プレトニョフ指揮のシベリウス交響詩「フィンランディア」は大陸的で雄大。
遅めのテンポで進む。巨大なスケール。コーダに向けても急がず煽らず、堂々としている。コントラバスは下手に8台。ヴァイオリンは対向配置。
牛田智大(うしだ ともはる)のピアノを聴くのは初めて。テレビで見たイメージでは、
天才少年風でテクニック優先のように見えたが、実際に聴いてみて印象が変わった。音楽は純粋で、素直。音はみずみずしい。甘美でロマンティックだが、力強さもあり、表現の幅が大きい。
グリーグのピアノ協奏曲のロマン性と北欧の澄んだ空気を思わせる爽やかさ、フィヨルドのような雄大さは、牛田智大の世界に実によく合う。プレトニョフは「フィンランディア」の延長線のように、力強くスケールの大きな演奏で牛田を支える。
第1楽章コーダのカデンツァの牛田の大きな表現と、第3楽章中間部、フルートの清らかなメロディーを引き継いだ牛田のピアノとオーケストラの美しい対話がこの日の白眉。最後はプレトニョフ東京フィルと牛田智大が一体となって盛り上げた。
牛田のアンコール、シベリウス「樅の木」はロマンティックで耽美的な世界が広がる。甘く美しいが、もし心に刺さるような痛みが表現できたらさらに素晴らしい演奏になったのではないだろうか。まだ19歳。これからまだ伸びるピアニストだと思う。
後半のシベリウス組曲《ペレアスとメリザンド》は、劇付随音楽の演奏に長けているプレトニョフの面目躍如の演奏だった。描写力に優れ、劇の進行が目に見えるよう。曲ごとの表情が豊かで、音楽の本質を深く表現していた。例えば、第3曲「海辺にて」の効果音のような表現や、第4曲「3人の盲目の姉妹」のクラリネットの飄々とした味わい、第8曲「メリザンドの死」の悲しみの深さ。全体を通して、シベリウスの簡潔な筆致の中に凝縮された深い感情が、見事に表現されていた。
最後のシベリウス「交響曲第7番」は、これまであまり聴いたことのない演奏だった。神秘性や厳しい自然、あるいは秘めた情熱を表そうとする指揮者は多いが、プレトニョフは、各主題やフレーズを明確に描きながら、すこし突き放すように距離を置いて淡々と指揮する。それでいながら、音楽には力があり、訴えてくるものがある。「筆致の強い水墨画」という言い方は矛盾があるかもしれないが、あえて言えば、そのような世界。不思議なシベリウスだった。
写真:ミハイル・プレトニョフ(c)ジャパンアーツ 牛田智大(c)Ariga Terasawa <衣装> 企画:(株)オンワード樫山 縫製:グッドヒル(株)