今日、東京文化会館で聴いた、アラン・ギルバート指揮、東京都交響楽団、矢部達哉のヴァイオリンによるバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第1番」。冒頭のロマンティックな主題が、あるスタンダード・ジャズか、ポピュラー曲にそっくりだけれど、曲名が思い出せない。喉まで出かかっているけど、出てこないので、ずっとヤキモキしていました。
ちなみにこの映像の、ヴァイオリンのソロ、最初の4つの音「ニー嬰ヘーイー嬰ハ」です。バルトークが恋したヴァイオリニスト、シュテファイ・ゲイエルに捧げた曲で、彼女を表す指導動機として何度も出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=CLDn-F2Q4Gs
帰ってから思い出しました。ビル・エヴァンス・トリオのアルバム「モントゥルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス」で聴き込んだ「アイ・ラヴス・ユー・ポーギー」(ジョージ・ガーシュウィン作曲、オペラ「ポーギーとベス」より)です。大好きな曲。
https://www.youtube.com/watch?v=HdzflG9HgWM
バルトークの作品は、1907年から1908年に作曲されましたが、公開の初演はなく、シュテファイ・ゲイエルの死後、1956年頃に彼女の遺品から発見されたので、ガーシュウィンは、この曲を聴いていないと思います。偶然だとしたら、なんとロマンティックなことでしょう!
友人から、ラフマニノフ「交響曲第2番」第3楽章の有名な主題がさらに似ていると教えてくれました。移調すると6音目まで同じとのこと。https://www.youtube.com/watch?v=QNRxHyZDU-Q&fbclid=IwAR2u7F_yuz_qIaGRSMKga8nJsi3DAMXi1F4T7FbLuF8qt7ekZp5YJDyQKCo
ラフマニノフの交響曲第2番の作曲は、バルトークより1年早い1906年から始められ1907年に完成。1908年初演。なんとほぼ同じような時期に作曲されています。バルトークがラフマニノフの初演を聴いたのか、あるいは楽譜を見たのか。これも偶然なのでしょうか?なんとも不思議です。
1918年にラフマニノフはアメリカにわたり以後ロシアに帰ることはありませんでした。アメリカではコンサートピアニストとして活躍しました。
ガーシュウィンのオペラ「ポーギーとベス」の完成は1935年。
https://youtu.be/FwkMGZZ02H8?t=166
ここに至って以下の推測ができます。
① ラフマニノフをバルトークとガーシュインが聴いた可能性。
② ラフマニノフをガーシュインが聴いた可能性。
③ 三者の旋律が似たのは全くの偶然。
実際はどうなんでしょう?