(11月21日、すみだトリフォニーホール)
驚愕のコンサートだった。ヴィルサラーゼの音楽はスケールが途方もなく大きい。ピアノで可能な表現を限りなく聴かせることができるのではないかと思わせる。古典からロマン派までピアノ史を俯瞰しながらその真髄を教えてくれた。
彼女の弾く音符ひとつひとつに文字が浮かび、それが連なり意味を持って聞こえてくる。こういう体験は初めてだ。
たとえばベートーヴェンの「熱情」、第2楽章第3変奏。主題が32分音符で左右の手で弾かれるが、その細かな粒となった音符ひとつひとつが目に見えるように浮かび上がり、深い内容を持って伝わってくるのは驚倒するほかなかった。
モーツァルトの2曲のソナタ(第13番変ロ長調K.333、第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付き」)では、左手の低音が意味深く響く。それは右手の珠のように美しいメロディーと二人して会話するように聞こえてくる。音やフレーズは密接に関連づけられ、モーツァルトが立体的な構造を持つ堂々とした作品となって現れてくる。
シューマンの「謝肉祭」はテンポが速く、全曲を貫く躍動感、生命力が見事だった。ロマンティックに演奏されるシューマンはあまたあるけれど、ヴィルサラーゼのようなたくましく若竹を割ったような演奏を聴くと、目から鱗が落ちる。「謝肉祭」はこう演奏されるべきだと説得された気がする。
アンコールの3曲も素晴らしかった。ショパン:マズルカ作品34-1、シューマン(リスト編曲):「春の夜」、ショパン:ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」が披露された。ショパンの格調の高さ、シューマンの深さ。
「感動」という言葉がいかにも浅く響く圧倒的で絶対的な価値を持つコンサートだった。
エリソ・ヴィルサラーゼ(c) 能登直
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エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル
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