《第九》で指揮者が感激の余り泣くのを初めて見た。スワロフスキーは終わったとたん、顔を覆って泣いていた。確かに、終楽章の白熱した高揚は、これまで幾度となく聴いてきた《第九》の中でも、筆頭にあげても良いかもしれない。
しかし、その高揚は、そこに至る過程があったからこそ起こり得たと思う。つまり、スワロフスキーのヨーロッパの伝統を感じさせる正統的な指揮が、ベートーヴェンの書いた音楽を忠実に再現していき、ベートーヴェンが意図したとおりに着実にエネルギーを蓄え、最後の最後になって、一気に蓄えたエネルギーを開放した結果、スワロフスキーの予想以上の熱い演奏になったのではないか。
最後になって、舞台の上の出演者全員が、何か見えないものに後押しされるような、信じられない力を発揮したのではないだろうか。スワロフスキー自身もその信じられないほどの高揚に驚き、感動し、思わず涙が溢れだし、顔を覆ったのだと思う。それは、生演奏でごくまれに起こる瞬間だった。
スワロフスキーはピアニッシモを大切にして、きめ細やかに音楽をつくっていった。解釈は、オーソドックスであり、思い入れや誇張はなく過剰な表現を避けているようでもあった。演奏時間は約66分。
スワロフスキーは都響の弦から美しいハーモニーを引き出した。チェロとコントラバスの響きもキレと厚みがあった。木管楽器の位置を低くしていたためか、木管全体がほどよくブレンドされて聞こえてきた。16型の巨大な編成だが、バランスの良い音がする。
スワロフスキーの指揮姿は、土台がしっかりしており、両手を大きく広げたタクトからは、横に広がる息の長いフレーズを生み出していく。そこには常に歌があふれていた。
ソリストはステージ前に出て歌った。ソプラノ:安井陽子、アルト:富岡明子、テノール:福井敬、バリトン:甲斐栄次郎という二期会のメンバー。合唱も二期会合唱団。合唱指揮は増田宏昭。ソリストはさすがベテランのうまさ、安定した歌唱で、4人のハーモニーもバランスが良かった。
合唱は80名ほど。新国立劇場合唱団と肩を並べる声量と正確なハーモニー、発音の良さがあった。新国立劇場合唱団が個々の団員の個性が感じられるのに対し、二期会合唱団は一糸乱れず、パートごとの結束が固いという印象があった。
写真:©東京都交響楽団 (23日東京芸術劇場での撮影)