(2月17日、東京オペラシティコンサートホール)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」を弾いたマティアス・キルシュネライトのピアノは、とてもきれいで瑞々しい響き。マレイ・ペライア、クラウディオ・アラウ、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーという王道のピアニストに師事したという経歴を持つ。ただ、その美しいピアノは、野に咲く小さな花のようにひそやかでもある。俗な言葉で言えば、パンチがない。爽やかな清涼飲料水のようで、聴く者の心をぐっとつかむ魅力に欠ける。高関健と東京シティ・フィルは、第2楽章で煽るような切れ味のいい響きを創り出すが、キルシュネライトの抒情性とは、どこかちぐはぐなものを感じた。
高関健のラヴェルを聴く機会は珍しい。「スペイン狂詩曲」は色彩感があり、なかなかよかった。
「高雅にして感傷的なワルツ」「ラ・ヴァルス」は、リズムが重く、引きずるようで、ラヴェルの浮き立つような幻想的な音があまり感じられない。同じ曲で、ひと月前に聴いた上岡敏之新日本フィルの華やかで洗練された演奏が耳に残っており、どうしても比較してしまう。最強音での音の混濁も気になった。高関健は、ラヴェルに対しても、楽譜に忠実にという、いつもの姿勢で臨んだと思うが、結果としては、聴き手の期待とは異なるものがあった。
写真:マティアス・キルシュネライト(c)Maike Helbig 高関健(c)Masahide Sato