(6月29日・サントリーホール)
グルック(ワーグナー編):歌劇「オーリードのイフィジェニー」序曲
ワーグナーの編曲はグルックの古典的な端正さとロマン派の重厚な音楽を合体させたような印象。ヴァイオリンの数を場面に応じて減じたり、増やしたりするのが面白い。ヴァイグレの指揮はいつもながら確信に満ち明快。
フランツ・シュミット:歌劇「ノートル・ダム」から間奏曲と謝肉祭の音楽
しなやかで強靭なヴァイオリンの音、木管、金管は色彩感があり華やか。かっちりとした構成と明確な輪郭はいかにもドイツ的。ヨーロッパの劇場音楽にたけたヴァイグレの指揮が冴えていた。
フランツ・シュミット:交響曲第4番
フランツ・シュミット(1874-1939)は戦前のウィーンでマーラーやシェーンベルクよりも尊敬されていた作曲家だったという。ナチへの迎合がマイナスとなり、戦後しばらくは忘れ去られていたが、近年は再評価が進み演奏の機会も増えている。
シュミットの交響曲を聴くのは2011年にアルミンク新日本フィルで交響曲第2番を聴いて以来10年ぶり。今回切れ目なく演奏される4つの部分からなる第4番を聴いて、この曲も非常に緻密に書かれた傑作であることを確認した。
ヴァイグレの指揮は前半同様全体の見通しが良く明晰。シュミットが出産に際して亡くなった娘のレクイエムとして書いた作品の沈痛さとともに、最後は救済に終わるドラマを混濁のない響きを維持しながら緻密に描いて行った。クライマックスでも煽ることはなく、格調高い演奏を聴かせた。
読響も素晴らしい集中力のある演奏。チェロ首席の富岡廉太郎の第2部分アダージョでのソロは深みがあり、ヴァイグレが特に称賛していた。
この交響曲は、冒頭と最後のトランペットのソロが全体を統一する主題として重要であり、その演奏が全体に少なからず影響する。冒頭のソロは23小節もあり、指揮者は奏者に任せ指揮しないことが多いが、ヴァイグレも同様だった。
首席辻本憲一の冒頭のトランペットは前のめり気味で少しぎこちなかったように思えたが、これは作品の求める「不安げな落ち着かない雰囲気」を表すものだったのか、あるいは緊張からくるものだったのか。後のソロはまずまずだったので、冒頭は固くなったのかもしれない。