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思い出のコンサート アルベルト・ゼッダのロッシーニ(2011年9月16日、17日)

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マエストロ、ゼッダのレクチャーは、ロッシーニの第一人者ならではの貴重な話が満載だった。

 

2011916日金曜日午後3時 レクチャー・コンサート

2011917日土曜日午後2時 本番

新百合ヶ丘 テアトロ・ジーリオ・ショウワ

指揮:アルベルト・ゼッダ 管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ

コンサートミストレス:瀬川光子

 

レクチャー・コンサート:

ロッシーニ:《どろぼうかささぎ》序曲

ロッシーニ(レスピーギ編):バレエ音楽「風変わりな店」

 

本番:

ロッシーニ(ブリテン編):大編成オーケストラの為の音楽の夕べ

ロッシーニ(コレギ編):フルート・ソロ、女声、弦楽の為のドードー組曲

ロッシーニ(レスピーギ編):バレエ音楽「風変わりな店」

アンコール;ロッシーニ:《どろぼうかささぎ》序曲

 

この二日間で、ロッシーニがとても身近になったことを感ずる。

巨匠アルベルト・ゼッダは、1928年イタリア、ミラノ生まれの81歳。年齢がにわかには信じられないほど、指揮ぶりはかくしゃくとしており、その音楽はまさに生命に満ち溢れている。ロッシーニの批判校訂版楽譜の編纂、世界中のオペラハウスでのロッシーニ演奏で名声を博し、今回は藤原歌劇団の「セビリャの理髪師」指揮のため来日。海外では指揮台に登壇するだけで拍手がやまないという巨匠中の巨匠だ。

 

レクチャー・コンサートでは、最初に《どろぼうかささぎ》序曲を通して演奏。エネルギーの塊のような音楽の奔流に圧倒された。そのあとのマエストロのレクチャーは、ロッシーニの第一人者ならではの貴重な話が満載だった。

 

以下、マエストロの言葉を箇条書きします。

・《どろぼうかささぎ》序曲の解釈はトスカニーニ、アバドのように明るく陽気にやるのが一般的だが、私の解釈は違う。このオペラの本質は明るいところと悲劇的な面がある。オペラ全体を理解して序曲を演奏しなければならない。このオペラには悲劇的な面が多々ある。

 

・ロッシーニは悲劇的なドラマを理解して演奏に臨むべき。喜びと悲劇の両面を演奏に出すべき。ここにロッシーニを演奏するさいの「秘密」と「核心」がある。

 

・ロッシーニの場合、喜劇と悲劇の境界線が非常に狭い。その両方を表現しないといけない。

 

・ロッシーニの音楽自体(楽譜自体)には「意味」がない。その音型は無色透明。短い音型を続けることで一つの音型ができている。

 

・従って演奏者に求められるのは、音に意味づけをすることである。プッチーニ、ヴェルディは音符そのものに全てのドラマが語りつくされている。ロッシーニの場合、歌手は彩り、色彩感を語りかけによって出さなくてはならない。演奏者、指揮者はリズムが重要。リズムの緻密な設計図がロッシーニの解釈には大切。

 

・ロッシーニの音楽はリズムがリズムを生む。呼吸するようにリズムが高まっていく。ロッシーニのリズムはその時その時で変化する。ひとつとして、同じリズムはない。

 

・そのリズムの変化、「ルバート」についてはロッシーニの場合は表現が難しい。ロマン派の音楽のようにわかりやすくない。少し早い、少し遅い、というひとつひとつのフレーズを判断し続けること。リズムが旋律を生んでいくこと。リズムに乗って呼吸するように音楽をつくっていかなければならない。

 

以上、すべて目からウロコの話だった。

 

本番で聴いた曲目はいずれも初めて聴くものばかり。

ブリテン、コルギ、レスピーギともにロッシーニに魅せられ、ロッシーニの埋もれた作品から掘り起こした小品を編んでこれらの作品を作った。コルギは1937年生まれのイタリアの作曲家。

コルギとレスピーギは、ロッシーニが65歳を過ぎて折々に書き溜めていった小品集「老いの過ち」から編曲した。

 

一言で感想をまとめると、ロッシーニ(ブリテン編)「大編成オーケストラの為の音楽の夕べ」は日本の抒情歌のような旋律も出てくるところもあれば、イタリアの民謡舞踊もあるといった現代的で多彩な作品。コルギは室内オーケストラにメゾソプラノ、フルートが交互に演奏する風変わりで、どこか懐かしい作品。

 

ロッシーニ(レスピーギ編):バレエ音楽「風変わりな店」は、レスピーギの選曲と編曲の妙が味わえる色彩豊かな音楽。
 

しかし、これらすべてを凌駕して、アンコールで演奏された《どろぼうかささぎ》序曲は、音楽の充満ぶり、生命力、ロッシーニ・クレッシェンドがすべて網羅され、レクチャーの言葉通り「ロッシーニの光と影」が渾然となった感動的な名演だった。

 

テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラは、昭和音楽大学の卒業生を中心とした若い弦・管・打楽器奏者のためのキャリア教育と、オーケストラプレイヤー育成のため昨年結成されたばかり。学生OBオーケストラとはいえ、すでに藤原歌劇団公演などプロデビューもしており、プロ顔負けのすきのない演奏を繰り広げ、マエストロの信頼を勝ち取っていた。

 

余談だが、コンサート終了後、大学構内、テアトロ・ジーリオ・ショウワ前のイタリアンレストラン「リストランテ・イル・カンピエッロ」で食事した。店内に入ると、マエストロ、ゼッダと夫人、昭和音楽大学の関係者が打ち上げの食事会をしていた。帰りがけに、マエストロに「ブラヴィッシモ!!」と声をかけ、プログラムにサインしていただいた。このレストラン、前菜もパスタ(自家製)も、チーズも絶品!おすすめです。人気店なので予約必須です。

http://r.tabelog.com/kanagawa/A1405/A140508/14009319/

 

 


 


思い出のコンサート ケント・ナガノ バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会(2011年9月30日)

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2011930日金曜日午後7時 

「バイエルン国立管弦楽団 特別演奏会」

指揮:ケント・ナガノ 

合唱監督:ゼーレン・エックホフ

ソプラノ:アンナ・ウィロフランスキー メゾ・ソプラノ:オッカ・ファオン・デア・ダメラウ

テノール:ロバート・ディーン・スミス バス:スティーヴン・ヒュームズ

合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団

東京文化会館大ホール 

ブルックナー:

交響曲第9番 ニ短調 

テ・デウム ハ長調

 

原発事故のため、40名とも80名とも言われる楽団員の来日拒否(無給休暇)が伝えられていたが、主催者からは「テノールがケネス・ロベルソンからロバート・ディーン・スミスに、合唱がアウディ・ユーゲントコーラスアカデミーからバイエルン国立歌劇場合唱団になりました。」の一文がプログラムに記載されたのみ。どこまでが実態のオーケストラ・合唱団かは不明なままコンサートは始まった。コーラス約90名中日本人と思しき女性が12人、男性2人、楽員は女性が2人参加していた。

 

ブルックナーの未完の交響曲第9番は第4楽章が一部書かれたところで作曲家が亡くなったため、通常は第3楽章のアダージョで終わる。今夜はブルックナーが亡くなる前年ウィーン大学で行った最終講義で『フィナーレの第4楽章が完成できないまま自分が世を去ったら旧作の宗教合唱曲「テ・デウム」を代用してほしい』という遺言にのっとって、第3楽章に続いて、「テ・デウム」が演奏された。演奏時間は80分を越す。

一般的には合唱、ソリストの確保という経済的な側面からもこのような機会は極めて珍しい。メンバーが不揃いでも、実際に「テ・デウム」まで聴けたことで、来日を感謝すべきなのかもしれない。

 

(コンサート総評)

臨時の楽員、合唱団員が入っての演奏としては、指揮者ケント・ナガノがよくまとめあげた力演と言っていい。特に、「テ・デウム」が続けて演奏されたときには、交響曲第9番で木管がやや不安定だったオーケストラが突如として雄弁になり、ソリスト、合唱とともにダイナミックに、共感を持って感動的に盛り上げた。

日頃からオペラを通して声との共演に慣れ親しんでいる歌劇場オーケストラならではの自信と説得力にあふれた素晴らしい演奏だった。

 

交響曲第9番では弦と金管がさすがにドイツの伝統を感じさせる深く奥行きのある渋い音色。海外のオーケストラを聴くのは、35日のライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団以来。これぞドイツの音といった快感を味わった。

一方、木管は「トラ」が多いのか、アンサンブルに難があり、音色もさえない。オーボエは問題ないが、フルートとクラリネットのセクションは名手たちとは言えないのではなかっただろうか。 本来のバイエルン国立管弦楽団ではない状態のなかでナガノの健闘がくいとめたものも多い。ともあれ、立派な出来になりよかったと思う。

 

(詳細レポート)

交響曲第9番

1楽章:荘厳に、神秘的に

冒頭の弦のトレモロはひそやかで奥深く素晴らしい。ホルンによる短い動機と導入主題は深い音色。オーケストラの総奏による第1主題のあとの木管がやや不安定。

 

2主題をナガノはゆったりと歌わせる。オーボエによる第3主題は侘しさがよくでていたが、受けるフルートに深みがない。弦楽器が第3主題を引き継いでいく。ホルンの斉奏はさすがドイツの伝統を思わせる。

展開部のクライマックスは弦と金管の厚みが素晴らしく、いきなりテンポを落として練習番号Oに入るときのタイミングの切り替えはうまくいく。380小節から390小節までのヴァイオリン奏者にとって難しい箇所も引き締まる。練習番号Sからの弦楽器の響きに引き込まれる。500小節前後のクライマックスは感動がいまひとつ。木管に問題か。終結部の金管のハーモニー、弦のハーモニーは素晴らしく、充実したコーダになる。

 

2楽章:スケルツォ、動きをもって、生き生きと

テンポは速め。練習番号Aから重心の低い重みのある響き。トリオ副主題での弦の音色が美しい。フルート、クラリネットにやや難があり、金管は水準を保つ。ただ、全体としてどこか緊張感が欠けたままスケルツォが終わる。

 

3楽章:アダージョ、ゆっくりと、荘厳に

冒頭主題のヴァイオリン、チェロ、コントラバスの音色の深さが印象的。

練習番号Aからのオーケストラの総奏は、これまでのなかで一番凝縮度を感ずる。

練習番号Bのブルックナー自身が「生からの別れ」と名付けたワーグナーテューバのハーモニーが心をえぐるかのように響く。

2主題および変ト長調のあらたな主題のヴァイオリンの美しさも特筆したい。

展開部ではFからの弦の厚みに引かれる。Lでの天からの啓示のような下降音列に感動する。

 

再現部から第2ヴァイオリンが4連音符で伴奏を続けるところの技術は素晴らしい。このレベルは高い。

終楽章のクライマックスが近づく。ナガノの渾身の指揮による206小節の壮絶なブルックナー・ゲネラル・パウゼは今日の白眉。

徐々に音楽が高みに昇っていく。Xからのヴァイオリンの上下降する旋律は神の身元に近づかんとするかのよう。テューバ群のコラール、ホルンの最後の消え入るようなハーモニー、弦のピチカート。魂が浄化されるようなコーダは見事。

 

 

通常はここで終わるが、ナガノはすぐに身構えて「テ・デウム」に入っていった。冒頭の旋律で、先日アーノンクールがブルックナーの第4楽章遺稿を指揮したCDのことを思い出した。ブルックナーは確かに「テ・デウム」からの旋律を第4楽章に書き残している。聴きながら感慨深いものがあった。

「テ・デウム」のあとの拍手のフライングは残念。ナガノは拍手を無視し、しばらく指揮台の上で余韻を保つよう指揮棒を下げなかった。

ケント・ナガノ©Antoine Saito

 

思い出のコンサート NHK音楽祭2011 ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団

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2011103日月曜日午後7時 

NHK音楽祭2011 ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団」

指揮:アントニオ・パッパーノ 

ピアノ:ボリス・ベレゾフスキー

NHKホール 座席:1L68

ヴェルディ: 歌劇《アイーダ》シンフォニア

リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

アンコール:

「サン=サーンス/ゴトフスキー:《白鳥》」

「チャイコフスキー:四季より10月《秋の歌》」

-休憩-

チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74《悲愴》

アンコール:

プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲

ポンキエッリ:歌劇《ジョコンダ》から「時の踊り」

 

4日前聴いたバイエルン国立管弦楽団によるブルックナーの重苦しい音が耳に残っていたところへ、イタリアの目の覚めるような明るいカンタービレが飛び込んできた。

ヴェルディが歌劇《アイーダ》のイタリア初演で前奏曲のかわりに使用した「シンフォニア」。

「スプマンテ」の高級酒「フェッラーリ」のパールのような細かな泡がシャンペングラスに立ち上ってくるように、どのパートの音もきめ細かく明晰に聞え、その音色はイタリアのシルク織物のように繊細で鮮やか。クラリネットの伸びやかな音の素晴らしさにパッパーノは奏者を起立させ讃えた。

 

リストのピアノ協奏曲第1番を弾くベレゾフスキーは今回初めて聴いた。

このピアニストはすごい。リストを得意とするだけある。巨体から繰り出す弱音から強音までのダイナミックが桁違いに大きい。どのフレーズもなんと滑らかなこと!同時にまろやかで羽が生えたように繊細で軽やか。

座席の位置か、あるいは彼の技術からくるのか(おそらくこちらだ)、ピアノの音が天井から滝のようにオーケストラの上に降り注いでくる。その音がオーケストラとブレンドされ、極上の音が届けられる。

さらに心を揺さぶられたのはアンコール。サン=サーンス「白鳥」の流れるような細やかな指使い。チャイコフスキー「秋の歌」での懐かしい調べに涙を誘われる。

 

休憩後のチャイコフスキー「悲愴」も予想通りイタリアの明るい陽光の下で聴くようだ。

1楽章第1主題の旋律の軽やかなこと。第2主題はまるで、ソット・ヴォーチェで歌われるオペラ・アリアだ。展開部直前のppppppのクラリネットも暗くなくむしろ爽やか。

展開部の一撃。ティンパニストが実にカッコいい。風貌はスキンヘッドでマフィアのボスのよう。それでいて愛嬌があって憎めない。千両役者のように大見得を切りながらマレットを操る姿は聴衆の人気の的だった。(コンサート終了後、ステージから引き上げる彼にソロカーテンコールのような拍手と歓声が送られていた。)

金管もうまい。再現部のフルオーケストラのクライマックスの音がまったくうるさくない。クリアなブラスの音が突き抜けてくる。

 

2楽章、「アレグロ・コン・グラチア(早いテンポで優雅に)」という指定通りの演奏。主部を奏でるチェロの伸びやかな歌とレガート、そのクリーミーな香りと絹のような肌触りに酔う。

 

3楽章でのリズムの切れのよさはイタリアのスポーツ・カーでぶっ飛ばすような爽快感がある。輝かしい金管と打楽器の活躍は、カーニバルのような雰囲気。

この楽章、チャイコフスキーがイタリアにきてインスパイアされた「タランテラ」が行進曲とともに使われていることが、見事な符号を見せる。

 

4楽章アダージョ・ラメントーソの主部は、「甘い悲しみ」を追憶するかのように始まる。中間部ホルンの三連符の上で歌われる第2主題は、傷ついた心を慰撫するかのように、どこまでも甘く歌われるが、その歌はさらに激しさを加え、苦く苦しいものに変わっていく。鋭い痛みに耐えかねてもだえる。タムタムが痛みを断ち切るように響き、トロンボーンとテューバが弔いの歌を歌う。

コントラバスが心臓の鼓動のようなリズムを刻みながら、徐々に弱っていく。冥界に去っていく姿を追うように曲が静寂のなかに消えていった。

 

《悲愴》のあとのアンコール2曲は極めて珍しい。それだけ指揮者パッパーノもオーケストラも出来に満足したのだろうし、NHKという電波で日本中に自分たちの演奏が届けられることへの意欲が反映されたものだろう。

 

プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲の洗練ぶりはなんと表現したらいいのだろう。

先日のメトロポリタン歌劇場管弦楽団のアンコールと較べると違いが際立つ。

やはりニューヨークとローマの伝統の違い、本場ものの味の違いというべきか。劇的であるだけでなく、きわめて繊細。

ポンキエッリ:歌劇《ジョコンダ》から「時の踊り」はデザートのジェラートのように爽やかな甘さ。

今夜は三ツ星のイタリアンを堪能させてもらいました。

アントニオ・パッパーノ©IMG Artists

@調布国際音楽祭2020 ZOOM記者会見

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本日午後2時から、@調布国際音楽祭2020 ZOOM記者会見がありました。


ZOOMでの記者会見は初めての体験でしたが、とてもスムーズに進行、

 

鈴木優人さんの説明と質問への答えが明解で充実した会見でした。

 

音楽祭をまるまる配信するのは世界初ではないか、とのことです。

本来はベートーヴェン生誕 250 周年記念プログラムを中心とした各公演を6月14日から21日の1週間に開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のために全て中止となってしまいました。

しかし、「こんな状況だからこそ、クラシック音楽を届けて皆様の時間に彩りをもたらしたい」という願いのもと、実施の場をインターネット上に移した新しいスタイルの音楽祭を実施する」というコンセプトでオンラインでの音楽祭を実施することになったそうです。

タイトルは、「@(アット)調布国際音楽祭2020」。アドレスとして使われる「アット」、自宅で過ごす「stay at home(ステイ アットホーム)」、そして「あっと驚く…」などの意味も込められています。

詳しくは明日の情報公開後に再度お伝えします。

 

@(アット)調布国際音楽祭2020の詳細が発表されました

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昨日記者会見があったオンラインでの音楽祭、@調布国際音楽祭2020の詳細が発表されました。
■配信予定 

 614日(日)~21日(日) 

会場 @調布国際音楽祭 2020 特設 WEB サイト
 http://at.chofumusicfestival.com

 

 10 時~ キッズプログラム(15 分間)初日除く

 15 時~ お昼のコンサート(30 分間)

 20 時~ 夜のコンサート(45 分間)

 

本来はベートーヴェン生誕 250 周年記念プログラムを中心に6月14日から21日の1週間に開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のために全て中止となり、インターネット上に移した新しいスタイルの音楽祭を実施する」というコンセプトのもとオンラインでの音楽祭を実施することになったそうです。

音楽祭をまるまる配信するのは世界初ではないか、とエグゼクティヴプロデューサーを務める鈴木優人さんは語っていました。
 

主な公演をピックアップしてみました。詳しくは上記特設サイトをご覧ください。

・6月15日()20時鈴木雅明オンラインオルガンリサイタル
・6月16日(火)20時カルテット・アマービレ plays ベートーヴェン
・6月17日(水)15時 福川伸陽オンラインホルン・リサイタル
・同日20時佐藤俊介&スーアン・チャイ オンラインリサイタル
・6月19日(金)鈴木秀美オンラインリサイタル 
・6月20日(土)20時マルティン・シュタットフェルト オンラインピアノリサイタル

 

などのほか、

 

 

最終日6月21日(日)20時は、世界初!オリジナル楽器で奏でる音楽家100人が参加したオンライン合奏 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125 より第4楽章
指揮:鈴木雅明 が配信されます。ソリストは共演予定だった4人がそれぞれ海外から参加します。ソプラノ:アン=ヘレン・モエン、アルト:オリヴィア・フェアミューレン、テノール:ベンヤミン・ブルンス、バス:クリスティアン・イムラー。合唱&管弦楽はバッハ・コレギウム・ジャパン。

 


視聴はすべて無料となっていますが、これは日ごろから音楽祭をバックアップしてくれている調布市民のみなさまへの感謝の気持ちも込めたとのことです。

なお、この試みの実現のために、クラウドファンディングを行っています。支援は2000円からで、612日まで受け付けています。私もささやかながら399番目に協力させていただきました。
https://camp-fire.jp/projects/view/277321

 

 


 

思い出のコンサート NHK音楽祭2011 ネヴィル・マリナー NHK交響楽団

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ネヴィル・マリナーの実演はこのあと、日本での最後のコンサートとなった20164月の感動的な演奏(アカデミー室内管)を聴いたのみです。あれほど元気だったネヴィル・マリナーが半年後に逝去するとは思いもよりませんでした。

 

2011106日木曜日午後7時 

NHK音楽祭2011 NHK交響楽団」

指揮:ネヴィル・マリナー

コンサートマスター:堀 正文

ピアノ:シプリアン・カツァリス

NHKホール 座席:1L64

モーツァルト:

交響曲第32番 ト長調K.318

ピアノ協奏曲第21番 ハ長調K.467

アンコール:即興演奏

-休憩-

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68

 

ネヴィル・マリナーは今年87歳。外見も動きも若々しく健康的で年齢をまったく感じさせない。ひょっとしたら師ピエール・モントゥーを目標に、息の長い指揮者生活をめざしているのかもしれない。

「モーツァルトのない人生は考えられない」というマリナーの言葉どおり、最初のモーツァルトからして、マリナーの求める音、N響らしからぬ音となっていた。羽毛で弦をさわるような繊細で軽やかな絹のような弦の響き。フレーズの切り方もすきっとして心地よい。オーボエを始め木管群、金管もバランスを崩さず好演。ぜいたくを言えば、N響の音にもう少し色彩感や匂い立つような香りが加わったらどんなに素敵なモーツァルトになったことか。

 

10分に満たない32番のあと、ピアニストのカツァリスが登場。元気そうだ。60歳を迎えて油が乗っている。バラバラの楽譜をピアノの譜面台に置く。ピアノはヤマハ。

やや速めのテンポで序奏が始まる。カツァリスのピアノが聴こえるか聴こえないかのように、そっと入ってくる。玉を転がすようなトリル、流れるようなフレーズ、鍵盤の上のタッチは繊細で微妙。カデンツァはカツァリス自作。貴族的でギャラント。短調の協奏曲の一部も取り入れていた。

2楽章の弦の透明なこと。しかし芯があり弱弱しくない。ピアノとオーケストラの一体感がよく感じられた。ピアノの美しく繊細なタッチは相変わらず。「感動」ではなくほれぼれとして「感心」する。

3楽章でも節度を保ちながら、鮮やかなテクニックですすむ。カデンツァはまるで疾走するモーツァルトだ。

ブラヴォと拍手のなか、満足気なカツァリスは“I improvise, OK?”と聴衆に語りかけ、

「即興演奏」を始めた。ピアノの全音階を使った華麗なアルペジオで始まり、ラヴェルのラ・ヴァルスのようなフレーズや「ホフマンの舟歌」、日本の「さくらさくら」のメロディーも交えつつ、最後はそっと消え入るように終わった。

 

ブラームスの1番は、前回来日のさいもN響と演奏している。ぜひもう一度というマリナーの希望により再演された。

この曲をコンサートで聴くのは大植英次、チョン・ミュンフン、三ツ橋敬子に続き

今年4回目。ブラ1の当たり年だ。それぞれ全く異なるアプローチであり、マリナーのブラ1は、ステレオタイプ的だが「イギリス紳士によるブラームス」と言える。

どこにも「さあブラームスをやるぞ、がつんとやるぞ」という力みがない。

 

1楽章はたんたんと自然体で開始し、第1、第2主題ともゆっくりと丁寧に演奏。フォルテシモや金管が咆哮する箇所も抑制をきかせる。

2楽章もやさしくソフトに始まる。チェロ、コントラバスがよく歌いロマンティック。

オーボエもドルチェに歌い、30小節目からのヴァイオリンが流れるように奏でられる。

コンサートマスター堀 正文のソロはとても美しい。これ以上求めるのは酷かもしれないが、艶っぽさがあれば最高。

3楽章は弦管楽器のブレンドされた音がさらさらと流れるように、あっさりめで進行。

休まず第4楽章に入る。楽譜の指示をきっちりと守るオーソドックスな演奏ですすんでいく。冒頭序奏も重くなく、ピチカートも丸みがある響き。ティンパニも重すぎない。

クララ・シューマンの誕生祝に贈った旋律のホルンの輝かしい響きはどこかさわやか。フルートも清らか、トロンボーンの響きも柔らかい。有名な弦による主題も軽やかで速め。思い入れはそれほどなくあっさりとした表情。第2主題前のオーケストラの総奏から熱が入ってきた。展開部に入ると演奏はますます熱を

帯び、再現部は堂々とすすむ。楽譜の話はつまらないでしょうが、287小節目からのコントラバスの強調が、それまでのジェントルなマリナーが急に野獣になったような強調ぶりで、面白かった。

コーダ前の最初のクライマックスもマリナーはしなやかに80%くらいの力でいく。

いよいよコーダへ。ここでついに雄弁にパワー全開モードになり、歓喜の咆哮を奏でる。しかしどこまでも音楽的で破綻はどこにもない。最後はなんと若々しい演奏なのだろう。

聴衆の大喝采もうべなるかな。さすが巨匠マリナーと思わされた。

 

思い出のコンサート 昭和音楽大学 オぺラ公演2011 ファルスタッフ(2011年10月9日)

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2011年10月9日日曜日午後2時 
「昭和音楽大学 オぺラ公演2011 ファルスタッフ」
指揮:松下京介
演出:マルコ・ガンディーニ
テアトロ・ジーリオ・ショウワ 
キャスト:
ファルスタッフ:三浦克次 フォード:上野裕之 フェントン:江口浩平
アリーチェ:納富景子 ナンネッタ:伊倉睦美 クイックリー:本多直美
メグ:田中千晶 ほか
管弦楽;昭和音楽大学管弦楽団 合唱:昭和音楽大学合唱団
 
ゲネプロを見た段階ですごいと思ったが、本番はさらに磨きがかかった出来となっており、本物のオペラを観たという満足感を得た。
学生たちによるオーケストラは、アンサンブルのレヴェルが高い。管楽器が優秀。
指揮の松下京介もテンポよくオーケストラをリードし、また第1幕の9重唱、第3幕のフィナーレ「世の中すべて冗談」の多重フーガも的確な指示を出していた。
特にフーガは、生の舞台でしか起こり得ない出演者一丸となった熱気が感動をもたらした。

ファルスタッフ役の三浦克次は、7日のゲネプロ翌日8日はオフのはずが、折江忠道がキャンセルとなり急遽代演。7、8、9日と三日連続の出演となり、ほとんど舞台にでずっぱりのファルスタッフ役をよくぞこなしていた。声は第1幕こそ疲れが見えたが、第2幕以降張りと声量を完全に取戻し、味のある演技とともに見事に歌い切った。彼にはひときわ盛大なブラヴォが送られたのも当然だろう。

舞台美術は現在フィレンツェ五月祭舞台美術担当のイタロ・グラッシ。オーソドックスな舞台で、中央に本物の川をめぐらせファルスタッフがテムズ川に洗濯カゴごと投げ込まれるシーンも本当にずぶ濡れになるなどリアリティも十分。

演出はフランコ・ゼッフィレッリの共同演出家でもあり、ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場、コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウスほか世界中のオペラハウスで活躍するマルコ・ガンディーニで、若い歌手たちもベテランに混じり、自然な演技をこなしていた。衣裳はガンディーニとソウル・アートセンターでも組んだシモーナ・モレージ。最後の妖精たちなど可愛らしく、女性らしい感覚が出ていた。

これだけ錚錚たるスタッフを集める昭和音楽大学のイタリア・オペラにかける情熱が今回の名演を生んだと言える。

 

書評『指揮者の使命ー音楽はいかに解釈されるのか』ラルフ・ヴァイケルト著(水曜社刊)

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これは指揮者とは何か、解釈とは何かについて真正面から向き合い、誠実に論じた本である。

現役の指揮者はもちろん、これから指揮者を目指す人が具体的な指針を得られるだけではなく、一般の音楽愛好家が指揮者の仕事を知り、音楽鑑賞を深めるにも有益である。専門用語には注釈も付き、井形ちづるの日本語訳もこなれていて大変読みやすい。

章立ては、I.専門教育と活動、II.スコアへのアプローチ、III.オペラの指揮とコンサートの指揮、IV.声と楽器、V.空間と編成、VI.歴史と現在、VII.リハーサルと本番、VIII.ベルカントとヴェルディ、IX.ヴァーグナーとシュトラウス、X.モーツァルト、以上10章からなる。

 

1章「専門教育と活動」では、指揮者になるための条件が示されるが、何と幅広い知識と経験が必要とされるのだろう。詳しくは本書を読んでいただきたいが、「ピアノはもちろん、弦楽器と管楽器を1つずつ弾けること」「呼吸が一番大切で声楽に習熟していることが不可欠」の2つの条件だけでも果たして何人の指揮者が満たしているのだろうか。

2章「スコアへのアプローチ」では、形式とテンポ、アーティキュレーション、ヴィブラートと強弱などの各点について具体的な例をあげながら、スコアをどう読んでいくのかをわかりやすく説く。

面白かったのは、批判的に分析するのであればインターネットやCDで勉強することは悪くない、他人のアドバイスも役立つと述べている点だ。ヴァイケルトがクライバーから直接聞いたプッチーニの「ラ・ボエーム」を指揮する秘訣などのエピソードも興味深い。


私の関心を最も惹いたのは、第3章「オペラの指揮とコンサートの指揮」である。

ヴァイケルトは言う。 
『<指揮者の理想的な状態>は、無数のオペラの経験を積んでテクニックを育て、たゆまず完成させ、確実なものとし、さらに磨いていくことにあります。オペラの指揮にかかわりつつ、できる限り並行してコンサートを指揮せねばなりません。』

そしてウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場管弦楽団を例に挙げ、オーケストラにとってもこの両輪は有用であると結論付ける。

さらに第4章「声と楽器」では、『歌声の優位性、模範性は、オペラ指揮者のみならず、指揮者全般にとって重要』であり、『歌について熟知することは実用的であり、弦楽器、管楽器のフレージング、ブレスにも直結している』と述べる。

 

オペラとコンサートの両方が指揮者の成熟に欠かせないとするヴァイケルトの持論は、カラヤンが小澤征爾に言った『指揮者にとってシンフォニーとオペラは車の両輪』という言葉の真意を明らかにしたものと言えるだろう。
 

長年世界中の名門オペラ劇場で指揮をしてきたヴァイケルトなので、オペラに関する第8章以降は、ベルカントの重要性、歌手とオーケストラのバランス、モーツァルトを指揮する際の注意点など、作曲家や作品の本質に迫る非常に説得力のある内容となっており、オペラ・ファンも発見が多いだろう。

 

ヴァイケルトはあとがきで、指揮者の仕事は論理的な根拠があり、この本では指揮する上での問題点の解決や実践的な手引きを示したと書く。ただそうした実践的な事柄をマスターしたとしても、心を打つ感動的な解釈のためには、「聖なる火」、内的な情熱が最も重要であり、それは習得できるものではなく、持ち合わせていなければならないと締めている。

 

N響、東響、東京フィル、新日本フィル、大阪フィルなど日本のオーケストラへの客演や新国立劇場、二期会での登場も多い著者ラルフ・ヴァイケルト(ラルフ・ワイケルトの表記もあり)のプロフィールは下記を参照されたい。
http://www.pacific-concert.co.jp/foreigner/view/298/

 

アマゾンのサイト

https://www.amazon.co.jp/%E6%8C%87%E6%8F%AE%E8%80%85%E3%81%AE%E4%BD%BF%E5%91%BD-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%95-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88/dp/488065471X

 



 





 


思い出のコンサート NHK音楽祭2011 マレク・ヤノフスキ 河村尚子 ベルリン放送交響楽団

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2011109日日曜日午後2時 

NHK音楽祭2011

指揮:マレク・ヤノフスキ

ピアノ:河村尚子(かわむらひさこ)

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

 

ウェーバー:歌劇《魔弾の射手》序曲

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調《皇帝》

アンコール:シューマン《献呈》(リスト編)

<休憩>

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調《英雄》

アンコール:

ベートーヴェン:交響曲第8番第2楽章

シューベルト:《キプロスの女王ロザムンデ》間奏曲第3

 

1曲目の歌劇《魔弾の射手》序曲から、ドイツの音が会場に充満する。ささやくような弦の開始、ホルンはドイツの深い森の奥から聞こえてくる角笛のよう。弦楽器は、ヴァイオリン、ヴィオラを始め、右手前に配置されたチェロ、右手奥のコントラバスまで、角の取れた柔らかく渋い音がする。木管も丸みを帯びた少しくすんだ音色。どのパートも飛び出ることなく、絶妙のバランスでオーケストラが鳴る。頭に「いぶし銀」という言葉が浮かぶ。パウゼのあとの総奏からコーダまで一気に聴かせた。

 

河村尚子を初めて生で聴く。エメラルドグリーンのドレス、洗練されたステージマナー、にこやかな表情で舞台に登場したときから音楽を感じさせる。

タッチは滑らかで、中音から高音域が特に美しい。

 

1楽章では、《皇帝》といういわば男性的な曲を競演するための打鍵の強さと音量がやや不足ではないかと感じた。

2楽章では、彼女の滑らかで美しい音色が最大の効果をもたらし、オーケストラと一体となって叙情的な音楽が奏でられた。ピチカートに乗せてピアノが歌う部分は、ひとつひとつの音符が羽ばたいて空を舞っているようだった。

3楽章ロンドは勇壮というより、どこまでも美しさを追求しているように思える。トリルがきれい。コーダでは第1楽章で感じた打鍵の弱さは微塵もなく迫力は充分で、見事に曲を締めくくった。

 

正直なところ、オーケストラと河村尚子の間に、何か相容れない違和感があるように思えた。それはお互いが持っている音色の違いであり、ベートーヴェンをどう捉えるかという解釈の違いかもしれない。

一方アンコールのシューマン「献呈」(リスト編曲)では、ピアノが伸び伸びと流れるような美しい歌を歌った。ロマン派の音楽が彼女には合うのではないだろうか。

 

後半の《英雄》は本物のベートーヴェンを聴いたという実感があった。素のままのベートーヴェンがまっすぐにこちらに向かってくるような気がした。

 

1楽章は早めのテンポで始まるが徐々に落ち着き、インテンポになる。ヤノフスキがインタビューで「音楽哲学は?」と聞かれ「明晰さ。あらゆる声部が明確に聞き取れること」と答えているが、まさにその言葉どおり、オーケストラの各パートが非常にクリアに聞こえる。各パートのまとまりのよさ、各パートと全体のバランスが素晴らしい。派手さはないが職人技のような安定感がある。演奏者が前面に出ることはなく、ベートーヴェンの音楽だけが聞こえてくる。

 

2楽章「葬送行進曲」、コントラバスのごりごりとした音が好ましい。チェロも落ち着いた音色で癒される。オーボエ奏者が滑らかないい音を出す。

中間部のあとの展開部、3つの旋律がフーガを奏でる箇所(114小節から)の悲壮感を感じさせるところ、第2ヴァイオリンから第1ヴァイオリンに受け継がれるすこし紗がかかった

響きがたまらなくいい。

 

3楽章スケルツォは早めのテンポ。トリオでのホルンの響きは際立つようなうまさはないが、まずまずの出来。

 

休まず第4楽章に入る。第1変奏から第3変奏まで弦のやりとりが美しい。Cからの自由な第4変奏、Dからの第5変奏フーガ的展開でのアンサンブルのレベルが非常に高い。

6変奏でのクラリネットの3連符が音楽的。

プレストのコーダはずしりとした重みがあった。

素晴らしいベートーヴェンを聴いたという充実感。

 

アンコールの1曲目は、交響曲第8番の第2楽章。なにかこのオーケストラの性格を表しているかのような端正な演奏。

アンコールを2曲もやってくれるとは思わなかった。シューベルトの《キプロスの女王ロザムンデ》間奏曲第3番には感動した。しみじみとした味わい、慰めに満ちた歌。中間部のクラリネットとオーボエ、フルートが奏でる哀愁のあるメロディー。ここでも本当のシューベルトが聴けた。

 

マレク・ヤノフスキ©Felix Broede、河村尚子©Marco Borggreve

 

村上春樹のオーディオルーム

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「村上春樹のオーディオルーム」という記事を読みたくて、雑誌SWITCHのバックナンバー201912月号をアマゾンで買いました。村上のオーディオアドバイザーでもある元「ステレオサウンド」編集長、小野寺弘滋がインタビューする形で書かれています。
詳しくは雑誌をお買い求めの上お読みいただきたいのですが、私も音楽を文章にすることを仕事にしている端くれとして、とても共感を覚えた村上の言葉があるので一部ご紹介します。

『音楽と食べ物の味について文章で書くのは、すごく難しいんですよね。難しいけれど、僕は結構好きなんです。(中略)単に感想や感情をそのまま書いても伝わらないんです。それではただの感想になってしまうから。そうではなくて、何かしらの比喩を絡めていかないと本当のところが伝わってこない。音や味をどんな風に別の言葉に置き換えて、重層的にしていくのかというのが大事になってくる(後略)』

 

音楽あるいは演奏の『本当のところ』を『重層的な言葉』で表現できるよう、私もがんばっていきたいと思います。

(写真はアマゾンで公開されているものです。)

 



 

思い出のコンサート エディタ・グルベローヴァ オペラ・アリアの夕べ 2011年10月13日

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20111013日木曜日午後7時 

「都民劇場音楽サークル第591回定期公演 エディタ・グルベローヴァ オペラ・アリアの夕べ」

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ

指揮:アンドリー・ユルケヴィッチ

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

座席:11022

モーツァルト:歌劇《後宮からの逃走》序曲

モーツァルト:歌劇《後宮からの逃走》より“あらゆる苦しみが”

ドニゼッティ:歌劇《ロベルト・デヴェリュー》序曲

ドニゼッティ:歌劇《ランメルモールのルチア》より狂乱の場“あの方の優しいささやきが”

~“苦しい涙を流せ”

ロッシーニ:歌劇《ウィリアム・テル》より舞踏音楽“6人の踊り

ドニゼッティ:歌劇《ルクレツィア・ボルジア》より“聞いて、ああ~この若者は私の息子でした”

休憩

トマ:歌劇《レーモン》序曲

ベッリーニ:歌劇《清教徒》より狂乱の場“あなたの優しい声が”

ポンキエッリ:歌劇《ラ・ジョコンダ》より“時の踊り”

ヴェルディ:歌劇《椿姫》より“ああ、そはかの人か~花から花へ”

 

アンコール:

バーンスタイン:《キャンディード》より“クネゴンテのナンバー”

ヨハン・シュトラウス2世:オペレッタ《こうもり》よりアデーレのアリア

 

プログラム冒頭に故黒田恭一さんのエッセイ「拍手でよみがえる歌姫」が転載されていた。「引退コンサートを行ったロス・アンヘレス(当時65歳)と、メトに登場したジョーン・サザーランド(当時61歳)への、聴衆からの「長いこと、わたしたちを楽しませてくださって、ありがとう、と言っているような温かな拍手」について書かれたもの。

この日聴衆から65歳のグルベローヴァに送られた拍手は、そのような慰労ではなく、「圧倒的な歌唱への心からの拍手」以外のなにものでもなかったと思う。

 

確かに絶頂期だったころの歌唱と較べて、声の張り、うるおい、なめらかさは衰えてきている。19995月、ウィーン国立歌劇場で聴いた《ランメルモールのルチア》での絶唱は今も耳の奥に刻まれている。

(下記Youtube1996年の歌唱はそのとき聴いた出来に近い。)

http://www.youtube.com/watch?v=ei72-Mo17dg&feature=related

 

あれから12年、グルベローヴァは肉体的衰えに対抗するため、声質を強く重くすることで、表現をより深く劇的な方向にもっていこうとしているのではないだろうか。あるいは肉体的変化が結果的にそうさせたのだろうか。

深く息を吸い込み、勢いをつけて少し苦しそうに歌う場面がしばしばあった。ハラハラするが、それでも鋭く重く、鋼鉄のように強靭なコロラトゥーラが歌われるたび、当代無比のソプラノだと感動せざるを得なかった。

 

歌唱1曲目あらゆる苦しみがは、最初声を出すのが苦しそうで、9日のサントリーホールでの公演から中3日の疲れがとれていないのでは、と推測した。しかし徐々に声量を取り戻し、艶が戻ってきた。

 

圧倒されたのは2曲目、十八番の《ランメルモールのルチア》より狂乱の場あの方の優しいささやきが

舞台前面に立つフルート奏者と対話する高音のコロラトゥーラは、絶頂期のなめらかさはないものの、歌い始めれば、奇跡的な弱音のコントロールで聴くものを別世界へと連れて行く。最後の信じがたい高音は、鋼(はがね)のような強さと、針の穴に糸を通す繊細さを併せ持ち、東京文化会館の最上階の隅々まで間違いなく届いたはずだ。

私の座席は前から10列目のほぼ真ん中という至近距離。鼓膜が振動するというのは誇張ではなく実感。

 

前半の最後にさらにすごいコロラトゥーラが歌われた。

《ルクレツィア・ボルジア》より“聞いて、ああ~この若者は私の息子でした”。

ドニゼッティが、旋律美のベルカントから一歩先に進んだ劇的なロマン主義の時代へと入っていった最初の作品。

不義の子とは言え実の息子の死を目の当たりにした母の思いが悲劇的に、きわめて強い調子で歌われるこの曲には、最後に劇的に伸ばす高音があり、その難しい箇所を迫力ある堅固な声で歌い切るグルベローヴァには心底驚き、どうしてあれだけの声が出るのだろうと感動する。

 

前半は宝石がちりばめられた華やかな白のドレス。後半は宝石が輝く落ち着いた黒のドレスで登場。

 

最初は、ベッリーニ:歌劇《清教徒》より狂乱の場“あなたの優しい声が”。

《ランメルモールのルチア》のアリアと同じく「狂乱の場」で歌われる。アリア前半でのグルベローヴァの強靭な声と声量、表現の深さ。アリア後半は《ランメルモールのルチア》に匹敵するコロラトゥーラの超絶技巧が求められる。ここもグルベローヴァは見事に決める。

 

プログラム最後のヴェルディ:歌劇《椿姫》より“ああ、そはかの人か~花から花へ”。

これまで歌ってきた超絶技巧のコロラトゥーラからすれば、技術的にはたやすく感じられてしまう。ここでのグルベローヴァは威厳があった。ここまで集中したリサイタルの疲れからか、呼吸もつらそうだったが、”Gioir” の高音はやはりすごい。

 

プログラムがすべて終わり、鳴り止まない拍手とブラヴァのなか、アンコールは、

バーンスタインの《キャンディード》より“クネゴンテのナンバー”。

グルベローヴァの英語の発音はネイティブらしくないが、かえって愛嬌がありキュート。ユーモラスな歌い方は最高で、コミカルな面が素顔のグルベローヴァではないかと思えてくる。

 

拍手はやまず、最後のアンコールは、グルベローヴァが「こうもり」と日本語で曲名を告げ、“アデーレのアリア”が、指揮者やコンサートマスターにからむなどして、ユーモアたっぷりに歌われた。

 

グルベローヴァもコンサートの重圧から解放され、聴衆も集中と緊張から解き放たれ、会場が一体となってアンコールを心ゆくまで楽しんだ。

 

スタンディング・オベイションと歓声は、指揮者とオーケストラが舞台から引きあげたのちも続いた。舞台前まで駆け寄った多くのファン一人一人に握手するグルベローヴァの姿は、日本のファンへの愛にあふれていた。

 

写真はサントリーホールの公演チラシ



 

ヴェルディ「オテロ」全曲 CD 発売記念 カウフマン、パッパーノ、オンライン記者会見

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ソニー・クラシカルによる、ヴェルディ「オテロ」全曲 CD 発売記念 ヨナス・カウフマン、アントニオ・パッパーノ、オンライン記者会見に参加しました。(日本時間615日午後9時半から10時半ころまで)

 

世界中のジャーナリストからの質問を事前にまとめたうえで、司会のアンドレア・ペンナが2人に聞く形で進行しました。

会見は全てイタリア語で行われましたが、英語の同時通訳が付きました。

 

冒頭アントニオ・パッパーノがローマ聖チェチーリア国立音楽院合唱団をオンラインで指揮するビデオも流され、面白かったです。

 

久しぶりのスタジオ録音による「オテロ」ということで、ライブとの違いとか、エモーションの維持の難しさなどの質問がありました。

カウフマンに対しては「オテロ」の性格をどう捉えるかという質問も。ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」にカウフマンが数年後挑戦するということで、それについての質問もありました。

 

 

記者会見の詳細については、録画もされていたので、ソニー・クラシカルから後日発表されると思います。

 

 

HMVのオテロ全曲盤についての紹介

https://www.hmv.co.jp/en/news/article/2002211040/

 

 

フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 インターネットライブ映像配信と有観客公演で開催!

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フェスタサマーミューザKAWASAKI2020全公演を、インターネットライブ映像配信と有観客公演により開催することが決まりました。

各公演600席前後を、ミューザ川崎シンフォニーホール友の会会員への先行発売(抽選制)により、限定販売。
 

 

■家でもホールでも! インターネット有料映像配信と有観客によるハイブリッド開催

 本音楽祭は、有料映像配信をベースに開催。配信はライブおよび8月末までオンデマンドによるストリーミング配信を予定。視聴チケットの購入方法については後日発表。

 ホールで聴けるチケットを数量限定で発売。感染症対策のため、販売数は600席前後を予定。
本チケットは、ミューザ川崎シンフォニーホール友の会会員への先行発売(抽選制)を実施し、完売の場合は一般発売はなし。

 

<チケット発売スケジュール(ホール内鑑賞)>

710日(金)~712日(日) ミューザ川崎シンフォニーホール友の会 会員先行抽選受付

717日(金) 一般発売(先着) 会員先行にて完売した場合、一般発売はなし。

※発売方法について調整中。71日以降にホームページにてご確認ください。

 

 

■公演内容について

 3月に発表した内容をベースに、各出演団体・出演者と調整中。当初実施予定だった「かわさきジュニアオーケストラ発表会」ならびに「洗足学園音楽大学」公演は中止。また、昭和音楽大学を会場とする「出張サマーミューザ@しんゆり」は会場をミューザに変更して開催。

 曲目や出演者、関連イベント等の最終発表につきましては、71日をめどに調整。
 

公演予定一覧
7 23 日(木・祝) 1500 開演 東京交響楽団オープニングコンサート 指揮:ジョナサン・ノット 有料配信

7 24 日(金・祝) 1100 開演 《こどもフェスタ》イッツ・ア・ピアノワールド ピアノ:小川典子 無料配信

7 24 日(金・祝) 1500 開演 ヒロコ&ノリコの楽しい 2 台ピアノ ピアノ:国府弘子、小川典子 有料配信

7 25 日(土) 1600 開演 NHK 交響楽団 指揮:広上淳一 有料配信

7 26 日(日) 1700 開演 サマーナイト・ジャズ 有料配信

7 28 日(火) 1500 開演 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮:川瀬賢太郎 有料配信

7 29 日(水) 1900 開演 読売日本交響楽団 指揮:下野竜也 有料配信

7 30 日(木) 1500 開演 東京交響楽団 指揮:秋山和慶 有料配信

8 1 日(土) 1500 開演 群馬交響楽団 指揮:高関 健 有料配信

8 2 日(日) 1500 開演 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:尾高忠明 有料配信

8 4 日(火) 1500 開演 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:久石 譲 有料配信

8 5 日(水) 1830 開演 昭和音楽大学 指揮:田中祐子 無料配信

8 6 日(木) 1500 開演 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 指揮:渡邊一正

有料配信

8 7 日(金) 1900 開演 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 指揮:飯守泰次郎 有料配信

8 8 日(土) 1500 開演 日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:梅田俊明

有料配信

8 9 日(日) 1700 開演 真夏のバッハ V 「椎名雄一郎パイプオルガン・リサイタル」 有料配信

8 10 日(月・祝) 1500 開演 東京交響楽団フィナーレコンサート 指揮:原田慶太楼 有料配信


詳しくは
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/

トリトン晴れた海のオーケストラ ライブ配信、無観客公演取材

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620日・第一生命ホール)
3ヶ月半ぶりのコンサート。

トリトン晴れた海のオーケストラのライブ配信、無観客公演の取材に、第一生命ホールに行く。

 

結成5周年のこの日は、本来ベートーヴェンの第九を演奏する予定でしたが、それは改めて別の機会に演奏することになり、今回はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」「クラリネット協奏曲」第2楽章、アルビノーニ「オーボエ協奏曲」第1楽章、トレッリ「トランペット協奏曲」などに変更されました。

 

オーケストラ、ソリスト、ホールがひとつになった素晴らしい響きを全身に浴びるようでした。

詳しくは「音楽の友』にレポートします。

youtubeに映像が公開されています。期間限定かもしれません。お早めにご覧ください。冒頭コンサートマスター、矢部達哉からメッセージがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=WTatHt4WwhQ

 


 

 

 

 

 

 

 


 

有観客公演第1弾 渡邊一正指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(6月24日、サントリーホール)

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緊急事態宣言が解除され、都の自粛要請も緩和となり、首都圏の各オーケストラにも有観客公演の動きが活発化してきた。
 その第1弾は、東京フィルによる621日・22日・24日計3回のコンサートとなった。プレトニョフは来日不可能となり、指揮はレジデントコンダクターの渡邊一正が務めた。曲目はロッシーニ歌劇『セビリアの理髪師』序曲と、ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』に変更、休憩なし約1時間のコンサート。


 最終日のサントリーホールに行ったが、係員はフェイスシールド姿。時差入場、氏名住所を記入した入場ハガキを目で確認、ハガキはコンサート後回収し万一の場合追跡できるようにする。入場時手指アルコール消毒、空港検疫のような体温測定、プログラムは自分で取る、など感染防止策は完璧なまでになされていた。

 

「密」を避け、入場者数を大幅に制限しているため、座席の前後左右は空席。ざっと見た感じでは3割から4割くらいの入りだろうか。こうまでして公演を実施する東京フィルにはただただ有難く、申し訳ないような気持ちになる。

 

開演前に当日のプログラムには参加しない団員による管楽五重奏(フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネット)が2曲演奏された。
 個人的にも親しい首席クラリネット奏者アレッサンドロ・ベヴェラリの元気そうな顔を見られたのはうれしい。

1曲目は、ジャック・イベール「3つの小品」、2曲目は「sélection of 3 dances from Farkas wind quintet」。たぶんハンガリーの作曲家フェレンツ・ファルカシュの作品だと思う。いずれものびやかで楽しい音楽。すでにこの時点で楽器の生音とサントリーホールの豊かな響きに驚かされた。

 

楽員が入場すると拍手が起こる。一人一人の拍手に力が入り温かい。楽員は立って拍手を受ける。その光景を見ていると胸が熱くなった。

 

東京フィルは12-10-8-8-6の編成。12型だがチェロが充実している。コンサートマスターは依田正宣と近藤薫のツートップ。座席配置は前後左右に間隔を空け、管楽器、打楽器の前にはアクリルのシールドが設置されている。

 

Welcome back to the Tokyo Philharmonic!」と表紙に印刷されたプログラムには楽員からのメッセージが多数掲載されていたが、譜読みや練習、リモート演奏、料理や散歩、家族との時間など、楽員のみなさんが前向きに過ごしていたこと、今日の公演を待ち望んでいた気持ちがよく伝わってくる。

 

1曲目ロッシーニ歌劇『セビリアの理髪師』序曲は、これまで聴いてきた東京フィルの演奏と何かが違う。この弦の音は初めて聴いた。シルクのように滑らかで、透明感があり、夢の中の音楽のように響く。この世のものではない、どこか彼岸から聞こえてくるようだ。

 

空席が多いため豊かなホールの響きがさらに拡張され、エコーのように響くからだろうか。奏者間の距離を置くことで、音の混濁が減ったのかもしれない。コロナという異常な事態でコンサートにも出られず4か月待った楽員の思い、演奏できる喜びがあふれ出し乗り移ったのかもしれない。この音を聴けたことはこの日最大の収穫だった。

 

2曲目のドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』は、スケールの大きな演奏だったが、「セビリア」のような感激はなかった。木管も金管も全力で奏でていることは伝わってくるが、もうひとつ中に入っていけなかった。

 

数限りなく聴いた曲であるだけに、聴き手の感性が鈍くなり、よほどの演奏でないと、心が動かされないためだろう。個人的には、8年前に聴いたラドミル・エリシュカN響以来、これは!という演奏に出会えていない。

ただ、第2楽章の中間部、コントラバスのピッツィカートの上でフルートとオーボエが美しく対話を交わした後、76小節目からチェロがトレモロを奏でる上に出るヴァイオリンの響きが胸に響いた。

 

経済的には今の観客数ではオーケストラの経営は維持できないのは明らかとしても、手をこまねいていては何も始まらない。ともかく前に進むこと、第1歩を踏み出すことから始めようということだろう。ホールを出ると、賛助会員の企業から寄付されたというマスクが置かれていた。

 

 

 


思い出のコンサート インゴ・メッツマッハーと新日本フィル2つの演奏会 2011年10月

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メッツマッハーが懐かしい。コロナがなければ今年も世界中で大活躍しているのではないだろうか。昨年は、ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮してエネスクのオペラ「エディプス王」を指揮。今年のザルツブルクではウィーン・フィルとノーノのオペラ《不寛容》(新制作)やマーラー・ユーゲント管弦楽団とのコンサートも予定されていたが、縮小後の確認はしていない。


ギャラは高かっただろうが、もし新日本フィルにメッツマッハーが残っていたら、両者はきっとジョナサン・ノット&東響のような生きのいい演奏を聴かせていたのではないだろうか。
 

リハーサルは厳しかったらしい。メッツマッハーは新日本フィルに「野獣のようになれ」「もっと自分をさらけ出してくらいついてこい」と始終激を飛ばしていたというが、上品な新日本フィルは一皮むけるまでには至らず、メッツマッハーの要求についていけなかったように思える。

 

過去の2つのコンサートを紹介したい。

20111015日土曜日午後2時・サントリーホール

コンサートマスター:豊嶋泰嗣

ベートーヴェン:序曲「レオノーレ」第3番 op.72b

アイヴズ:ニューイングランドの3つの場所

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47

 

コンサートレポートの前に、メッツマッハーの著書「新しい音を恐れるな」(春秋社刊)について書きたい。それが彼の音楽を深く理解する近道だと思う。

 

著書の最初に「ぼくの父」というエッセイがある。私の考えでは、メッツマッハーの音楽観は彼の父からの影響が強いと思う。たたき上げのチェリストだった父の音楽の捉え方は『音楽が自分から語り出すように仕向けること。文字通り音楽がおのずと展開するように演奏する』というものだったという。これこそ、まさにメッツマッハーの指揮を聴いて感ずることだ。

 

メッツマッハーが偶然知ったアイヴズについては『現代音楽の世界に通ずる扉を開いてくれた。彼の音楽に感じるのは、ほかのどこにもない自由さだ。純粋な魂の響きだ。音楽を愛するすべての人々に対する呼びかけを、ぼくはアイヴズの音楽に聴く』と書く。

 

メッツマッハーの音楽人生を変えたのは、シェ-ンベルクの「3つのピアノ曲 作品11」とのこと。旧来の音楽練習に飽き飽きしていた彼はこの曲を知り、『音の選び方、和声がまったく新しい感覚の世界を開いてくれた。ここにあるのは軋轢と激しい不協和音。これこそぼくが求めていたものだ』と共感を示す。

 

以上を押さえて、コンサートを振り返ると、メッツマッハーの音楽がとてもよく理解できる。

 

15日のプログラム、ベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番は、ダイナミックなエネルギーに満ち溢れ、ピアニシモを際立たせながら、きわめて緻密で引き締まった音楽。

 

アイヴズの「ニューイングランドの3つの場所」は、混沌とした音楽のなかから、突如懐かしいような音楽が沸き起こり、幻想的な風景が浮かんでくるユニークな作品だが、メッツマッハーがいかにアイヴズを愛しているか伝わってくるような「温かみ」「親しみ」「慈しみ」が演奏にあふれていた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、建築の設計図を見るように曲の構造が明確に示された。アンサンブルは室内楽のような緊密さを保つ。テンポは自在に動かす。

 

2楽章ではコントラバス、チェロの男性的な低音をゴツゴツした音で強調、リズムの刻みがするどい。皮肉な表現にもしゃれたセンスを感じさせる。コンサートマスター豊嶋泰嗣のソロは滑らかでニュアンスが豊か。

 

3楽章「ラルゴ」はとても暖かい響き。弦のバランスが絶妙。音楽の見通しがとてもよい。緊張が高まるところでは音の厚みが充実。木管のソロはいずれも美しい。コーダのハープと弦のピアニシモは絶美。

 

4楽章冒頭は遅めのテンポ。堂々として音楽が前のめりにならない。余裕を感じさせる。弦楽器群が分離よく聞き取れる。テンポを徐々に速める。トランペットソロは明晰。練習番号111からのティンパニが激しく叩きまくる。ピアニシモの弦のニュアンスが素晴らしい。131からのコーダはゆっくりとした歩みで豊かな響き、まるで大河が流れていくようだ。弦の緊密な伴奏の中、金管が輝かしく奏され、ティンパニとグランカッサは、芯がありなおかつ固くならない柔軟な響きで最後を締めた。

 

「音楽がおのずと展開するように演奏する」というメッツマッハーの父の哲学を踏襲する、自然で音楽自体がエネルギーを発しているような、説得力のある見事な演奏だった。



2回目1021日のレポート。

20111021日金曜日午後715

すみだトリフォニーホール 

コンサートマスター:崔(チェ)文洙

..バッハ(シェーンベルク編):前奏曲とフーガ 変ホ長調「聖アン」BWV552

シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲 op.31

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調op.68

 

シェーンベルク編曲のJ..バッハ「前奏曲とフーガ 変ホ長調」は、プログラム解説(青澤隆明氏)によれば『シェーンベルクの編曲の身上は、すべての声部を明確な見通しで進行させ、あらゆるフレーズを的確な強弱関係のうちに明瞭に息づかせること』にあるという。

これに対して新日本フィルの演奏は求心力がやや不足していた。フレーズを繋いでいく各楽器の接続がいささか甘い。バッハの音楽のもつ堅固な構造にほんのすこしほころびが見えた。しかし最後にフーガのハーモニーが決まり、まとまりを見せた。

 

2曲目のシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」は12音の不協和音がもたらす緊張により、演奏は遥かに引き締まったものになった。

メッツマッハーは19日の公開リハーサルでは、管楽器とコントラバスの対話(質問と答え)について説明したり、コントラバスにアクティヴな演奏を要求したり、ヴァイオリンのフレーズひとつひとつに音楽の表情づけを与えていた。マンドリンとホルンの合わせや、ホルンにソフトに吹くことを指示、チェロのフレーズの切り方まで細かく指導していた。こうした綿密なリハーサルの成果が演奏に反映していたと言っていい。

 

導入部はオーケストラの動きに不安と高い緊張がある。主題ではチェロ、ヴァイオリンが繊細な味を出す。

1変奏で再び緊張が高まる。

2変奏はヴァイオリン・ソロと管楽器が親密な室内楽を展開。

3変奏では「フレクサトーン」(ヒヨヨーンという甲高い音を出す楽器)が面白い効果を出す。

4変奏はクラリネット、グロッケンシュピール、スネアドラム、ソロヴァイオリンなどのせわしない動き。

5変奏はヴァイオリン群、金管が激しく動き再び緊張が高まる。

6、第7変奏は管楽器、ヴァイオリンをはじめとするソロ楽器の対話や独白。

8変奏は短く激しい。

9変奏は主に金管に動き。

終曲はコントラバス、ヴァイオリン、ホルンをはじめとする金管、打楽器それぞれに激しい動き。

リハーサルではこの終曲に時間をかけていた。緊迫感がどんどん高まる。動いては止まり、また激しい動きが繰り返される。一瞬のヴァイオリン・ソロのかりそめの慰め。最後はティンパニ、グランカッサが断ち切るような結末。

 

新日本フィルがこの曲を演奏する機会はめったにないと思う。リハーサルでは貸し譜の間違いをメッツマッハーが何箇所も直させていた。今回初めて聴く曲なので、比較するものがないが、かなり立派な演奏に仕上がっていたと思う。

 

後半のブラームスの交響曲第1番は、前半の緊張とは違って、伸び伸びとした演奏。

1楽章序奏はやや速めのインテンポで流れるようにしなやかでよく歌う。第1主題に入るとまたテンポを上げる。メッツマッハーは弱音を指示するとき、体全体を沈み込ませるようにしてオーケストラに指示する。それがわざとらしくなく自然でフレーズが生き生きし、音楽の喜びに包まれる。第1楽章提示部の繰り返しを行った。展開部もテンポは速め。再現部に入ってもそのテンポを保ちコーダをすっきりと終える。

 

2楽章はゆったりと開始。コントラバスとチェロの低音はそれほどごつごつさせない。オーボエソロ温かい。30小節からヴァイオリンが歌うところもさらりとして美しい。Bから再びオーボエが美しく歌いやわらかなクラリネットが続く。そのあとの弦と管楽器の対話はきれい。ヴァイオリン・ソロはオーケストラとのバランスがよく、崔(チェ)文洙も気持ちよさそうにソロをとる。

 

3楽章もまろやかによく歌う。ヒューマンな味が出ている。中間部もソフト。2本のフルートが旋律を快適に奏でる。

コーダが終わるとすぐに第4楽章に入る。

ピチカートの強弱のニュアンスの違いがよくでている。ティンパニがうるさくない。ホルンのテーマは軽い。フルートがとてもきれいに入ってくる。トロンボーンが渋く最高のハーモニーを聞かせる。

 

弦による主部もしごくまっとうに、たんたんと弾かせる。どこかにやさしさを感じさせ、ふくらみがある。DからEにかけても余裕があり急がない。アニマートの前のフォルテシモからピアノになっていくところも温かいハーモニー。ピウ・アレグロになってもまったく安定している。コーダはテンポを上げるが金管も音が割れるようなことはまったくなく中庸のまま終わる。しなやかでまとまりのあるブラームス。

 

今年はブラームスの1番を何人もの指揮者で聴いた。大植英次、チョン・ミョンフン、三ツ橋敬子、ネヴィル・マリナー。そのなかでもメッツマッハーのブラームスは一番安定感があって、温かで人間的なブラームスのような気がする。

 

 

尾高忠明 高木竜馬(ピアノ) 東京フィルハーモニー交響楽団 (7月2日・オーチャードホール)

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オーチャードホールに来るのは、なんと今年初めてだった。半年以上のご無沙汰の割には久しぶりに来たという感覚はあまり感じなかった。数多く通い身体になじんでいるためだろう。

 

「第6回渋谷の午後のコンサート<第2の国歌を知っていますか>」と題されたこの公演は、12時と15時の12回公演。その後半を聴いた。休憩なしだが、語りも入れて80分以上あった。

 

エルガー「威風堂々」第1番、シベリウス「フィンランディア」、J.ウィリアムズ「スター・ウォーズ」より、という金管が活躍する曲目であることに加え、新型コロナウィルス感染予防対策で観客が3割程度のため残響が多く、尾高忠明指揮東京フィルは爽快なまでに良く鳴っていた。

 

このコンサートの特徴は出演者のおしゃべりの時間があること。尾高さんの語りは、なかなか面白い。新型コロナを昔の車「コロナ」にかけ、『トヨタの昔のクルマは「コロナ」「カリーナ」「セリカ」みなCで始まるんですよ。』とウンチクを披露したり、『オーケストラの人たちは楽器があるからコロナ自粛中も練習できるけど、指揮者は何もできない。棒を振るしかない。僕は一生棒に振ってしまいました』とか、多少親父ギャク風(失礼!)だが楽しませてくれた。

シベリウスの家をピアニストの舘野泉の案内で訪れた時の話や(洋服ダンスの中はついさきほどクリーニングから戻ってきたばかりにきれいな洋服が並んでいたとのこと)、晩年シベリウスが高性能の短波ラジオで世界中で演奏される自作を聴いていたエピソードなど、真面目なお話も興味深いものがあった。

 

メインのプログラムである、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」のソリストは、2018年「第1回グリーグ国際ピアノコンクール」で第1位と聴衆賞の高木竜馬。顔に見覚えがあると思ったら、ちょうど1年前チョン・ミン指揮東京フィルで、同じ曲を弾くのを聴いていた。ミンは前立腺がんで、尾高忠明がキャンセルとなり代役として登場した。尾高は東京フィルさんのおかげで、こうして同じ曲で復帰できありがたい、と演奏後話していた。

 

高木の演奏はその時と同じく、Shigeru Kawaiのピアノをしっかりと鳴らし切って、スケールの大きなダイナミックな演奏を展開し、歌心に満ちたラフマニノフの旋律をロマン性豊かに表現した。

 

しかし、前回も感じた音色や表情の多彩さという点が少し物足りない。透明感と品の良さが高木の特長のひとつだと思うけれど、もう少し色気というか、ハッタリというか、聴く者を惹き込み楽しませる、激しさやエンタテンメント性もこの曲の場合はあってもいのではないだろうか。

 

尾高忠明の指揮は、前回の指揮者チョン・ミンよりも丁寧で繊細なバックで、高木をしっかりと支えていた。

 

J.ウィリアムズ「スター・ウォーズ」の後、アンコールに、新型コロナウィルスに罹患した方々、医療関係者の方々に捧げるエルガー「ニムロッド」が演奏された。

 

 

写真:尾高忠明©Martin Richardson 高木竜馬©三好英輔

下野竜也 新日本フィルハーモニー交響楽団 (7月2日・サントリーホール)

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新日本フィルのコロナ中断後最初のコンサートは、休憩ありのフル・プログラム。休憩中は、「ロビーでの会話はお控えください」のプラカードを持って係員が回るが、ひさしぶりに会う業界関係者やコンサート仲間と少し会話を交わした。

 

感染予防のため座席は左右一つずつ空けるが、1階やP席、LA、RA席はその形でほぼ埋まっており、よく入っている。生のコンサートを待望していた音楽ファンの気持ちが感じられた。

 

新日本フィルの楽員が入場すると盛大な拍手が起きるが、楽員は席に着く。コンサートマスター豊嶋泰嗣が登場すると一斉に立ち上がるのはいつもの新日本フィルの習慣だが、今回は最初から聴衆に向き、立位で拍手を受けたほうが流れとしては良かったのではないかと思う。下野は豊嶋と白い手袋をはめて握手を交わした。

 

新日本フィルのある奏者は、最初のリハーサルのとき、ソーシャル・ディスタンスの距離はすぐ慣れたものの、アンサンブルの勘を取り戻すのが大変だったと語っていたが、結果的には下野がオーケストラをよくまとめていたと思う。

 

1曲目のフィンジ「弦楽オーケストラのための前奏曲」は、わずかに縦の線が乱れたように感じられたが、以降のアンサンブルにはそうしたことは起きなかった。

 

2曲目ヴォーン・ウィリアムズ「テューバ協奏曲」は面白かった。ソロは首席の佐藤和彦。第1楽章はユーモラスな行進曲だが、速いパッセージの超絶技巧が必要とされる。ヴォーン・ウィリアムズらしい田園的な第2楽章はのびやかな弦とテューバの対話が美しい対照をつくる。活発なワルツ調の第3楽章はテューバの短いカデンツァが最後に来る。佐藤のソロは、躍動感があり明るい。難しい個所もよくこなしていた。佐藤が盛んな拍手を受ける中、下野が「ブラボー!」と書いた団扇を盛んに振る演出も楽しかった。
佐藤のアンコールはヴォーン・ウィリアムズ「イングランド民謡による6つの習作より第2曲 andante sostenuto」だった。

 

後半はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。これは非常によくまとまっていた。下野は快適なテンポを保ちながら、新日本フィルのやわらかな音を生かして、いくつもの層が重なり合う美しい響きを作り出した。
22年にわたり首席を務めたフルートの荒川洋が昨年退団して空席を心配したが、新しく入った元・札響副首席の野津雄太が素晴らしい演奏を披露したのはうれしい。木管はクラリネットの重松希巳江とファゴットの河村幹子もいつものように名演を聴かせてくれた。

 

拍手が巻き起こる中、アンコールにJ.S.バッハ(ストコフスキー編曲)「管弦楽組曲第3番より《アリア》が演奏されたが、弦のハーモニーが天上的な美しさで素晴らしかった。中でも6人のチェロによる対旋律の響きは心の奥まで届くような深みがあった。下野がチェロ群を立たせたのは当然だった。下野からコメントはなかったが、このアンコールは新型コロナウィルスの犠牲者の方々、医療関係者に捧げられたものだろう。

今回は有料ライブ配信があり、見逃した方は販売期間 7/3(金)12:00~7/9(木)21:00まで下記から見られるとのことです。

視聴チケット(ticket board)

https://ticket.tickebo.jp/pc/njp-0702621-arc02/


下野竜也(c)Naoya Yamaguchi

 

鈴木優人 読売日本交響楽団 (7月5日・東京芸術劇場コンサートホール)

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読響の新型コロナウィルス自粛後最初のコンサート。他のオーケストラ同様、感染予防策が徹底されていた。

指揮は4月1日から読響の指揮者/クリエイティヴ・パートナー(英語名:Associate Conductor & Creative Partner)に就任した鈴木優人。

 

1曲目はマーラー「交響曲第5番から第4楽章アダージェット」。弦は8-6-6-5-4という小編成。鈴木は清らかな響きを読響から引き出す。それぞれの弦が奏でる旋律がクリアに重なり合う。発音が明快なドイツ語を聞くように、マーラーの書いた音楽がクッキリと浮かび上がってくる。クライマックスは熱く盛り上がっていくが、情感過多にはならない。再び深い静寂へ帰っていく。この1楽章だけで鈴木の比類のない音楽性が伝わってくる。ぜひ彼の指揮で全曲を聴いてみたいと思う。

 

2曲目は管楽器奏者によるメンデルスゾーン「管楽器のための序曲」。編成は、ピッコロ、フルート 各1、オーボエ 2、クラリネット(F管(小クラリネット)、C管) 各2、バセットホルン 2、ファゴット 2、コントラファゴット 1、ホルン(C、F管) 各2、トランペット(C管) 2、トロンボーン(アルト、テノール、バス) 各1、イングリッシュ・バスホルン 1、打楽器(小太鼓、大太鼓、シンバル、トライアングル)。読響の管楽器の名手たちが持てる技量を発揮、鈴木は生き生きとしたリズムと混濁のない響きを作り出した。

 

3曲目モーツァルト「交響曲第41番《ジュピター》」は、鈴木の目の覚めるように鮮やかな指揮ぶりが強烈な印象を与えた。

弦は6-6-4-4-3の編成。第1楽章は颯爽としたテンポで、清流が勢いよく流れるように進んでいく。第2楽章アンダンテ・カンタービレ、第3楽章メヌエットも爽やかによく歌う。圧巻は第4楽章。モーツァルトが天馬空を行くように書いたフーガが、強烈な推進力を伴ってめくるめくように展開された。

 

客席から盛大な拍手が沸き上がるが、「BRAVO」と書いた紙を高く掲げる聴衆の姿もあった。コロナ時代の「叫ばないBRAVO」として定着するかもしれない。

 

アンコールはラモー「未開人」が演奏されたが、ティンパニの岡田全弘が叩く大太鼓が決っていた。拍手は楽員退場後も続き、鈴木優人のソロ・カーテンコールとなった。鈴木優人の読響クリエイティヴ・パートナー就任後最初のコンサートは大成功であり、順調なスタートを切ったと言えるだろう。

鈴木優人©Marco Borggreve

 

 

 

 

第16回イマジン七夕コンサート 名曲で巡る120分世界一周(7月7日・サントリーホール)

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東京シティ・フィルにとってはコロナ自粛後初の有観客公演。
指揮は2018年東京国際音楽コンクール(指揮)で第2位、聴衆賞を受賞、シティ・フィルの指揮研究員を15年から17年まで務めた横山奏(よこやまかなで)。若々しく素直な指揮は爽やかな印象を残した。

 

松本志のぶによる司会で進んだコンサートの音楽監督、編曲、ピアノは山田武彦。
第二部山田編「ザ・名曲クラシックス~バロックから現代へ。傑作メロディ選」と同「ザ・ピアノ・コンチェルト!協奏曲メドレー」計50曲のメドレーは楽しかった。

 

名曲メドレーは37曲まで数えられたが、果たして合っているだろうか。
パッヘルベル「カノン」に始まり、ヴィヴァルディ「《四季》~春」、バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」「トッカータとフーガ」、モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク第4楽章」、ヘンデル「ハレルヤ・コーラス」、ベートーヴェン《第九》、《運命》、ストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》、ワーグナー《ワルキューレの騎行》、歌劇《ローエングリン》第3幕前奏曲、チャイコフスキー「白鳥の湖から情景」、シューベルト《未完成》、ムソルグスキー(ラヴェル)「展覧会の絵」など1曲あたり20秒から30秒の短さで次々に披露されていき、ラヴェル《ボレロ》のコーダで盛り上がって終わる。

 

ピアノ協奏曲メドレーのソリストは、1999年リスト国際ピアノコンクールに日本人として初めて優勝した岡田将。岡田はスケールの大きい演奏を展開、ダイナミックで立ち上がりの良い音とともに、なめらかに演奏していく。

 

曲数は、楽章を変え登場する重複を除くと9曲だったと思う。リスト「ピアノ協奏曲第1番」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、ショパン「ピアノ協奏曲第1番」、グリーグ「ピアノ協奏曲」、モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」の冒頭や第2、第3楽章が引用されていく。バッハ「ブランデンブルク協奏曲第5番」や、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」まで登場、コンサートマスターの戸澤哲夫が立ち上がりソロを弾くのが面白かった。モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」が名曲に振り分けられたのは調性のマッチングのためかもしれない。

 

聴きながら、名曲のサワリを30秒ずつ収めたソニー・クラシカルのベスト・クラシック100シリーズ販促CD「音のカタログ」を思い出した。CDなら曲をつなぐのはフェイドアウトとインで簡単にできるけれど、生演奏でつないでいくのは大変だと思う。調性やメロディ、テンポのつなぎに違和感がない山田の編曲の巧みさと、槙山と東京シティ・フィル、岡田がよどみなく演奏していくのには感心した。

 

第一部はアメリカ大陸にちなむ曲、第二部はヨーロッパの曲で構成され、ソプラノ伊藤晴(いとうはれ)が、ガーシュウィン「サマータイム」、プッチーニ「私のお父さん」「私が街を歩けば」を歌い、テノール中鉢聡(ちゅうばちさとし)がフィリベルト《カミニート》を披露、またデュエットでバーンスタイン「トゥナイト」、ヴェルディ「乾杯の歌」を歌った。

飛沫を考慮して客席の前から4列目までは空席にされた。4か月ぶりに聴く生の声はオーケストラに負けない迫力があった。

 

山田の編曲で、ドヴォルザーク《新世界より》の抜粋、ビゼー「カルメン」のダイジェストもあり、どちらも楽しかったが、《新世界より》のありえないメドレーには笑ってしまった。カルメンでは闘牛士の歌がトランペットのソロで奏でられるところがなかなか決まっていた。

ガーシュイン「ラプソディー・イン・ブルー」は、山田が即興部分で「七夕の歌」も入れながら軽快に弾いた。

 

東京シティ・フィルはひさしぶりの有観客公演ということもあり熱の入った演奏で、自粛中のブランクを感じさせないまとまりの良さを見せていた。





 

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