Quantcast
Channel: ベイのコンサート日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1645

鈴木秀美 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会 音楽堂シリーズ第13回

$
0
0

76日、神奈川県立音楽堂)

神奈川フィルが2014年から4年間にわたり神奈川県立音楽堂で継続してきたハイドンと他の作曲家を組み合わせる「ハイドン・シリーズ」が終わり、1年間の改修を経た音楽堂で新たに始まったのはモーツァルトと他の作曲家を組み合わせるシリーズ「モーツァルト+(プラス)」。その第1回は「~モーツァルトと近現代の作品~」というタイトルで指揮に鈴木秀美を迎えた。

 

プレトークで鈴木秀美は、次のように語った。

『通常のコンサートでは、作曲家の年代や時系列でプログラムされるので、ハイドンやモーツァルトは前座のように最初に演奏されることが多い。今日は最後にモーツァルトを置いた。しかしそこにつなげる作曲家を選ぶのが難しい。モーツァルトは私にとっては突然現れた宇宙人のようなもの。父レオポルドの作品は凡庸であり、面白くない(苦笑)。これがベートーヴェンの場合はハイドンやエマニュエル・バッハというように先達が浮かび、後はシューベルトにつながっていく。モーツァルトの後を継ぐ人が見つからない。とはいうものの、ブリテンとヒンデミットはモーツァルトを尊敬し研究した作曲家であることは間違いない。』

 

鈴木秀美はこのあと演奏曲目について解説した。

ブリテン「シンプル・シンフォニー」は、子供のころ書いた楽想を使って“売れる曲”を書いた。子供の潔癖さや、感情に押し流されるような情緒不安定なところもある作品。

 

ヒンデミット「組曲《気高き幻想》」はめったに演奏されない。1938年という戦争の影に覆われ始めた時期の作品だが、アッシジの聖フランチェスコをテーマにしたバレエ音楽を組曲にしたもの。第3楽章は主題と19の変奏、終曲から成る。最後は神への賛歌の大音響で終わる。
 鈴木自身は一度指揮する機会があったと言っていたが、2017730日紀尾井ホールでのオーケストラ・ニッポニカの演奏会のことだろう。これは私も聴いている。
https://ameblo.jp/baybay22/entry-12297243563.html

 

神奈川県立音楽堂は何年ぶりだろう?10年以上来ていない気がする。改修は目に見えてどこが変わったがよくわからない。座席のシートやトイレは新しくなったようだが、1954年前川國男が設計したオリジナルの建築はそのまま生かしてあるようだ。ただ、音響が良いと言われているものの、今日の神奈川フィルの演奏を聴く限り、相当デッドだ。たまたまこの後、18時から横浜みなとみらい大ホールでの日本フィルの演奏会に行き、ブリテンに近い編成のプロコフィエフ「古典交響曲」を聴いて、そちらは残響豊かだったので、違いがよけい鮮明だった。

 

ブリテンはホールのデッドさもあるのか、神奈川フィルの弦が切り立ってささくれたったように表面がザラザラして聞こえ、第3楽章「感傷的なサラバンド」も期待したのだが音楽の中に入っていけなかった。

 

ヒンデミット「組曲《気高き幻想》」では編成は大きく複雑になったが、やはりデッドな響きが影響するのか、第2楽章までは音楽に集中できなかった。本当は第2楽章などかなり面白いはずなのだが。しかし、第3楽章最後の金管を中心とした輝かしいクライマックスは高揚感があった。

 

後半は“メイン・ディッシュ”のモーツァルト「交響曲第38番《プラハ》」。12型対向配置の編成で適度にヴィブラートをかけた演奏は厳密なピリオド奏法ではない。
 やはり、鈴木秀美は古典派以前の作品が合う。神奈川フィルも水を得た魚のように演奏に活気が出た。弦の響きも粗さがとれスッキリとして、響きに艶が出ていた。歓喜にあふれた第3楽章プレストはジュピター交響曲の終楽章を思わせる壮麗さがあり、素晴らしい盛り上がりを築いていた。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1645

Trending Articles