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Channel: ベイのコンサート日記
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大野和士 ヴェロニカ・エーベルレ(ヴァイオリン) 都響 ベルク「V協奏曲」ブルックナー9番

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93日、東京文化会館大ホール)
 ベルクのヴァイオリン協奏曲と、ブルックナー「交響曲第9番」を組み合わせた大野和士の意図は、後者について語る大野のこの映像でよくわかる。

https://www.youtube.com/watch?v=pVthGbdl_WU

 

 同時に、なぜ大野が激烈で荒れ狂うようなブルックナーを聴かせたのかも、理解できた。大野によれば、第7番、第8番までと、第9番を書いたブルックナーは大きく異なるという。

 

詳しくは映像を見ていただきたいが、マーラーやシェーンベルクを10年以上先取りするような不協和音の多用や、無調に近い音楽が第9番で展開されており、死を前にしたブルックナーが、それまでと違う暗黒の世界をのぞいたのではないか。これまで神のように仰ぎ見ていた巨峰の裏側までも、描こうとしたのではないか、というのが大野の推察だ。

 

実際の演奏の印象として、常に前へ前へと追い立てられるような切迫感にはただならぬものがあり、それが従来のブルックナーにある悠然と前に進む巨大な世界とは、かけ離れたものに感じられた。そうしたものを期待していた私には、大野の指揮は全く受け入れがたいものがあった。大野和士のビデオを事前に見ていれば、拒否反応は起きなかったかもしれないし、多少はやわらげられたことだろう。

 

不協和音や無調が登場する第9番が、それまでのブルックナーとは異形である、という大野の指摘は正しいのだろう。とはいうものの、果たしてその解釈で良いのだろうか、という疑問は消えてはいない。それは、これまで数多く聴いてきた様々な指揮者をさかのぼると、今回の大野のようなブルックナーを聞かせた指揮者が思い浮かばないためだろう。それだけブルックナーのイメージが自分に浸透しているためかもしれない。 

 

さかのぼれば、ヴァイグレ、ブロムシュテット、インキネン、ノット、飯守泰次郎、ハイティンク、ノット、ハイティンク、ケント・ナガノ。もっと以前ならヴァントの最後の来日公演など。

ただ、ノットの第2楽章スケルツォの激烈さは常軌を逸するものがあり、ひょっとして彼も大野の同じような世界を見ていたのだろうか。例外として、インバルがいるが、彼の指揮は絶対音楽そのもので、音の運動性のブルックナーという印象だった。

 


 好き嫌いは別として、ブルックナー「交響曲第9番」には、こういう世界が秘められているという、大野和士の解説は非常に勉強になった。

 

前半のベルク「ヴァイオリン協奏曲」はヴェロニカ・エーベルレが安定した演奏を聴かせてくれた。揺るぎないテクニックに裏打ちされた多彩な表現力は、聴き手を安心感で包み込み、ベルクのロマン性を充分味わうことができた。

 

この作品を書く直接のきっかけとなった、アルマ・マーラーとグローピウスの間に生まれた少女マノンの、優しさ、繊細さ、機知を描く第1楽章から、マノンの死との葛藤の悲劇、マノンを悼むコラール、そして天国に召されるマノンを描いた第2楽章まで、エーベルレの演奏は間然とするところがなかった。大野&都響も、木管のコラールをはじめ、よくエーベルレを盛り立てていた。
 





 


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