フルシャ&都響による新しい名演が生まれた。
フルシャ&都響の「わが祖国」を一言で表せば、格調高く清冽で、力強く若々しい覇気に満ちた鮮烈な演奏と言うべきだろう。都響はフルシャに文字通り全力で応え、フルシャも持てる力の全てを出し切った。その凄まじいまでの集中力に聴衆は完全に魅了され、指揮者とオーケストラの理想的な一体感は、会場に歓喜の渦をもたらした。
冷静に顧(かえり)みて、前半第1曲から第3曲の集中度が勝っていた。ステージ下手と上手に分かれたハープが奏でる第1曲「高い城(ヴシェフラト)」の動機の奥行きの深さからして、すでにこのコンサートが尋常なものでは済まないことを予感させた。この動機は最後の再現で決定的な高みに達し、その予感の正しさを証明した。
さらに清冽で瑞々しい第2曲「モルダウ」の主題を奏でるヴァイオリン群の洗練された響きや、農村の結婚の祝いの踊りの民族的なリズム、モルダウの急流の厚みと描写力は圧倒的だった。第3曲「シャールカ」の終結部では、フルシャのアッチェランド(だんだん速くなる)が最高度の興奮をもたらした。ここでは終演後フルシャが何度も絶賛したシャールカの主題を吹くクラリネットのソロも素晴らしかった。
後半は、リラックスした第4番「ボヘミアの森と草原から」で始まったが、ここではなんといっても収穫祭の農民のポルカにとどめを刺す。その素朴な味わいと、自然なリズムはフルシャが生粋のチェコ人であることを示していた。またオーボエが奏でる村の娘たちの主題の美しさと、弱音器を付けた弦楽器が奏でる牧場の主題の繊細な響きは特筆すべきだろう。
前半の集中度が勝ると書いたが、第5曲「ターボル」と第6曲「ブラニーク」の確信に満ちたフルシャの力強く筋肉質な指揮は、どれだけ絶賛しても、足りないのではないだろうか。例えば第5曲で、フス団の讃美歌の動機が繰り返され、対位法的に盛り上がって行き、勝利の動機が高らかに奏でられる前半のクライマックスでの強靭な響きは、この日の演奏のハイライトのひとつだった。
第6曲「ブラニーク」の最後にもう一度「高い城」の主題が奏でられ、壮大な演奏を締めくくった。
フルシャが都響の首席客演指揮者の座を去る日は、刻一刻と近付いている。巨匠の道を確実に歩んでいるフルシャを引き留めることは、世界の楽壇が許さないかもしれないが、日本の聴衆にとって大きな損失と悲しみでもある。今夜は先に待ち受ける悲しい別れを忘れさせてくれるような幸福で満ち足りた演奏会だった。
写真:ヤクブ・フルシャ(c)Petra Klackova