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Channel: ベイのコンサート日記
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ジョナサン・ノット 東京交響楽団 東響コーラス リゲティ《レクイエム》ほか

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ジョナサン・ノット 東京交響楽団 
サラ・ヴェゲナー(ソプラノ)、ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(メゾ・ソプラノ) 
東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)

(7月20日、サントリーホール)

ジョナサン・ノットによる死と人生をテーマにしたプログラム。

1曲目シュトラウス2世「芸術家の生涯」の冒頭のワルツは微弱音でひそやかに奏でられる。遠くから響いてくるワルツはマーラーの交響曲の緩徐楽章のようでもあり、また雲間から光が差し込むように始まるラヴェル「ラ・ヴァルス」を思わせる。主要部の華やかなワルツは《幻想交響曲》第2楽章「舞踏会」の夢幻の世界を感じさせた。こうした繊細微妙な表情にノットが意図する「死」の影を見る気がした。

 

 次はリゲティ《レクイエム》。120名もの東響コーラスはP席に位置する。「入祭唱」のつぶやくような合唱と地を這うようなテューバやコントラファゴットの低音は地獄からの呼びかけだろうか。

「キリエ」は死の恐怖にかられた今際(いまわ)の叫びのようだった。オーケストラの金管木管弦と共に高音の合唱が異様な迫力をもって迫る。技術的に最高度の難度があると思われる女声合唱の高音が素晴らしく安定しており、感嘆する。

 

「審判の日」はメゾ・ソプラノとソプラノが超高音を伸ばして歌い、それを合唱が引き継ぐ。あるいはソリストの叫ぶような歌に怒りの感情を込めた合唱が返すやり取りが果てしなく続く。審判の場に引き出された恐怖と苦痛は永遠に終わらないのだろうか。

サラ・ヴェゲナー(ソプラノ)、ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(メゾ・ソプラノ)は見事だった。

「涙の日(ラクリモーサ)」は合唱が加わらずソリスト2人の歌唱が雅楽を思わせる木管とともに開始される。ソリスト二人の歌も邦楽の歌いもの(朗詠)のように聞こえる。リゲティは雅楽を研究したのだろうか。

 

リゲティの異様な音楽がすんなり耳に入ってきたのは、演奏者全員のレベルの高さと、リゲティとの交流もあったノットの共感に満ちた指揮のおかげであり、優れた演奏で作品の真価を知ることができたことは幸運だった。

 

後半のタリス「スペム・イン・アリウム」は東響コーラスが縦に短い4列、オルガン下に横に広く2列の組み合わせた形に分かれ、5声部8組40声部の合唱を構成する。

最後の全員の合唱は神への感謝の喜びであふれ、前半の死の世界から生の世界へ帰ってきた安ど感があった。

 

最後にR.シュトラウス「死と変容」が演奏された。ノットの指揮は明解で最後はダイナミックな盛り上げをつくり安らかな眠りにつくように終わった。途中の激しい部分はリゲティの「審判の日」を思わせた。

 

コンサートの流れは、シュトラウス2世「芸術家の生涯」はマーラーの世界に通じる「死の予兆」に始まり、リゲティ《レクイエム》は死へ向かう世界、タリスは死から解放され生の喜びに戻る。そしてR.シュトラウスは生から死へのドラマそのもので、最後に全体を俯瞰する作品というようになっていると感じた。

 

ノット&東京交響楽団、東響コーラスの強力なタッグが生み出す演奏会はいつも刺激的で期待を上回る感動をもたらしてくれる。

写真:()東京交響楽団

 


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