(7月30日、紀尾井ホール)
鈴木秀美は、新日本フィルを指揮したハイドン《天地創造》で、音楽のもつ生命力を余すところなく引き出す指揮に圧倒的な感銘を受けた。都合で行けなかった読響とのベートーヴェンの交響曲第7番も名演だったと聞く。その鈴木秀美が、芥川也寸志、深井史郎、ヒンデミット、三善晃の作品を振るというから興味津々だ。実は、オーケストラ・ニッポニカとは2012年に芥川の交響曲第1番を演奏しており、それも大好評だったという。
結論から言えば、鈴木秀美にとって、バロック音楽も古典も、ロマン派も現代音楽も、音楽としてはまったく同等に見えるのではないか。もちろん、演奏様式の違いはあるが、作品自体が持つ本来のエネルギーを鈴木秀美ほどダイレクトに引き出し、感じさせてくれる指揮者は少ないのではないだろうか。
芥川也寸志の「交響三章」の第1、3楽章はテンポが快速で躍動感のある指揮だった。プレトークで「さわやか一直線の作品」と鈴木は語ったが、爽やかさだけではなく、エネルギーが底から湧き出るような勢いに驚いた。また、「胸騒ぎ。悪い予感が的中する日本的な部分」と説明した第2楽章中間部は、そこだけ異様な世界に変わる。今日はコンサートマスターに荒井英治を迎え、オーケストラのまとまりも格段に良くなっていた。
深井史郎「架空のバレエのための三楽章」は1956年作曲。戦前から活躍し1959年に52歳の若さで亡くなった作曲家にとっては、晩年の作品だ。「模倣してもよい。聞こえてくるものは自分の作品だ」と深井の言葉を紹介し、「ラヴェルやイベールが聞こえてくるが、借り物ではない面白さがある」と語る鈴木秀美。第1楽章からはR.シュトラウス「ばらの騎士」のフレーズが聞え、第2楽章は日本的。第3楽章はラヴェル「ラ・ヴァルス」を思わせる、個性的というか、不思議な作品だった。
ヒンデミットについて、鈴木秀美は「難解なもの、聴きやすいものの2種類ある。今日の作品は聴きやすい。和声が崩壊した時代だが、後期ロマン派につながり、爛熟した和声感がある。ゲテモノ食いだが、おいしい感覚がある。だんだん好きになってきた」と語る。友人の指揮者ラルフ・ワイケルトは、ヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」を指揮した時、「ヒンデミットのDensity=密度の濃さがわかるか?」と聞いてきたが、今日の「バレエ組曲《気高い幻想》」(1938)も、その音楽の密度の濃さ、分厚い和声、重層的な響きは、ねちっこくまとわりつくものがあり、確かに癖になりそうだ。鈴木は第3楽章のパッサカリアで金管を壮麗に鳴らし切った。
密度の濃さ、ねちっこさで言えば、三善晃も負けてはいない。桐朋学園時代、三善から室内楽のレッスンを受けた鈴木は、三善の話が難しく、また学生の話を聞くときも、分類整理して内容をまとめてくれたというエピソードも披露した。三善の「交響三章」はむずかしいと鈴木は話すが、指揮は実に明解で、一筋縄でいかないこの作品を、ダイナミックに鮮やかに聴かせてくれた。しかし、この作品の持つ異常なエネルギーは何なのだろう。日本的な怨念のような恐ろしさも感じられた。
オーケストラ・ニッポニカは、芥川也寸志の意思を受け2002年発足。日本人の交響作品を積極的に演奏する団体。ミュージックアドヴァイザーは野平一郎が務める。