(12月7日、ミューザ川崎シンフォニーホール) ウィグルスワースの指揮は、弦から艶のある音を引き出し、ハーモニーも綾なすように美しい。ウィグルスワースの指揮は、終始ピアノとの一体感があり、充実のモーツァルトだった。
バートレットのアンコールは、J.S.バッハ「パルティータ第2番より第6曲カプリッチョ」。鍵盤の上を左右に駆け抜けていく軽やかなタッチ。
マーラー「交響曲第1番《巨人》」は、思い入れたっぷりとした粘っこい演奏ではなく、端正であっさりとしている。しかし、各楽章のクライマックスは、熱量が充分あり、第4楽章最後は、生演奏でしか起き得ない、突き抜けるような、この日最大の頂点に達した。
バートレットの弾くモーツァルト「ピアノ協奏曲第24番」は、清潔で品の良い演奏。第3楽章はもう少しパトスがあってもいいのではないかと思う。第2楽章のピアノと木管との対話は、天国的だった。東響の木管は、オーボエの荒絵里子を初め皆うまい。ファゴットとオーボエ、フルート、クラリネットのアンサンブルのハーモニーが心地よい。
バートレットのアンコールは、J.S.バッハ「パルティータ第2番より第6曲カプリッチョ」。鍵盤の上を左右に駆け抜けていく軽やかなタッチ。
マーラー「交響曲第1番《巨人》」は、思い入れたっぷりとした粘っこい演奏ではなく、端正であっさりとしている。しかし、各楽章のクライマックスは、熱量が充分あり、第4楽章最後は、生演奏でしか起き得ない、突き抜けるような、この日最大の頂点に達した。
第1楽章は、最初もやもやとして、方向が見えなかったが、展開部のクライマックスから一気に勢いを増し、最後は強烈に締めた。
その勢いは、続く第2楽章にも受け継がれ、付点音符のついた低弦のエネルギュッシュな演奏は切れがあった。トリオのワルツ風主題は、荒絵里子のオーボエが滑らかに歌った。
その勢いは、続く第2楽章にも受け継がれ、付点音符のついた低弦のエネルギュッシュな演奏は切れがあった。トリオのワルツ風主題は、荒絵里子のオーボエが滑らかに歌った。
第3楽章のコントラバスの主題は、ソロではなく、8台の合奏。中間部の「さすらう若人の歌」第4部の旋律は、余りにもはかなく繊細。旋律が聞こえてこない。少しやり過ぎではなかったか。
第4楽章は、速めのテンポで切れ味良く進む。オーケストラに無理をさせないので、最強音でもバランスが崩れない。
練習番号16からの第2主題は、あっさりとしていた。ここは、以前ダニエル・ハーディングが新日本フィルとのリハーサルで「スロー・ダンスを踊るように」と指示したロマンティックな旋律が美しいところ。もっと、たっぷり歌ってほしい。中間部のクライマックスは、再び盛り上がっていき、第3部は、最初に書いたように電流が背中に走るような盛り上がりとなった。金管の立奏は、ホルンのみだった。
ウィグルスワースの指揮は、誇張やハッタリがなく、面白味は欠けるが、職人的な指揮者のように、作品のツボをはずすことはない。彼の指揮は二度目。昨年4月、同じく東京交響楽団を指揮したブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」(コーストヴェット第3稿)を聴いた。56分の快速演奏だった。モーツァルトは素晴らしいので、いつか彼の指揮で交響曲をまとめて聴きたいものだ。ただ、同じような表情が続くような気もするので、1曲に絞ったほうがいいかもしれない。
写真:マーク・ウィグルスワース©Ben Ealovega
第4楽章は、速めのテンポで切れ味良く進む。オーケストラに無理をさせないので、最強音でもバランスが崩れない。
練習番号16からの第2主題は、あっさりとしていた。ここは、以前ダニエル・ハーディングが新日本フィルとのリハーサルで「スロー・ダンスを踊るように」と指示したロマンティックな旋律が美しいところ。もっと、たっぷり歌ってほしい。中間部のクライマックスは、再び盛り上がっていき、第3部は、最初に書いたように電流が背中に走るような盛り上がりとなった。金管の立奏は、ホルンのみだった。
ウィグルスワースの指揮は、誇張やハッタリがなく、面白味は欠けるが、職人的な指揮者のように、作品のツボをはずすことはない。彼の指揮は二度目。昨年4月、同じく東京交響楽団を指揮したブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」(コーストヴェット第3稿)を聴いた。56分の快速演奏だった。モーツァルトは素晴らしいので、いつか彼の指揮で交響曲をまとめて聴きたいものだ。ただ、同じような表情が続くような気もするので、1曲に絞ったほうがいいかもしれない。
写真:マーク・ウィグルスワース©Ben Ealovega