モーツアルト「弦楽四重奏曲第14番K.387《春》」
第4楽章のフーガは驚くべき完成度。
四人の結びつきが文字通り有機的で、常に最高のバランスで演奏が進んでいく。弱音での針に糸を通すような、言い換えれば、解像度を極限まで高めた画像のような、正確無比の演奏が圧巻。
音色の柔らかさ、きめ細かさ、という点でも理想的。その上にモーツアルトの優雅さや甘さまで求めるのは、あれもこれも詰め込みすぎになるかもしれないが、そうした面も感じさせてくれたらと贅沢な気持ちを持った。
ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第8番ハ短調op.110」
エベーヌ弦楽四重奏団にとって挑戦のしがいのある緻密で深い感情を持つ傑作。全てに余裕があり、どれほど切迫した箇所も楽々と演奏する。
圧巻は第4楽章ラルゴ。砲声が轟くような和音の厚みと迫力が凄い。弱音の繊細さ正確さも驚異的。ショスタコーヴィチの難曲が易しい曲に聞こえてしまう。逆に言えば、ショスタコーヴィチの暗闇が明るく照らされてしまう印象もあった。臓腑をえぐられるような苦しみや悲しみの感情は余り前に出てこないように聞こえた。
後半はジャズ選曲集。編曲は自分たちで行うという。
チェロのラファエル・メルランが MCを務める。
学生時代、授業にも出ずジャズ喫茶に入り浸っていた自分としては興味津々のプログラム。コメントも長くなりがちですが(笑)、youtubeのオリジナル音源の映像も貼りつけたので、ぜひお楽しみください。
1.トゥーツ・シールマンス:ブルーゼット
Toots Thielemans:Bluesette
1936年にハーモニカの名手、トゥーツ・シールマンスが作曲したワルツ風のムーディーな作品。エベーヌSQはたゆたうように優雅に演奏した。
メルランは『素晴らしいホールで世界ナンバーワンのリスニング能力のある日本の聴衆の前で演奏できて嬉しい』と話し、次のミンガスの曲を紹介。
シールマンスのライヴ映像。
(154) Toots Thielemans - Bluesette - YouTube
2.チャールズ・ミンガス:フォーバス知事の寓話
Charles Mingus : Fables of Faubus
懐かしい。昔ジャズ喫茶でよくかかっていた。1957年に州兵をリトルロック・セントラル高校に送って黒人学生の登校を阻止したアーカンソー州知事オーヴァル・フォーバスをミンガスが揶揄した作品。
エベーヌSQの演奏はミンガスほど先鋭的でなく、ブルースのフィーリングに溢れる。第1ヴァイオリンのピエール・コロンベがステファン・グラッペリ風のアドリブを加える。
音はこちらに。ミンガスがフォーバスを罵る言葉も入っている。
(154) CHARLES MINGUS: ORIGINAL FAUBUS FABLES. - YouTube
3.マイルス・デイヴィス:マイルストーンズ
Miles Davis : Milestones
メルランがチェロをベース代わりにリズムを刻むと、三人が切れ味鋭くテーマを弾く。第1ヴァイオリンのピエール・コロンベが鮮やかなアドリブを奏した。拍手が一段と大きい。
音はこちらに。いつ聴いてもカッコイイ曲。
(154) Miles Davis - Milestones (Original) HQ 1958 - YouTube
4.ケニー・カークランド:ディエンダ
Kenny Kirkland:Dienda
ケニー・カークランド(1955年9月28日 - 1998年11月11日)は、アメリカのピアノ・キーボード奏者。スティング、ブランフォード・マルサリス、ウィントン・マルサリスらと共演したことで知られているが、実は聴いたことがない。メルランがこの曲をスティングがカバーしていることを説明した。エベーヌSQはしっとりと演奏。
オリジナル音源がyoutubeにないため、カークランドを追悼するため録音したスティングのバージョンで。
(154) Dienda - YouTube
5.ピー・ウィー・エリス:ザ・チキン
Pee Wee Ellis:The Chicken
ピー・ウィー・エリスは昨年80歳で亡くなったサックス奏者。ジェームス・ブラウンが最も人気のあった時期にバンドリーダーを務めた。
メルランはジャコ・パストリアス(天才的なベーシスト)がカバーしていると話した。メルランがベースを担当、アフタービートに乗り、エベーヌSQのメンバーが順番に参加し、最後はバンと終わった。これも聴衆に大受け。
エリスのライヴ
(154) Pee Wee Ellis Assembly - The Chicken - YouTube
ジャコ・パストリアスの演奏
(154) Chicken - YouTube
6.セロニアス・モンク:ラウンド・ミッドナイト
Thelonious Monk : 'Round Midnight
ジャズの名曲中の名曲。エベーヌSQはゆっくりとしたテンポ。出だしはチェロのグリサンドで始める。かなりムーディーな演奏だった。
カバーは無数にあるが、やはりオリジナルであるモンクのピアノで聴きたい。この強烈な打鍵はモンクならでは。
(154) 'Round Midnight - YouTube
7.ウェイン・ショーター:アナ・マリア
Wayne Shorter : Ana Maria
サックス奏者のウェイン・ショーターが妻のアンナ・マリア(ブラジル人)のアドバイスでボサノヴァのミルトン・ナシメントと共に録音したアルバム『ネイティヴ・ダンサー』(1975)の1曲。妻の名がタイトルになっている。そのあたりの事情をメルランが解説した。
エベーヌSQの編曲はユニークで、足踏みを入れたり、セカンド・ヴァイオリンのガブリエル・マガデュールが楽器を叩いてボサンヴァのリズムをつくる。
ウェイン・ショーターのオリジナル。日本でのセールスはいまひとつだった記憶がある。
8.アストル・ピアソラ:リベルタンゴ
Astor Piazzolla : Libertango
最後はピアソラの名を世界に広めた「リベルタンゴ」。今日の曲目の中では最も良く知られているだけあって拍手は最大だった。
エベーヌ弦楽四重奏団の演奏。
(155) Libertango - YouTube
アンコールは
エデン・アーベ:ネイチャー・ボーイ
Eden Ahbez : Nature Boy
エデン・アーベはブルックリン生まれの放浪の作曲家でヒッピーの元祖のような人。ナット・キング・コールのコンサートの舞台裏でこの曲の楽譜をコールのマネージャーに渡したと言われている。コールは同曲を気に入り、1947年8月22日にレコーディング、ヒット・チャートの1位を8週続け、コールの代表曲となっている。
チェロのメルランがベースを担当。コロンベがヴァイオリンでアドリブを加え、全員がこの美しい旋律を奏でていった。
アーベ自身がテレビショーに登場して話し、続いてパット・ブーンとナット・キング・コールがデュエットしている珍しい映像。
(155) Eden Ahbez + Cole & Boone Live - Nature Boy - YouTube
ちなみにこの曲の歌詞はこういうもの。
ある男の子がいました
とても奇妙な魔法をかけられた少年
遠くへ、遠くへ、さまよったそうです。
陸と海を越えて
少し恥ずかしがり屋で悲しげな目をしていた
でも、とても賢い子でした
そしてある日
魔法の日 彼は私の道を通り過ぎた
私たちは多くのことを話した
愚か者や王について
彼は私にこう言った
あなたがこれまでに学んだ最も偉大なことは
愛すること、そしてその見返りに愛されること
あなたがこれまでに学んだ最も偉大なことは
愛すること、そしてそのお返しに愛されること
なかなか良い詩です。
選曲を改めて見てみると、エベーヌ弦楽四重奏団のジャズ(ポピュラー音楽)を見るセンスがなんとなくわかる。スタンダードを押さえつつ、ボサノヴァなど、ブラジルや南米のダンサブルな音楽を加えていく。
ジャズを取り上げるのは、クラシックの演奏に、何らかのインスピレーションを得るためでもあるのだろう。また、ジャンルを問わず自由に表現したい、という気持ちも大きいと思う。